第15話

 リズムを刻むように額を広がる鈍痛に意識を引っ張られて目を覚ますと、左の窓側に座り心地の悪そうなシート。そこに座っているのは、格好から察するに救急隊員。右側には見覚えがあるようでない機材が並べられた車内で寝かされていました。

 ここは、救急車の車内のようですね。

 私が目を覚ましたことに気づいた救急隊員がしきりに、「自分が誰だかわかりますか?」とか、「名前は? 歳はわかりますか?」などと、まるで私が記憶喪失にでもなっているかのような質問をしてきました。

 

「気がついたかい?」

「所長……。あの、いったい何が……」


 質問にあらかた答え終えると、彼が車内に顔を覗かせました。

 ストレッチャーに体を固定されているせいで視線を向けるのが精一杯な私を気遣ってか、彼は救急隊員と入れ替わるように横のシートに腰掛けました。


「君は、爆発に巻き込まれたんだ。覚えているかい?」

「爆発!? あ、痛たたた……」

「君はその際に頭を強打しているから、大声を出さない方がいい」


 だったら、もう少し言葉を選んでください。

 私は意識を回復したばかりで、軽くパニック状態なのです。頭を打っていることすら、あなたに言われるまで知らなかったのですよ? それなのに爆発に巻き込まれたなどと言われたら、条件反射で大声を出してしまいますよ。


「どこが、爆発したのですか?」


 それでも私は、現状を把握しようと彼に質問しました。

 だって、気になるじゃないですか。なんせ、爆発なのですから。

 

「まだ警察が捜査中だから原因は確定していないが、爆発したのはサウナ室だ。女湯内にあるサウナ室が爆発した余波で吹き飛んだ露天風呂へと通じる戸が、君に当たって意識を奪ったんだよ」

「まるで、見てきたように言うのですね」

「爆発の瞬間は見ていないが、君が戸の下敷きになって気絶しているのは見たからね」

「ん? では、所長が私を……」


 浴場から運び出した?

 と、するならば、所長は私の全裸を見たことになります。それどころか、あちこち触っているはずです。


「心配しなくてもいい。極力見ないようにしたし、僕がしたのは戸をどかして君の体にはタオルをかけ、頭の傷にタオルを当てて止血しただけだ。それ以上のことはしていない」

「運び出したりは、しなかったのですか?」

「さっきも言ったが、君は頭を強打していた。今は応急処置されているが、血も流れていた。そんな状態の君を、医学知識がないに等しい僕が下手に動かしたら致命傷になると考えたらできなかった」

「もう一度、爆発する危険性や火事になる可能性があったのにですか?」

「その心配はないと判断したからだ。あの爆発は、爆弾の類によって起こされたものじゃないと、すぐにわかったからね。それに、火事にはなっていたが、あそこは露天風呂。つまり水場で、しかも屋外だ。いよいよとなれば、君を抱えて温泉に飛び込んでいたし、それでも危ないと判断したら温泉の外まで避難していたよ」


 いやいや、まずは私の安全を確保してくださいよ。

 あなたが言ったことも理解できますが、煙に巻かれたり浴場が全焼するような火事になっていたらどうするんですか。と、言いたいですが、今はやめておきましょう。

 それよりも、気になることがありますから。


「爆発物を用いずに、どうやってサウナ室を爆破したのですか?」

「さっきも言ったが、まだ原因は確定していない。ただし、捜査結果として確定していないだけで、手段の見当はついている。あの爆発は、おそらく水素ガスに引火して起こったものだ。君を救急隊員に預け、火がおさまってから警察と一緒に現場を調べたんだが、複数のペットボトルと、その中に入った洗剤と十数枚の一円玉を見つけた」

「ペットボトル? それに、洗剤と一円玉? そんなもので、どうやってあんな爆発を……。あ、そういう事ですか。使用された洗剤がアルカリ性洗剤だったとすれば、アルミニウム製の一円玉と化学反応を起こして水素を発生させます。たしか、洗剤100mlに対して一円玉一枚で、1336mlの水素ガスが作れたはずです」

「その通り。ペットボトルを何本用い、一本当たりにどの程度の洗剤と一円玉を入れていたかは鑑識の調査待ちだが、約10平方メートルのサウナ室を吹き飛ばしたくらいだから、相当な量だろう」

「ですが、水素の発火温度は500℃から600℃以上の高温ですよ? いくらサウナ室とは言え、どうやってそんな高温を?」

「若女将に聞いたのだが、あのサウナは客が触れられないよう柵で囲んだ専用のサウナストーブでサウナストーンを直に温め、そこに備え付けの給水器で水をかけて蒸気を発生させるタイプらしい」

「つまり、給水機さえ止めておけば……」

「サウナストーンは過熱され続け、水素の発火温度に到達するだろう」


 なんとも杜撰な安全管理ですね。と、言いたいところですが、あのサウナは改装中のため使用禁止になっていました。

 もしかしたら、作りが古く危険なサウナの仕様を変えるために、改装中にして使用を禁止していたのかもしれません。


「爆発の謎はわかりました。では、誰がそれを? あの時、男湯の方はわかりませんが、女湯と露天風呂には私しかいなかったはずです」

「洗剤と一円玉……アルミニウムが反応して水素が発生するには時間がかかる」

「ええ、おっしゃる通りです、さきほど私が言った量の水素を発生させるだけでも、数時間を要します」

「そうだ。そして、サウナストーンが水素の発火温度に達するまでも、ある程度の時間を要する。さらに、水素は空気よりも軽いため、上の方から溜まっていく。仕掛けてさえしまえば数時間ほど、犯人は自由な時間を得られるだろう。ああ、そうだった。一つ、訂正がある」

「訂正? 何ですか? 私、何かおかしい事を言いましたか?」

「おかしいわけじゃない。君は女湯に誰もいなかったと言ったが、実際はいたんだよ」

「いや、いませんでした。隅々まで確認したわけではありませんが……いや、まさか」

「その、まさかだよ。爆発したサウナ室には女性がいた。あまりに酷い有様だったので女性だとしかわからなかったが、行方がわかっていない次女と三女のどちらかだろう。あの爆発は、縛るなり薬で眠らせるなりしたそのどちらかを殺害するために起こされたんだ」

「Blow up the sauna to kill one person!? There's plenty of overkill!」

「ごめん。何度も同じことを言っているが……」

「人を一人殺すためにサウナを爆破!? オーバーキルにもほどがあります!」

「ありがとう。そう、君の言う通りだ。複数人まとめて殺害するにしても、もっと静かで発覚に時間がかかり、確実な方法はいくらでもある。それなのに、犯人は爆破と言う派手で即発覚する手段を使った。非常に不可解だ。ならば当然、殺害意外にも目的があったと推察できる」

「他の目的……」


 本当に殺害の他に目的があったとするなら、最も可能性があるのはアリバイの確保でしょうか。実際にどれくらいの時間を確保できるのかは、現場の詳しい状態を知らず科学捜査もできない私には割り出せませんが、シンプルで大雑把ではあるものの、簡易的な時限爆弾で人を殺そうと考える犯人ですから、これは濃厚です。

 他に、何かあるとするなら……。


「入れ替わり……。犯人は、次女か三女のどちらかと入れ替わるために、そんな方法を取ったのでは?」

「遺体は炭化するほど焼けていたから、DNA鑑定は無理だろう。歯を全部抜いておけば、治療痕から個人を特定することもできない。だがそれだと、犯人は女性に限定されてしまう。さらに、メリットが見当たらない。次女も三女も主婦で、どちらも裕福と言うほどではない。姉妹だが、顔つきも違う。それに、もしそうだとしても……」

「生きている方が自然と、犯人で確定する。ですね」


 そうなると、ますます目的がわかりません。

 次女、もしくは三女の殺害とアリバイの確保以外に、他の目的はないのでしょうか。あんなにも派手なことをしておいて……ん? 派手? 派手と言うことは、爆発してからしばらくの間、消防隊員が到着して消化過活動を始めるまで、もしくは、消火し終わるまで、この旅館にいる人の意識はそこへ集中していたのではないですか?

 だとするなら、その間は誰が、どこで何をしていたかなど記憶に残りにくいはず。つまり犯人は、爆発の前と後、二種類のアリバイ工作をしたと考えられます。


「爆発前の数時間に、アリバイがなかった人は?」

「ほぼ、全員だ。若女将と番頭は同室で寝ていたらしいが、アリバイの証明にはならない。行方がわかっていない次女、もしくは三女は言わずもがな。そして次男も、自室で一人だったためアリバイがない」

「逆に言えば、爆破の仕掛け自体は誰にでも可能だったわけですね。では、爆発後は?」

「君の想像通りだよ。爆発から消火が終わるまでの数十分、誰一人として、アリバイを証明できる人はいない」

「ならば、その数十分で……」

「次女、もしくは三女は、殺害されているかもしれない」


 かもしれない。ですって? 白々しい。あなたのことですから、すでに殺しているのでしょう? 

 だって誰一人としてアリバイを証明できないことで、逆に誰が犯人なのか絞り込めなくなった今の状況は、真犯人である彼に犯行の難易度を下げさせ、最大の被害者と言ってもいい犯人役を貶める工作もしやすくなります。 

 実際、彼のアリバイもありません。

 彼は私が寝てからの行動が不明ですし、私が爆発に巻き込まれてからの行動も不明。だって、彼がそう言っただけで私は彼が本当にそうしたのかどうかを確認していないのですから。 

 まるで他に犯人がいるかのように言っている彼も、犯人足り得るのです。

 ですがまあ、それは毎度のこと。ある意味、お約束です。

 だから私は、彼が犯人だと疑っているとは臭わさずに、会話を促しました。

 

「そのこと、警察には?」

「もちろん、話してある。次女、もしくは三女の捜索も、すでに開始されているよ」


 はい、三人目の死者が出ているのは確定。でなければ、彼が素直に捜索をさせるとは思えません。

 そうなると、次は誰を犯人に仕立て上げるつもりなのかが気になってきます。

 私が考える最有力候補は次男。

 次男は長男が殺害された際、あてがわれた隣の部屋で寝ていたと証言していました。おそらく、長男が飲まさせられた睡眠薬と同じものを飲まされた。もしくは、膳の上の食事に混ぜられていたのでしょう。

 そのせいで次男だけアリバイが証明できていませんし、その時に今回の爆破、そして現在捜索中である三人目の被害者。その犯行に用いられた何らかの物証に、次男の指紋がつけられているはずです。

 ならば、次男を救うべきですね。

 今回の爆破と、後に発覚するはずの第三の事件で次男にアリバイがあったことを証明できれば、彼に予定外の工作をさせることになり、そこから計画にほころびが生じて彼の犯行を証明することができるかもしれません。


「そういう事だから、君は病院で治療に専念してくれ」

「はぁ、わかり……はぁ!? どうして私が、病院に行かなければならないのですか!」

「大きい声を出すんじゃない。最初に言っただろう? 君は頭部を強打して、出血までしていたと。だから、検査と治療のために、医者が良いと言うまで入院だ」

「嫌です! 今すぐこの拘束を解いてください!」


 思いのほか、かなり強固に拘束されています。私程度の腕力では、どれだけ暴れても逃れられそうにありません。

 だったら、別アプローチです。

 あることない事を喚き散らして、この拘束を解かざるを得なく……。


「彼女は錯乱しているようです。なので、一刻も早く病院へ。ああ、そうそう。あんまり暴れるようなら、鎮静剤を打ってください」

「なっ……!」

 

 できませんでした。

 日本の法律では医師の指導のもとでしか薬剤の投与ができないので、(アドレナリンはOKでしたっけ?)鎮静剤を注射されるようなことはなかったのですが、彼の言うことを鵜呑みにした救急隊員は、諦めずに搬送を拒否し続ける私が本当に錯乱しているのだと思い込んで救急車のバックドアを閉め、無慈悲に病院へと搬送しました。

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