第12話
幼い頃から、女には長男の気持ちが理解できなかった。
自分たちから母親を奪ったあの女の連れ子であるあの男を弟と呼び、世話を焼き、何か悪さをすれば尻拭いに奔走する兄が、どうしても理解できなかった。
だが、その甲斐あってか、あの男は長男にだけは逆らわない。
長男の言うことだけは素直に聞き、「兄貴」と呼び慕い、助言通りに大学まで受験して合格し、卒業した。自分と二人の姉に疎まれて育ったあの男にとって、長男は唯一の味方だったのかもしれない。
そう考えれば一応納得できたが、露天風呂に浸かって体も頭もリフレッシュしても、女にはやはり、理解はできなかった。
「まあ、お兄ちゃんからしたら、あたしと姉ちゃんがやってることも理解できないんだろうけど」
一つ上の姉と女は、弟の口利きのおかげで、ホストクラブで安く遊べている。
ボトルを入れたりすればさすがに面倒を見てもらえないが、それ以外の代金は半額以下。専業主婦で使える金が限られている身でありながら、週に一度は満足するまで楽しめている。
若くて顔とスタイルが良い男に酒を注がせ、お姫様でも扱うようにお世辞を言わせ、宴もたけなわとなれば夫と子育ての愚痴を時間が許す限り垂れ流す。
その楽しみがあるからこそ、一つ上の姉と女は円満な家庭生活を送れている。
毛嫌いしているあの男の世話になるのは癪だと思いながら、40を過ぎて子供もいるのにみっともないと思いながらも、二人は恩恵を享受していた。
「お兄ちゃんは、誰に殺されたんだろう」
長男は、他人から恨みを買うような人間ではなかった。生真面目で不愛想だが、女が毛嫌いするあの男にすら慕われる人間だった。
その長男が殺されたと知った時、女は男を疑わず、長女を疑った。長女は疑い深く強欲で、粘着質。表には出さなくても、自分よりも出来の良い長男を嫌っていたと女は肌で感じていた。旅館を半ば無理矢理継がされたことを、今でも根に持っている。この旅館の建屋と土地を相続すれば、すぐさま売り払う。土地の値段が高騰している今なら、身内を殺してでもそうする。
長女の性格を知っているからこそ、女は長女を疑い、決めつけていた。
「そうだ。このことを、警察に話そう。お姉ちゃんと、アイツにも協力してもらおう。そうすれば……」
警察は長女を疑い、長女が犯人である前提で捜査をしてくれると、女は考えた。
女は浅慮を演じている次男と違って本当に浅慮だが、行動力だけはある。だから女は、湯船から飛び出て脱衣所へと向かった。
時刻はすでに、23時過ぎ。
一つ上の姉ですら、まだ寝ていない。長男が殺された今なら、なおさら起きているだろう。次男も同様だ。
長男の死を知って、次男は取り乱していた。子供のように泣きじゃくり、長男の死を悲しんでいた。
だから、二人ともまだ起きている。
そう信じて、女は速足で脱衣所へ向かった。
その途中、女湯へ入って脱衣所へ続くガラス戸を視界に収めた時に、入浴前と風景が変わっていることに気が付いた。
「あら? サウナ室って、開いてたかしら」
眠れないので風呂にでも入ろうとここを通った時は、サウナ室のドアはたしかに締まっていた。「改装中につき、使用禁止」の文言も見た。
だが今は、明らかに開いている。
まるで女に、「入って来い」と言っているかのように大きく開いている。
「勝手に、開いたのよね? 建付けが悪かったのよね? それを直すために、改装中にしていたのよね?」
恐怖に怯え始めた自分にそう言い聞かせながら、女はサウナ室に近づいた。
開いたドアを盾にするように中を覗き込んだが、女の視界に怪しい物も、者も映らなかった。それに安堵した女は、ドアを閉めようとした。
だが、できなかった。
女は後ろから誰かに拘束され、口を塞ぐついでとばかりに放り込まれた何かを飲みこまされ、サウナ室の床に押しつけられた。
それに抗おうと女はもがいたが、時間が経つにつれて体が思うように動かなくなっていった。
意識が朦朧とし、手足の感覚が鈍り、瞼が意志に反して下がり、ついには閉じきって、意識ごと暗闇に支配された。
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