第11話

「少しは、落ち着いたかい?」

「落ち着く? 変な事を言いますね。私はずっと落ち着いています」


 あなたの言葉で、心は乱されましたけどね。

 ですがそれも、温かいお茶を飲んだらおさまりました。今はあなたが私の隙をついて逃げないよう、冷静に見張ることができています。


「長男は、どうして殺されたのでしょうか」

「今は、事件のことは忘れなさい」

「私は助手です。所長が事件の解決に向けて動くのなら、それをお手伝いするのが私の仕事です。話をふって、所長の推理を加速させることが、私の義務です」


 半分、嘘です。

 仕事という意味では本当ですが、私はあなたの手伝いをしようなんて考えていません。むしろ、逆。足を引っ張ろうとしています。

 彼の推理を聞いて粗を探し、その粗から彼が犯行に携わったことを解き明かす。それが、彼の推理の後押しをする本当の目的です。


「わかった。じゃあ、眠くなるまででかまわないから、僕の推理を聞いてくれ」

「はい、どうぞ」

「まずは君が言った、長男が殺害された理由だけど、現時点では僕にもわからない。遺書が開示されればある程度の予想は立てられるだろうがね」

「では、犯人の動機は所長にもわからない。と、言う事ですか?」

「いや、それはハッキリとしている。遺産が動機だ。いや、切掛けと言うべきか」

「ならば、長男が殺された理由もそうなのでは?」

「いいや、そうはならない。何故なら女将の遺産が誰に、どれくらい相続されるかは入院中の女将しか知らないからだ。この時点で事件……ましてや殺人事件を起こすなんて、百害あって一利なし。その理由は、君ならわかるだろう?」

「はい。捕まった場合、相続権を失うからです」

「その通り。誰がやったにせよ、遺書の内容を知ってからなともかく、今の時点ではリスクしかない。もしかしたら、長男を殺害した犯人の方が、より多くの遺産を相続できる可能性もあるんだから」

「ならば、やはり次男が最も犯人からは遠いですね」

「どうしてだい?」

「所長が姿をくらましている間に、次男に襲われかけた話はしましたよね?」

「部屋に連れ込まれそうになった。じゃあなかったかな?」

「同じことです。とにかくその時に、次男自身が遺産を最も多く相続できると言っていたんです」

「確かかい?」

「はい。母親である女将に自分が最も可愛がられているなどと言う、根拠の欠片もない理由でしたが、次男は確信しているようでした。さらに、遺産の相続順位も知っていました。もしかしたら、女将から事前に聞かされていたのかもしれません」

「相続順位の詳細は?」

「あくまで順位だけで、何をどの程度相続できるかまでは話してくれませんでしたが、順位は上から次男、三女、次女、長男。そして最後が、依頼人である長女、若女将です」

「その情報を握っていたのなら、次男が長男を殺害する理由はない。動機という観点から見れば、最も犯人からは遠いだろう」


 これで、次男を犯人に仕立て上げる計画はご破算にできたでしょうか。

 いくら次男がチンピラでも、状況証拠や物的証拠をでっち上げても、動機がハッキリとしなければ無理がでます。そのほころびから、彼の犯行だと立証できるかもしれません。


「しかし……何と言うか、異常だな。生まれ順と逆なだけでも、理解しがたい順番だ」

「やはり、そうなのですか?」


 今回の依頼が遺産相続に関することだったので、関係者の身辺調査のついでに相続に関する法律も調べました。

 その結果、彼が言うところのイギリスと日本では、相続に関する手続きに違いがあることがわかりました。

 私が生まれ育った(日本人に何度説明しても理解してもらえないので英国で通すように

 していますが)、United・Kingdomでは相続が発生すると、真っ先に裁判所で手続をします。それが終わって初めて、相続がおこなわれるのです。それに対して日本では、特定の手続きや相続で揉めた時以外は裁判所で相続手続きをしません。

 要は、裁判所で手続きをするかしないかです。

 遺言書に従って遺産が分配される点は同じですが、ここにも差異がありました。

 日本も英国も、仮に内容が出鱈目で支離滅裂でも、精神的に病んでいたり他人に強要されたり、書き方が分かりにくい、または読み取れなかったり法的に必要な条件を満たしていなかったりしなければ、内容がどうあれ有効になります。

 ですが、遺言書が法的に無効と判断された場合、英国では法定規則に則って相続分が決まりますが、日本は法定相続人が存在する場合、法定相続人に対する遺産分割の原則があるため、遺言書による遺産分配もその原則に沿う必要があります。ただし、遺言書が無効と判断された場合は、法定相続人による相続が行われることになります。

 今回の場合だと、法定相続人は子供。依頼人と弟妹になります。


「ああ、合理的ではない。普通に考えれば、遺産を最も多く相続できるのはこの旅館を切り盛りしている長女。次点で、女将の歳を考えると長男教でもおかしくないから長男だ。残りの3人の順位は、生まれた順になるはずだ」

「長男教とは? 日本には、そのような宗教が?」

「ある意味では宗教だ。これは、長男として生まれたからには家を後世に残すべし。という考え方でね。長男はその家を存続させるための躾や教育をされる一方で、何に関しても他の兄妹より優遇される。特に古い家系や、昭和以前に生まれた人にこの考え方をする人は多い」

「でも、そうはなっていない。ならば女将は、長男教ではないのでは?」

「君の言う通りだ。だが、それでもこの順位はおかしい。長男でないのなら、長女である若女将が相続順は1位になるはずだ。まあ、あくまで普通に、法に関する知識のない赤の他人が考えるなら、だ」

「含みのある言い方ですね。所長は、その理由に察しがついているのでは?」

「まだ、仮定の段階だがね。その裏付けとなる証拠を入手してくれるよう、警察にお願いしている」


 もしかして、遺留分侵害額請求のことも加味して言っているのでしょうか。

 ちなみに遺留分とは、相続できる遺産の最低保証額を意味し、これを下回る遺産しか相続できなかった相続人はその不足額に相当する金銭を、遺産を多めに承継した者に対して請求できるのです。これを、遺留分侵害額請求と言います。

 極端なことを言えば、相続人が複数いるのに、遺言によって指名されたとしても、誰か一人が遺産を総取りなどできないのです。

 ただし、その権利が認められる間に限られます。

 この遺留分侵害額請求権は、相続の開始および遺留分を侵害する贈与、または遺贈があったことを知った時から1年。もしくは、相続の開始から10年経つと権利が消滅します。

 再度ちなみに、この法律は日本独自のモノで、英国にはありません。遺産分割の変更を請求できるくらいです。


「法律の知識があれば、そもそも遺産相続絡みの殺人事件など、起きないのですよね」

「少なくとも、自分の相続分が少ないからと言う理由では起きない。もっとも、遺産を一人占めしようとするなら、話は別だがね」

「推理小説やドラマなどで遺産絡みの骨肉の争いが描かれることがありますが、実際は嘘っぱちなんですね」

「そりゃあ、あくまでもフィクションだからね。ただし、さっき君自身が言ったけど、その手の知識がなければ、そういう事件を起こそうと考える人もいるさ」

「所長が今までに遭遇した事件に、遺産絡みの殺人はなかったのですか?」

「いくつか、あるな」

「その中で、今回のようなケースはありましたか?」

「相続分を増やそうとした犯行がほとんどだ。今回も、このケースかもしれない」

「ほとんどと言うことは、変わったケースもあったのですか?」

「いくつかある。相続分を増やすのではなく逆に減らそうとしたり、復讐だったり、そもそも関係者が法定相続人じゃなかった事件もあったな。他にもあった気はするけど、ほとんどは手段の違いこそあれ、大元の理由は相続分を増やすためだった」

「はぁ、そうですか。それはなんとも、醜い理由ですね」


 要は、お金のために人を殺したのでしょう?

 両親の遺産を相続する際にその手の争いがなかったので余計にでもそう思うのでしょうが、お金のために人を、しかも親族を殺せる人の考えがわかりません。

 どういう環境で育てば、そんなにも下賤な考え方ができる人間に育つのでしょうか。


「顔に出ているよ」

「顔に? 何か出ていますか? スキンケアは念入りにしているつもりですが……」

「軽蔑していると丸わかりな顔をしている。君がそこまで感情を表に出すなんて珍しいから、驚いたよ」

「それ、普段の私は不愛想で愛嬌もない、マネキンのような女だと言っているのですか?」

「そこまでは言っていないよ。君は歳のわりに冷静で思慮深いから、意外だったんだ」

「意外? 何が意外なのです?」

「言えばたぶん怒るだろうから、言わないでおくよ」


 そんな言われ方をしたら、余計に気になるのですが?

 そう抗議しようとしたら、ドアをノックする音が室内に響きました。

 時間が時間なのもありますが、私と彼の声以外にほぼ音がない室内にいきなり別の音が響くと、いくら私でも驚いてしまいます。

 特に今は、事件現場から戻って30分ほどしか経っていません。いくら慣れているとは言っても、私だって相応に不安で怖いのです。

 だから、反射的に「きゃっ……!」と、小さい悲鳴をあげて彼の腕にしがみ付いてしまっても仕方がないのです。

 だって、本能からくる行動ですから、理性では抑えようがないのです。


「たぶん、警察の人だから安心して良い。だからその、非常に言いにくいんだが……」

「え? あ、ああ、申し訳ありません。離れます」


 私が離れると、彼は不自然なくらいこちらを見ずに、ドアへと向かいました。

 その行動の意味するところが最初はわからなかったのですが、ほどなく裾がはだけていたからだと気づきました。しかも、盛大に。私は下着を着けていませんので、何をとまでは言いませんが、もしかしたら見られたかもしれません。

 いえ、見られたのでしょう。

 見たからこそ、彼は不自然に思えるほど大袈裟に、視線を逸らしたのです。


「はぁ……。これでは、踏んだり蹴ったりではないですか」


 情けない声を聴かれるだけならまだしも、覚悟していない状態で見られてしまいました。

 良いんですよ?

 彼にとってはラッキースケベですから、これが切掛けになって私に欲情するかもしれません。けっして襲われたいわけではありませんが、そうなったらそうなったで彼の弱みを握れるから良いのです。

 そう、良いのです。

 そう思い込んで自分を納得させなければ、恥ずかしさと怒りで頭がどうにかなってしまいます。


「ごめん、待たせたかな?」

「べつに、待っていません」


 感情と服装を正し終えた頃に、彼が一冊のファイルを小脇に抱えて戻ってきました。

 さきほどこの部屋を訪ねてきたのが警官なら、あのファイルには鑑識の調査結果と事情聴取の内容がまとめられているでしょう。

 

「それ、捜査資料ですか?」

「そうだけど、それがどうかしたかい?」

「前々から、いつか言おうと思っていましたが、それは犯罪ですよね? たしか、刑事訴訟法に違反していますよね?」


 日本の刑事訴訟法では、捜査の秘密保持が定められています。

 捜査における情報、鑑識結果や事情聴取の内容等は捜査機関や検察庁に関係する者にのみ開示され、一般人には開示されません。

 要は、警察は捜査内容を一般人に教えることはできない。してはならないと法律で決められているのです。

 捜査状況を不適切に一般人に開示する行為は刑事訴訟法に違反し、犯罪にあたる可能性があります。ましてや、書類にして渡すなどもっての外です。


「今さらだろう?」

「私が知る限り、先の12件は口頭で伝えられていたはずです。紙に書き写して提供されたことはありませんよね?」

「たしかに、いつもなら口頭で教えてもらう。けれども今回は、いつもとは事情が異なる」

「何か、違いますか?」


 私には違いがわかりません。

 関係者と場所、用いられたトリックの内容は違いますが、依頼から事件に発展したことは過去に4件ありました。

 今回もそのパターンです。

 違いは先に挙げたものくらい。それ以外の違いはないはずです。


「君の様子がおかしい」

「私の様子? おかしい?」


 またもや訳のわからないことを。

 私はいつも通りです。人生初の温泉とすき焼きに多少は浮かれましたし、場所が場所ですから、私自身を彼の弱みにするために、この身を捧げる覚悟もしました。が、それ以外はいつも通りです。

 

「君は、怯えていただろう?」

「お、怯えていた? 私が……ですか?」


 いやいや、本当に訳がわかりません。

 あなたの弱みを握り、今よりも信頼を得るためにこの身を捧げる覚悟をし、愛してると言った時は屈辱で心が死にかけるほど焼け焦げましたし、あなたの言葉に身を震わせるほどの怒りを覚えたり、突然の音に驚いたりしましたが、けっして怯えてなどいません。

 そりゃあ、目の前に殺人鬼であるあなたがいるので少しは怖いですが、怯えていると言われるほど態度には出していないはずです。


「そうだ。それに眠そうだ。だから、今日はもう寝なさい」 

「まったく眠くないのでお断りします。所長は、今からその捜査資料を見るのでしょう? 私にも見せてください」

「そうは言うけど、瞼が重そうだよ?」

「重くなんて……」


 ない。と、言い切れませんでした。

 まだ23時を少し過ぎたくらいなのに、いつもより眠い。まさか、さっき飲んだお茶に睡眠薬を入れられたのでしょうか。


「君はおそらく、湯疲れをおこしている」

「湯づ……かれ? それは、なん……」

「文字通りの意味だよ。高温のお湯に長時間入ったり、何度も繰り返し入ったりするとなる。入浴は、少なからず体に負担をかけて体力を消耗するからね。しかも、ここの温泉の効能は疲労回復と血行促進。あと、美肌効果もあったか。そのせいで君はいつもより頭に酸素が回り辛くなっている。さらに、君は温泉に入るのが初めてだ。緊張がほぐれたことで、一気に症状が出たんだろう」


 もっともらしい理屈を長々と……。

 湯疲れなどと言う症状が本当にあるのですか? 温泉って、疲れを癒すために入る物ですよね? それなのに疲れてしまっては、本末転倒ではありませんか?

 と、頭の中では思えても、自覚した途端に雪崩の如く襲い掛かって来た睡魔のせいで口に出すことはできませんでした。

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