第10話

 女性の悲鳴は、事件が起こったと報せる合図。

 何度も聴いたそれに導かれて彼とともに駆けつけてみると案の定、人が殺されていました。

 殺害されたのは長男でした。現場は長男が泊まっていた東棟一階の三号室。私が連れ込まれそうになった二号室の隣です。

 第一発見者は若女将で、硬直の具合から死後二時間から三時間ほど経っていると推定されるため、詳しい死亡推定時刻は司法解剖の結果待ちですが、犯行時刻はおよそ18時前後と予想されるそうです。

 私が次男の魔の手から逃げてほどなく。彼が部屋に戻ってくる少し前ですね。


「死因は首を絞められたことによる窒息死……ですか。犯人は番頭さんと次男のどちらかです」

「結論が早すぎるよ、和渡君」

「ですが、被害者は四十代後半の男性です。その被害者を絞殺するなど、女性には不可能。自然と、容疑者は男性に絞られます」

「この旅館にいる人は、僕と君を除いて全て被害者と顔見知りだ。不意を突けば、女性にも犯行は可能だと思うよ」

「依頼人の親族は、程度の差こそあれ遺産を奪い合う仲ですよ? なので、仮に相手が女性でも、隙は見せないと思います」

「君の言うことはもっともだ。だが、それを考慮すると……」

「はい。舌の根も乾かぬうちに前言を撤回することになってしまいますが、次男はもっとも容疑者から遠くなりました」


 次男は今の時点で最も多くの遺産を受け取れ、しかも普段の行いから最も警戒されている人物です。

 もし仮に、長男を殺害したのが次男だとすると、長男は警戒するはずですからスマートに殺害できず、現場は テーブルがひっくり返されたり、備え付けの備品類が畳の上に散乱するなどして荒れているでしょう。

 それなのに、この部屋には争った形跡がありません。被害者の衣服に乱れも無し。無抵抗で首を絞められたとしか思えない殺され方をしています。

 さらに付け加えるなら、動機が成り立ちません。


「犯人が誰か。は、とりあえず保留するとして、この密室はどう解きますか?」


 改装が終わっている私と彼の部屋。そして長男、次女、三女にあてがわれた部屋は、受付時に発行されるQRコードをドアノブのスキャナーに読み込ませて初めて開錠されるオートロックになっています。

 つまり、被害者が招き入れない限り、脱出は容易でも侵入が難しいのです。

 

「密室の謎自体は簡単だ。それにありがたい……と、言ったら不謹慎だが、密室殺人という事実がそのまま、犯人が内部の人間だと示してくれているからね」


 外部犯、例えば通りすがりの強盗なら、密室を演出する必要も時間もありません。それ故に、密室が演出されている時点で犯人は内部犯だと確定します。

 どの媒体のミステリーでもそうですが、密室が登場した時点で内部犯だとほぼ確定するのはある種の欠陥だと思います。

 今回の件でもそうです。

 彼が簡単だと言う程度の密室トリックのせいで、容疑者が依頼人を含む親族に限定されてしまいました。


「第一発見者は、依頼人でもある若女将だったそうですね」

「そうみたいだ。今、警察が事情聴取をしている」

「どうして、こんな時間に長男の部屋を訪れたのでしょう。何か用があったのでしょうか」

「ドアの横に膳が置いてあるから、夕食を持って来た。もしくは、膳を下げるために来たんだろう」

「そう言えば、宴会場には私と所長の分以外の食事は用意されていませんでしたね」

「一応、僕たちは客として来ているからね。僕たちが宴会場で食事をしている間に、部屋に布団を敷いたりしないといけない。実際、戻ったら敷いてあっただろう?」

「ええ、確かに。では、依頼人の兄妹たちは客室に泊まってはいるものの、客として扱われていなかったのですね」

「それで間違いないだろう。ほら、見てごらん。隣の次男の部屋のドア横には、綺麗に平らげられた膳が置かれている」

「綺麗に残さず食べていますね。意外です」

 

 その部屋の主はと言うと、部屋の中で警察から軽めの事情聴取を受けているようです。

 寝ていたのか不機嫌そうに顔を歪め、頭を重そうに左手で支えています。


「あの様子だと、状況を理解していないようですね」


 かすかにですが、「なんで警察がいるんだよ」とか、「俺は寝ていただけだ」と聞こえました。

 すぐ隣で兄が殺されたのに、あの男は一切気付かなかったようです。


「長男と次男は、睡眠薬でも盛られたのでしょうか」

「長男は無抵抗で殺されているようだし、今は……20時過ぎか。寝るには早いのに必死に眠気を堪えているような彼の様子から考えても、その可能性は高いだろう」


 言うなり彼は、手近な制服警官に次男が食べた膳の食器を化学鑑定するよう要請しました。

 ここは彼のテリトリーから大きく離れていますので、頼んだところで聞いて貰えるのか疑問でしたが、そこは本庁の捜査一課が諸手を挙げて歓迎する名探偵。すでに話が通っていたのか、それとも知られていたのかはわかりませんが、要請された制服警官は敬礼してただちに、鑑識と思われる人に耳打ちをしました。


「ついでにDNA鑑定と、この旅館の関係者全ての薬剤服用歴も調べてくれるよう、お願いしておいたよ。善から睡眠薬の成分が検出されれば、薬剤服用歴と照らし合わせて薬の所有者を絞り込むことができる」

「手回しが良いですね。ですが、DNA鑑定は必要ないのでは?」

「念のためだよ。あの空いた膳を、次男が食べたとは限らないからね」

「実際は、長男が食べたと?」

「僕たちがあの膳を次男が食べたと考えたのは、二号室のドアのそばに膳が置かれていたからだ。長男の物と入れ替えるだけで、その考えは逆転するだろう?」

「言われてみれば、たしかに」


 単純が故に、見落としてしまいがちな心理トリックですね。

 もし、空の膳が長男の部屋の前に置かれていたのなら、それに仕込まれた睡眠薬で眠ってしまったせいで、抵抗できずに殺されたのだと容易に想像できます。

 でもそれだと、次男まで眠らせた理由がわかりません。

 いや、カモフラージュでしょうか。

 次男は長男の膳に睡眠薬を仕込み、眠った頃に、何らかの方法でオートロックを開錠して部屋に侵入。長男を殺害して部屋に戻り、同じ睡眠薬を服用して眠った。

 これなら、次男まで睡眠薬で眠っていたことに一応は説明がつきます。

 説明はつきますが……。


「やっぱり、動機がわかりません」


 どの程度の遺産を相続できるかは、明日の親族会議で女将の遺書が開示されるまでわかりませんが、次男は自分が最も多く遺産を受け取れると自慢げに話していました。

 遺書が開示されて他の親族の相続分がわかったあとならともかく、今の時点で長男を殺害するメリットはありません。

 何条だったかまでは記憶していませんが、日本の民法では一定の事由がある場合には相続人となることはできないと定めてられています。

 この事由を欠格事由といい、要約すると、自分以外の相続人を故意に死亡させ、または死亡させようとして刑に処せられるとそれを満たしてしまい、相続権を失ってしまうので、デメリットしかないのです。

 

「そこまで考えずに、短絡的に殺害した? いいえ、隠蔽工作までしていますし、次男はたしか……」


 チンピラのような見た目からは想像できませんが、県立大学の法学部を卒業しています。遺産に関する話をするために来ているのに、その手の法律が頭になかったとは考えづらい。


「と、なると、やはり次男は容疑者から外れ……いやいや、何を言ってるんですか、私は」


 犯人は彼。この事件も、彼が起こしたものです。

 現場の状況から次男を疑うよう彼に誘導されたせいで、いつものように失念させられてしまいました。


「まったく、相変わらず悪辣な……あれ? 所長はどこに?」 


 ふと気が付くと、彼の姿が消えていました。考え込み過ぎて、彼の行動を監視するのをすっかり忘れていました。

 急いで探さないと。

 今この瞬間にも次の殺人の下準備をしているかもしれませんし、無実の人を犯人に仕立て上げる仕掛けをしているかもしれません。 


「あ、いた」


 どうやら、私の心配は杞憂に終わりそうです。

 南棟と東棟のちょうど繋ぎ目あたりで、私服警官と思われる人と話し込んでいます。

 おそらくは、協力を要請するなりされるなりしたのでしょう。

 だとするなら、彼は警察の監視下にいたのと同じ。私が監視を忘れていた間も、迂闊な事はできなかったはずなので、少しだけ安心しました。


「何をしていたのですか?」

「ああ、彼は所轄署の刑事なんだけど、協力をたのまれてね。少し、打ち合わせをしていた」

「私を、こんな殺伐とした場所にほったらかしにして、ですか?」

「考え事をしているようだったから、気をつかったつもりだったんだが……」

「すぐそこに、まだ死体が転がっているのですよ? 気をつかうなら、死体を目の当たりにし続けている私のメンタルに気をつかってほしかったです」

「ごめん、ごめん。てっきり、君はもう見慣れてしまったと思っていたんだ。実際、顔色一つ変えなかっただろう?」

「今回の遺体は原型を留めていましたし、安らかな死に顔だったからです。過去の12件では、相応に悲鳴を上げたりしました」

「そうだったかい?」

「そうですよ。所長は、私のことを一切見ていなかったのですね」

「おかしいな……。君のことは、つぶさに観察していたつもりなんだが……」

「表情の変化にすら気づかなかったクセに、何をいけしゃあしゃあと……ん?」


 私をつぶさに観察していた? 彼が私を?

 気持ち悪い。本当に気持ち悪い。彼に見られていたと考えだけで、吐き気をもよおすほどの嫌悪感が胸内にあふれて来ました。


「顔色が悪いけど、大丈夫かい? 部屋に戻った方が良いんじゃないか?」

「いえ、お気遣いなく」

「さっきは気をつかえと言ったじゃないか」

「揚げ足を取らないでください」


 嫌な人。

 あなたが発した言葉のナイフで切り刻まれたせいで体調まで悪くなっているのに、たかが揚げ足一つ取っただけで勝ち誇ったように見下すなんて、さすがは大量殺人鬼ですね。

 人の心が一切ないからこそ、足元がふらつくほどの怒りを私に与えても、悪びれもせずにいられるのでしょう。


「ほら、ふらついている。やはり、部屋に戻った方が良い」

「嫌です。戻るなら、所長も一緒です」

「僕はまだ、警察から鑑識の結果と事情聴取の報告を聞かなければならないから、ここを離れられない」

「では、私も残ります」

「駄目だ。戻りなさい」

「お断りします。私は、私は所長と離れたくないんです」

「その気持ちはわかるけど……」


 いえ、わかってはいません。誤解しているだけです。

 ですが誤解したままの彼は情にほだされたのか、制服警官に「部屋にいますので、何かあったらそちらへお願いします」と言付けて、私と一緒に部屋へと戻りました。

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