第8話

 南棟の二階にある宴会場に用意された夕食のメニューは、外国人が食べてみたい日本食ランキングでTOP10内に入り、私独自のランキングでも上位に食い込んでいるすき焼きでした。


「しかも、関東風ですか。この旅館はわかっていますね。評価を上方修正してあげましょう」

「まあ、ここは一応、関東だからね。ちなみに、関東風と言ったくらいだから、関西風もあるのかい?」

「所長、それは本気で言っているのですか? 所長は日本人ですよね? それなのに、関東と関西で違いがあることすら知らないのですか? もしそうなら、万死に値するレベルの無知ですが?」

「ご、ごめん。僕、すき焼きと言えばこれしか食べたことがなかったから……」

「それで許されるとでも? いいえ、許されません。ですが、お世話になっている所長が無知なままなのは我慢ができません。雇われの身である私の沽券にも関わりますので、私がレクチャーしてさしあげましょう。良いですか? 耳の穴をかっぽじって、よく聞いてください」


 すき焼きは大きく関東風と関西風に分けられ、私と彼が並んで突いているのは割り下で煮る関東風。

 関西風は肉を焼いてから味付けをするのが主流で、肉も野菜も一緒に煮込んでいく関東風に対して先に肉を焼き、その後で火の通った野菜もいただくのが関西風です。

 すき「焼き」と呼ばれるくらいですから、 本来なら「煮る」関東風ではなく「焼く」関西風がすき焼きと名乗るべきなのでしょうが、どちらも正真正銘のすき焼きです。

 

「わかりましたか?」

「まあ、なんとなくは。ちなみに君は、どちらが好みなんだい?」

「言うまでもなく、関西風です」

「でもさっき、この旅館はわかっている。と、言ったじゃないか。関東風なのに」

「それは当然の疑問です。ならば再度、ご清聴ください」


 関西風は一枚一枚肉を焼く性質上、大人数で食べるのに適していません。焼き役が一人、必ず必要だからです。実際に食べるのは一人か二人、無理をして三人が限界でしょう。もし、各々が好き勝手に焼いて食べていては、それはもうすき焼きではなくただの焼肉。焼いて食べ役に提供する焼き役が不可欠なのが関西風の欠点です。

 あ、断っておきますが、これは私個人の見解なので、クレーム等はご遠慮ください。

 話を戻します。

 対して関東風は、肉も野菜も一緒くたに煮る性質上、鍋料理に近く……いや、鍋ですね、これ。私と彼の目の前でカセットコンロにあぶられている鉄製のこれは、すき焼き「鍋」ですし。まあ、それはさておき、関東風は先に説明した性質上、鍋奉行と呼ばれる仕切り役がしっかりしていれば、テーブルの面積が許す限り大人数が同時に舌鼓を打てるのです。もちろん、鍋奉行役の人も一緒に。


「つまり君は、誰かと一緒に鍋を囲む方が、より好みだと言っているのかい?」

「……そうですね。そうとも言えます」


 英国には、煮込み料理はあっても日本の鍋料理に相当するものがありません。だからなのか、母が話して聞かせてくれた鍋料理には憧れがありました。

 両親と一緒に、一つの大鍋をつつきたい。つついて一体感を得たい。いいえ、そんな御大層な理由ではなく、両親と談笑しながら一つの料理を食べてみたかった。

 ですがその願いは、もう永遠に叶いません。

 

「ほら、肉が煮え切っていますよ。よそってあげますから、さっさと食べてください。嬉しいでしょう? 現役の女子高生が浴衣姿で鍋奉行をし、椀が空になるはしからよそってあげているのですよ?」

「女子高生云々のくだりはともかくとして、ありがとう。でも、さっきから君、僕の椀によそってばかりで食べていないじゃないか」


 目の前で肉と野菜を頬張っている彼に、私の両親は殺されました。

 本当なら、その椀に毒の一つも混ぜてやりたい。あの時の両親と同じように、首を掻き切ってやりたい。


「私は見た目通り小食なので、とっくの昔に腹六分目です。だから、残りは所長に食べてもらわないとならないので、こうしてよそってあげているのです」

「まだ四分目も、余裕があるじゃないか」


 ですが、それでは駄目なのです。ただ殺すだけでは駄目なのです。身も心も苦しめて、彼の犯罪を明らかにして社会的にも殺さなければ意味はないのです。

 そのためなら、私は道化を演じましょう。彼を誘惑だってしましょう。全裸を晒し、股を開くことすらいといません。

 私を孤独にしたあなたには、その穴埋めだってしてもらいます。

 あなたが相手では願いを叶えたとは言えませんが、それでも少しは、感情を抑える一助にはなりますから。


「はぁ……。所長は本当に馬鹿ですね。鍋料理にしてもそうですが、すき焼きの〆は雑炊。それこそが定番であり至高。肉と野菜の旨味成分が溶け込んだ割り下でつくる雑炊を食べるために、あえて胃袋に余裕を持たしているのです」

「だから、君が食べきれない分まで僕が食べさせられていると?」

「人聞きが悪い事を言わないでください。私は明日の昼に開かれる遺産相続についての親族会議に、所長が万全を期して挑めるよう鋭気を養ってほしいと思って、私が食べる分まで譲っているのです。それなのに、なんですか? さきほどの所長の言いようでは、まるで私が雑炊を食べたいがために食べる量を制限しているように聞こえるじゃありませんか。それは誤解……いえ、侮辱です。私はあくまで、所長のためを思って美味しい肉も野菜も譲っているのです。けっして、私がすき焼きの〆であり、最も美味しいと思われる雑炊を存分に味わうためでは……」

「わかった。わかりました。食べるから、おかわりをお願いしても良いかい?」

「はい、喜んで」


 私の高度かつ繊細な交渉術に負けた彼が差し出した椀に、私は最低限の具材を残して全て盛りました。ええ、正に山盛りです。

 これで心置きなく最高の雑炊が作れると確信した私はお米を投入し、機が熟すのを待って溶き卵を投入。卵が雲のように渦を巻きながら広がって鍋に満たされた旨味を吸い、お米と溶け合うのを見計らって、自分の椀に食べきれるだけよそいました。


「良い匂い」


 英国では絶対に経験することができないと思わせるほどの、シンプルでありながらコンプレックスな香り。黒いようで色鮮やかな見た目。鼻と目を通して流れ込む、相反するその情報が私の食欲を刺激します。


「Oh, delicious. Really delicious. If you know such delicious Japan food, you won't be able to eat British food anymore.」

「舌鼓を打っているところ悪いんだけど、日本語でお願いできないかい?」

「ああ、美味しい。本当に美味しい。こんなにも美味しい日本食を知ってしまったら、もうブリティッシュ料理なんて食べられないじゃないですか」

「ご丁寧にどうも。素朴な疑問だけど、イギリスの料理って本当に不味いのかい?」

「ええ、本当です。私は母が作る物を食べて育ったので、余計にでもそう感じたのでしょうね。母も、移住して間もない頃は発狂しかけたと言っていました」

「そ、そんなに酷いのかい?」

「ええ、酷いです。所長が言うところのイギリス料理は、フランス料理やイタリア料理などと比べて種類が少なく、食材の種類も貧弱です。英国人自身が、料理の不味さを自虐してジョークのネタにするほどですから。ですが、これだけなら不味い理由にはなりません。本当に酷いのは調理法で、野菜は本来の食感がわからなくなるほど茹でますし、油で食材が黒くなるまで揚げます。麺類も、必要以上に茹でますね。アルデンテなんて概念は、英国にはないのです」

「なるほど。食材本来の味や食感を残さないほど加熱するのか」

「その通りです。しかも、食べる人が好みに応じて塩や酢などで味付けするのを前提としているため、味付けらしい味付けがされていないことが多いのです。なので、旅行する際はお気を付けください」

「肝に銘じておくよ」

「あ、なんでしたら、今度作ってさしあげましょうか? ほら、百聞は一見にしかずと言いますし」

「い、いや、遠慮しておくよ」

「そうですか。では代わりに、こちらをお召し上がりください」 

「こちらって……雑炊の残り?」

「はい。私はもうけっこうですので、残りは所長にお譲りします。残さず食べてくださいね」


 お椀一杯分ではありますが、本来なら私が食べる分まで肉や野菜を食べている彼にとってこの量はきついようです。その証拠に、雑炊をよそったお椀を受け取ったものの箸が進んでいませんし、顔を青くして口の端をヒクヒクと痙攣させていました。

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