第4話

 露天風呂。

 それは日本特有の文化と言って良いと、私個人は考えています。

 こんなことをSNSなどに投稿すれば、すぐさま「露天風呂は台湾やトルコにもある」などとリプライが飛んで来るのでしょうが、再度個人的に、私は先の二つを露天風呂とは認めていません。

 その理由はたった一つ。

 日本において、水着などを着て入浴するのはマナー違反。極端な言い方をすれば禁忌ですが、台湾とトルコの露天風呂には着衣義務があるからです。

 おっと、もちろん異論は認めます。認めたからと言って宗旨変えはしませんが、あくまで、私個人の見解と偏見でそう思っているだけだと補足しておきます。

 話を戻します。

 先ほども脳内で言った通り、日本の露天風呂で着衣は基本的にNG。体にタオルを巻いたまま浸かるのもマナー違反です。

 にも関わらず、彼は私が脱衣所から出て、今は改修中ためお湯が張られていない女湯を経由して露天風呂に到着すると、すでに湯船に浸かっていました。

 時間的に、頭や体を洗い終えてから入ったとは考えられません。しかも、目と腰にタオルを巻いたままで入浴しています。

 これは重大なマナー違反。

 目はともかく、湯船にタオルを浸けるなど言語道断。私が警察なら、即座に手錠をかけて連行するほどの悪行です。


「所長は、本当に日本人ですか?」

「言いたいことはわかる。だけどこれは、僕なりの最大限の譲歩だ」


 ふむ、自分が犯した罪をわかっているのなら、これ以上の言及は勘弁してあげましょう。私も彼の性器を見たいわけではないですし。

 と、思いつつ私は頭を洗い、タオルで髪をまとめてから体を洗って、湯船に入りました。もちろん、拘束と監視、さらに嫌がらせもかねて所長のとなり、肩と肩が触れ合いそうな距離に。


「あ、あの、和渡君」

「なんですか?」

「近く、ないかい?」

「そうですか? 私はそうは思いません」


 この露天風呂は、ざっと見た限りで言うと、湯船だけで約6平方メートルほど。洗い場などを含めたら30平方メートルほどでしょうか。旅館の規模を考えると広い方だと思います。

 その片隅で、肩が触れ合いそうになるほどの至近距離で並んで浸かるのは面積の無駄使い。非常にもったいないと思います。

 ですが同時に、贅沢だとも思います。

 この露天風呂は、上から見るとこんな形に見える旅館の西館、東館両方からのびる渡り廊下で繋がれ、中央に男女別の脱衣所があり、西側が女湯、東側が男湯になっています。男女ともに、サウナもある専用の屋内浴場を経由しなければなりませんが、上から見るとこんな形に見えるはずの入浴施設の真ん中、飛び出た部分がこの混浴を兼ねた露天風呂になります。

 ここから見える景色、特に、私と彼が使っている脱衣所側のここからは、まるで映画のスクリーンのように紅く染まり始めた空を切り取ったように見え、湯船の縁に腰をおろせば、軽く傾斜のついた浴場の造りが、眼下を流れる渓流とそれを引き立てるような山肌と木々を一望できるようになり、双方を同時に視界に取り込めば、それは自然を利用した一大芸術となります。

 

「それを独り占めできるなんて、最高の贅沢です。所長も、少しはこの景色を堪能したらどうですか?」

「僕は遠慮しておくよ。ほら、今は目隠しをしているから」

「取れば良いじゃないですか」

「君、それは本気で言ってるのかい?」

「本気ですが? まあ、私のあられもない姿を見る度胸が所長にあるのなら。と、但し書きは付け加えます」


 ないでしょうけどね。

 実際、彼は「じゃあ、今日のところは諦めるよ」と言って、肩までお湯に浸かりました。私は逆に、温まり過ぎた体を冷やし、さっきまでとは違う角度で景色を眺めるために、湯船の縁に座りました。

 もちろん、万が一にも彼に裸を見られないよう、薄いし濡れて透けているのであまり意味はないなと思いつつも、さっきまで畳んで頭に乗せていたハンドタオルを胸から下腹部にかけて広げて隠しました。


「所長。一つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「改まって、何だい?」

「どうして、私を雇ってくれたのですか? しかも、住み込みで」


 私を雇うメリットなど、彼にはありません。

 逆に、私を雇うことで給料と言う名の本来なら必要なかった出費が発生し、物置として使っていた部屋を私に貸したせいで、そこに詰まっていた物の大半を処分する羽目にもなりました。

 領収書や書類の整理、事務所の掃除とお茶くみ、彼の食事の用意くらいはしていますが、それでもデメリットの方がはるかに多い。

 それなのに彼は、私を雇い続けています。

 知り合いの刑事からは「やっと女に興味を持ったか。でも、手を出した逮捕するからな」と、からかわれたりもしていました。


「放っておけなかった……からかな。君は昔の僕と、少し似ているから」

「似ている? 私と所長が? あの、私はたまにしかいかない学校でも、その高校史上一番の美少女と言われているんですよ? しかも、頭脳明晰のオマケまでついています。その私と所長が似ている? 侮辱しているのですか?」

「ご、ごめん。侮辱するつもりは……」

「ないことはわかっています。今のはBritish jokesです。英国人は毒舌なのですから、一々真に受けないでください」

「そ、そう。なら、少しだけ安心したよ」


 容姿に類似性があるかないかじゃないことくらい、日本人のまどろっこしい言い回しに完全に慣れていない私にだってわかります。

 彼が言った類似点は内面。性格や心などの、その時の気分ですら変わってしまう信用の置けないモノのはず。彼が考える類似点が何なのか聞きたくなった私は、沈黙で続きを促しました。


「僕は自慢じゃないけど、物心ついた頃からろくな目にあってなくてね。記憶に残る一番古い映像は、折り重なるように死んでいた両親の姿だ」

「……ご愁傷様です。で、日本語的には合っていますか?」

「合っているよ。ありがとう。で、だ。その直後の僕と、事務所に殴り込んで来た時の君が似ていた」


 殴り込んだ覚えはありません。

 精々ドアを蹴り破るなり彼の胸ぐらを掴み上げ、住み込みで働かせろと理性的な説得をした程度です。

 その時の私と、幼少期の彼が似ている? 彼も、誰かの胸ぐらを掴みながら何かを迫ったのでしょうか。


「君は、復讐をしたがっているように見えた。僕の両親を殺した奴に、幼いながらも復讐を誓った僕と、同じように」

「私の両親の仇は、所長がとってくださいました」

「そう言えなくもないけど、君は満足していないんじゃないか? でなければ、あんな顔はできないよ」


 その時の私がどんな顔をしていたかは、鏡を見ていたわけでもないのでわかりませんが、これだけはハッキリと言えます。

 それはそうですよ。

 私は両親の仇をうちたい。私を独りぼっちにしたあなたに復讐したい。

 その感情が、包み隠していたつもりだった当時の私の顔に、あなたと会うなり出てしまったのでしょう。

 同年代はもちろん、年上だろうと年下だろうと理解してくれなかった私を、唯一理解してくれた両親を殺したあなたを今でも恨んでいるのですから当然です。


「だから、私を雇い、住まわせてくれていると?」

「まあ、そういうこと。君には、僕と同じ過ちは犯してほしくなかったからね」

「同じ……過ち?」


 それは復讐の果てに殺人の喜びを知り、持てる知識と技術を駆使して人を欺く悦びを知り、全能感に似た歪んだ恍惚と達成感を感じて犯罪に手を染めたあなたと、同じようになってほしくないからですか?

 私にもあなたと同じ素質があったから、それを阻止したかったのですか?

 

「君は僕と違ってまだ若い。しかも、才能もある。だから、醜い人生を歩んでいる僕を反面教師にして、真っ当な人に育ってほしいと思って雇ったんだ」

「それは、どういう意味ですか?」


 まさかここで、今までの罪を自白するつもりはありませんよね?

 だったら、やめてください。

 あなたの犯してきた罪は私自ら白日の下に晒し、社会的にも生物的にも殺します。なので、それまではやめてください。ここで自白されたら、私は生きる意味を失ってしまいます。

 そんな心配をしながら見つめていた私に、彼は悪びれもせずに……。


「要は、僕みたいになってほしくないからだよ」


 と、曖昧な答えを残して、脱衣所へ消えていきました。

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