第2話
少し、彼について話しましょう。
彼の名前は山田 太郎。
私が住み込みで働く山田探偵事務所の所長を務める30歳の独身男性で、どこにでもいそうな普通の見た目 (と、私は思っています)をしています。
彼の名前が英語圏におけるジョン・スミスと同義だと知った時に、「偽名なのでは?」と、疑った覚えがあります。私の名前と対を成しているかのように単純ですね。と、思ったりもしました。
ですが調べたところ、これは間違いなく本名。
日本人にとっては書類の記入例に用いられるくらい在り来たりで馴染み深い名前のようですが、それ故に山田太郎と名乗る人は稀らしく、本当かどうかは知りませんが、名乗られた人はすべからく偽名じゃないかと疑うそうです。
「まあ、覚えやすい名前なのは、間違いないようですが」
と、キャリーケースに着替えを詰めながら、私は独り言を口にしました。
確かに、日本人からすれば覚えやすいのかもしれません。
私だって、初めて会った人がジョン・スミスと名乗ったら偽名を疑いつつも、一発で覚えてしまうでしょうから。
ですがそれ故か、彼は人の記憶に残りません。
中肉中背で平均的な顔立ち。身長も、高くもなく低くもない。
平均と言う言葉を具現化したようなその外見は、何度も会って会話も飽きるほどしている馴染みの刑事さんや私以外の人の記憶には残りにくい。どこにでもいそうな人だから、誰の記憶にも残らない。
彼と行動を共にするようになって、現実的な透明人間とは、彼のような人を言うのでしょうねと、密かに思いました。
いようがいまいが、誰も気にしない没個性。
目の前にいても、存在を忘れてしまうほどの無個性。
彼はよく、私にキャラ設定を盛り過ぎだと言いますが、彼は逆です。
彼は盛って無さすぎです。
だから誰しも、凄惨な殺人事件が起きても彼を無意識に容疑者から外してしまう。人畜無害と言えば聞こえはいいですが、それは彼の被った羊の皮が厚すぎるから。
推理ショーと言う名の最後の狩り場に至るまで、狼のごとく残忍で鋭い牙をひた隠しにできるその羊の皮が、彼に何度も罪を犯させているのです。
「あの時も、「まさかこの人が」と、思いましたっけ」
探偵だと知って驚いたのではなく、犯人ではないかと疑った時にそう思いました。
私が両親と一緒に来日するなり巻き込まれた事件は、宿泊したホテルのお客と従業員を合わせた、百数十人にも及ぶ容疑者がいる事件でした。
もちろん私と両親も、最初は容疑者でした。
最初の犠牲者は、どこの誰とも知らない中年男性。
警察は宿泊客、ならびに従業員の中に犯人がいると決めつけて、容疑者となった全ての人たちをホテル内に監禁……失礼。言葉が悪いですね。
「事件解決のためにご協力していただくために、しばらくの間ホテルから出ないでください」と言って、数日間幽閉しました。
いわれのない質問を散々され、アリバイを聞かれ、被害者との接点も聞かれました。
その後に調べてわかったのですが、最初の被害者である中年男性は、けっこうなお偉いさんだったようです。
そのせいで、私と両親、他の容疑者たちは、アリバイが確立されていようがなかろうが、ホテルから出ることを許されなかったのです。
そして次の日、何故か私の両親が殺されました。
部屋はオートロックなので父が管理していた鍵か、もしくはホテル側が持つマスターキーでしか開錠できませんでした。
そんな状況だったので当然、密室内にいてアリバイもない私が第一容疑者となりました。なりましたが、無残に頸動脈を切り裂かれた両親の血を頭から被り、半狂乱になっていた私は容疑者でありながら、事実上、除外されていました。
まあ、両親を殺されてパニックを起こして泣き叫んでいる少女がいたら、いくら状況的に最有力でも容疑者から外したくなる心情は理解できます。
ですが私は、両親の死に様を見て取り乱しはしても、オックスフォード大学を飛び級で卒業するほどの天才。
冷静さを取り戻すなり、両親を殺害した犯人を探し始めました。
「まあ、まともに調査なんてできませんでしたが」
いくら天才とは言え、私は日本では無名の一般人。
そんな私に警察が捜査状況を教えてくれるわけもなく、容疑者たちのアリバイすら満足に聞くことができなかったので、早々に行き詰まりました。
警察の目の前で、私と両親の部屋で行われた密室トリックを解き明かしても、私には何一つ情報を開示してくれなかったのです。
そんな経験があったので、日本の漫画でよくある、事件に巻き込まれた素人の凄い一面を見た警察が、いぶかしみつつも捜査に関する情報を教えるシチュエーションを見たとき、「いや、ないない」と、独り言ちながら鼻で嘲笑ってしまいました。
「もし、彼がいなければ……」
きっと犯人の名前はおろか、顔すら知ることすらできなかったかもしれません。
動機なんてもっとそうです。
あの事件は、最初の被害者の愛人による犯行で動機は痴情のもつれ。両親とその後に追加で殺された2人は、動機から自分が犯人だと悟られないよう、捜査の目を誤魔化すために殺されたスケープゴートでした。
なんともふざけた理由です。
ただ、動機を隠す。
そのためだけに、私の両親は殺されました。私が殺されなかったのは、私を第一容疑者とするためでした。
それを、たまたま同じホテルに宿泊していた彼が、警察関係者や私を含む容疑者たちの前で解き明かして事件を解決してくれました。
それからい一週間経ち、二週間経ち、火葬されて小さくなった両親をイギリスのお墓に埋葬して再び来日して高校へ編入した頃になってようやく、あの事件の不自然さに気づきました。
あの女性が本当にあの事件を起こしたのか、気になったのです。
なので、私は犯人の素性を調べました。
ネット上に散乱する情報から信憑性の高いモノをピックアップし、彼女の交友関係から学歴、生い立ちに至るまで足を使って調べました。
その結果、あの女性にあんな事件は起こせない。いえ、正確には、あんなトリックは思いつけさえしないと、私は結論づけました。
ですが、彼は証拠を次々と挙げて彼女を追い込み、彼女は犯した罪を悔いてホテルの窓を破り、飛び降り自殺をしています。
「今思えば、墜ちる寸前の彼女と目が合ったから、私は違和感を覚えたのでしょうね」
彼女の瞳は「やっぱり、わたしはやってないよね?」と、訴えかけているようでした。 ここで働くようになってから遭遇した事件でもそうです。
彼に追い詰められて自殺した人たちはみな、同じような訴えを瞳に宿して死にました。
それを思い出した私は、彼のことを調べました。
その結果わかったのは、異常なまでの犯罪遭遇率。
警視庁の捜査一課ですら諸手を挙げて歓迎する名探偵と呼ばれる彼が、ここを開業してからの10年間で遭遇した分だけでも120件以上。年間で約12件。月に換算するとほぼ毎月、何かしらの事件に遭遇していたのです。
さらに付け加えると、彼が遭遇した事件での死亡者数は平均で3人。100%、誰かしら死亡していました。
これはどう考えても異常。
彼が事件に巻き込まれているのではなく、彼が事件を起こしているのではないか。と、思い至るのに、さして時間はかかりませんでした。
「だって、そう考えると不自然さが解消されるんですよねぇ……」
両親が殺された事件でもそうでしたが、彼は容疑者でありながらそう扱われず、捜査協力を求められていました。
彼が欲しい情報を、警察は惜しげもなく提供していました。
今まで彼と一緒に巻き込まれた事件でもそう。
彼は最初から容疑者から外され、事件現場にも顔パスで入り、警察を顎で使って好き勝手していました。
そんなことができるのなら証拠を捏造し、罪は犯していないけれど犯してもおかしくない人を犯人に仕立て上げるのは造作もない……ように思えます。
「おっと、ついつい、脳内回想が長くなってしまいました。早く準備を終わらせないと」
明日から三泊四日の温泉旅行……ではなく、温泉旅館を若女将として切り盛りする依頼人からの依頼で、遺産相続に関する家族会議の場に参加するため、わざわざ行かなくてはならなくなったのです。
なので、これは仕事です。
断じて旅行ではなく、呑気に温泉に浸かる暇などありません。いえ、温泉に入りたくないわけではなく、あくまでそういう可能性も否定できないと言いますか、温泉くらいは入りたいなと言いますか、むしろ入りたいと言いますか是が非でも入りますし、温泉に入れないのに温泉旅館に行く理由などありません。
「はっ! いけません! これは駄目です! 日本の温泉に憧れに近い感情を抱いていたのは事実ですが、これでは駄目です! こんなに浮ついていたら……」
彼の犯行を見逃してしまいます。
相手は証拠を一切残さず400人以上を殺した殺人鬼なのですから、温泉の魅力に惑わされていては駄目。彼の一挙手一投足を逐一見逃さず、彼の行動を油断なく監視しなければ彼に犯行を許してしまいます。
また、彼の被害者を増やしてしまいます。
でも、温泉には入りたい。
私の体を流れる、日本人の母の血が温泉を求めている……ような気がするのです。いわば、本能に衝き動かされている状態です。
頭は良くても私はまだ17歳で、子供と呼んでいい年齢です。故に、それに抗えるほどの精神力を有してはいません。
つまり、本能に乞われるがまま温泉に入っても、仕方がないのです。
ああ、でも、彼から目を離すわけにもいきません。
「あ、そう言えばあの旅館の露天風呂は……」
二律背反する行動を成立させる方法が、まるで雲の隙間から太陽の光がさすように、脳裏に照らし出されました。
この方法なら、リスクはありますが彼を監視しながら入浴できます。
「混浴。つまり、彼と一緒に入浴すれば何の問題もありません」
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