第1話
探偵がいなければ、事件は起こりません。
綿密に計画された誘拐も、大胆不敵な強盗も、凄惨な殺人も、探偵が存在するからこそ起こってしまうのです。
逆に言えば、探偵、もしくはそれに相当する人物が存在しなければそれらの事件は起こりません。
と、その手の小説や漫画、アニメ、ドラマなどを見るたびに頭の中で浮かび上がるこの逆説は、フィクションの中でなら成立すると思います。
探偵が、殺人が計画されている洋館なりに招待、またはたまたま迷い込んで事件に巻き込まれるばかりか解決するなんて、現実の世界ではあり得ません。
いえ、あるかもしれないですよ?
浅学な私が知らないだけで、実際はあるのかも知れませんし、そうでないと物語が成り立たないことも理解しています。ですが知らないので、知るまではないと断言して良いでしょう。
ただし、探偵自身が事件を画策し、演出し、実行するなら話は変わります。
「和渡さん。昨日、電話してきた依頼人は、何時に来る予定だったかな?」
「14時です。それよりも所長。その呼び方、やめてくださいって何度もお願いしましたよね?」
「何か問題が? 君の名前は
「正確には、リリー・和渡黄華・シャーウッドです」
「じゃあ、やっぱり和渡さんじゃないか。それとも、ミス・シャーウッドの方が好みなのかな?」
「それも嫌です」
私の名前はややこしい。
英国にいた頃は、必要のない限りはリリー・シャーウッド。日本に来てからは和渡 黄華で通していますが、私のフルネームには英名のリリー・シャーウッドと日本名の和渡 黄華という、どちらの国でもフルネームで通用する名前が混在しているからです。
英国人の父と日本人の母の間に生まれたハーフである私が、どちらの国にいても好きな方を名乗れるようにと両親はこの名前にしたそうですが、つけられた私からすれば迷惑この上なく、日本語で言うところの有難迷惑なのです
英国ではリリー・シャーウッド、日本では和渡 黄華と名乗るのを期待したのでしょうが、呼ぶ方はそんな両親の期待など知らぬが故に、好きなように呼びます。
特に、日本に来てからが酷い。
人によってリリーと呼んだり黄華と呼んだりバラバラ。例えば、いくら自分の名前と言えどもリリーと呼ばれてすぐに黄華と呼ばれたら、自分が呼ばれたのだと認識するまで数秒を要すことが多々あります。
それは名字でも同じです。
さらに名字の場合は、不快感が加わります。
和渡。と、呼び捨てにされたり「君」付けにされるのは構わないのですが、「さん」付けは駄目です。字面も音も違うのですが、イントネーションが似ているせいで「ワトソン」と呼ばれているように聞こえるのです。
たしかに私は、とある事情で探偵である彼の助手をしていますが、ワトソンと呼ばれるのは受け入れられません。
だって、私のファミリーネームはシャーウッドですから。
だからと言って、ミス・シャーウッドと呼ばれるのも嫌。
後者の場合は不快感こそありませんが、日本でそんな呼び方をされたら悪目立ちするんですよ。
私が父の血を色濃く受け継ぎ、ハーフだと一目でわかるような外見であればそれでもいいのですが、あいにくと私は母の血を濃く受け継いだらしく、瞳は明るめの茶色ですが、このくらいの色なら珍しくもありません。肌も純日本人と比べたら色白なのですが、それでも日本人寄りの肌色です。背中の中ほどまでのばしている癖のない髪は母譲りの黒髪。身長も150cmと、同年代の日本人女性の平均身長を考えると低めで肉付きも悪く、スレンダーと言うよりは貧相。
日本に来たばかりの頃は、「ハーフのクセに胸が小さい」などと、外国人女性が全員巨乳だとでも思っているのかと言いたくなるようなことを面と向かって言われたこともありました。
救いがあるとすれば、両親の良いとこ取りと自虐している顔くらいですね。どうも私は、それなりの美人らしいです。
そんな日本人寄りの外見をしている私が、日本でミス・シャーウッドなどと呼ばれたら悪目立ちしてしまうのは考えるまでもなく当たり前です。
「わかった、わかった。気を付けるよ、和渡さ……じゃない。和渡君」
「ええ、くれぐれもお気をつけください。もし、また「さん」付けで呼んだら、16歳の若さでオックスフォード大学を飛び級で卒業して現在は日本の高校生活を満喫中の私をバイトと偽って事務所に連れ込んでレイプしたと警察にタレこみますから。昨今の日本は、女性の言うことはどんな理不尽な内容でも信じないといけない風潮のようですので、100%所長を犯罪者にできます」
「妙に説明的なセリフだけど……わかった。肝に銘じておくよ。それより、オックスフォード大学を飛び級で卒業した君は、学校に行かなくてもいいのかい? 一応、今は高校生だろう?」
「高校は制服と女子高生探偵助手と言う肩書のためだけに在籍しているので、べつに行かなくても平気です。学校側も、オックスフォード大学を飛び級で卒業した天才が在籍していると宣伝したいだけなので、試験で結果さえ出せば出席日数がどうとか言ってきません。要は利害が一致しているので、気が向いた時だけ行けばOKなのです。もっとも、オックスフォード大学の最年少卒業者は9歳なので、私は言うほど天才という訳でもありませんけどね」
それでも、私の学力は日本の高校生の平均を大きく上回っています。
学校の中間、期末試験で一位を取るくらいなら勉強しなくても余裕ですし、全国模試でも10位以内には食い込めています。
おっと、名誉のために補足しておきますと、私は日本語が堪能で読み書きもできますが、それでも古典と現代文、いわゆる国語に分類される科目は今まで勉強したことがなかったので苦手です。だって、日本に来る前までの私にとっての国語は英語でしたから。
それさえ克服できれば、全国模試で一位も余裕なのです。他は飽きれてしまうほど簡単なので、全国模試で一位も余裕です。実際、毎回満点ですしね。
日本人は、あの程度の問題しか出せない試験で満点を取れないのかと、頭の心配をするほどです。
「イギリス人と日本人のハーフ美少女でオックスフォード大学を飛び級で卒業する天才の女子高生探偵助手って、キャラを盛り過ぎなんじゃないかい? その私服も、どこかの学校の制服を魔改造した物だろう? キャラが濃すぎるよ」
「いえいえ、これでもかなり抑えたキャラ設定です。ちなみに、今着ているのはブレザータイプですが、別にセーラー服タイプもあります。あ、さらに補足ですが、来日するなり両親ともども巻き込まれたおよそ一年前の連続殺人事件で両親を失い、その事件を解決してくれた探偵である所長が貸しビルの三階で経営するこの探偵事務所に、住み込みのアルバイトとして転がり込んだ。が、抜けています」
「再度、説明的なセリフをありがとう。もしこれが小説なり漫画なりだったら、読者は君の境遇をおおむね理解できたと思うよ」
お褒めにあずかり光栄です。とは、心の中でも言いません。
何故なら私は、両親が死ぬことになったあの連続殺人事件を仕組んで実行したあなたの悪事を暴き、復讐するために言いたくもないことを言い、情に訴えて、純潔すら奪われる覚悟で潜り込んだのですから。
「ところで、今日来る依頼人の素性は調べてくれたのかい?」
「ええ、もちろんです。所長が初めて私に任せてくれた仕事なので、張り切って調べました」
「僕が君に任せた? おかしいな。僕は君に、「私に調べさせろ。私に任せてくれないのなら、これから先の食事は白米と漬物だけですよ」と、脅されたからしかたなく……」
「それは所長の記憶違いです。では、報告します。依頼人は某県某市某町の廃れた……失礼。ひなびた温泉旅館を営む家族の長女で、年齢は46歳。婿養子の夫と共に若女将として旅館を切り盛りしています。補足ですが、大学に通うために一人暮らしをしている息子がいます。話を戻します。土地や建物の権利は女将である母親、年齢70歳が握っているようです。今回の依頼は、末期癌で余命幾許もない女将の遺産相続についての相談のようです」
「相続の相談なら探偵ではなく弁護士にしろ。と、言いたいところだが、逆に言えば探偵に相談しなければならない事情があるということだ」
「その通りです。どうも依頼人は、最も多く遺産を相続できそうな自分が、それを妬んだ弟妹に殺されるのではないかと危惧しているようです」
一人っ子で兄弟姉妹に憧れがある私には理解できませんが、実際の兄弟姉妹は自分の利益のためなら血縁を殺すことすらいとわないほど、殺伐とした関係みたいです。
一人っ子が故に、両親の遺産を何の問題もなく全て相続できた私は、そう考えると幸せなのかもしれません。
そんな私の心境など意に介さず、彼は話を進めました。
「遺産絡みの殺人か。そこらへんに転がっていそうな事件だな。親族の調べは?」
「もちろん、調べはついています」
遺産絡みの殺人がそこらへんに転がっていてたまるか。と、思いつつも私は、依頼人の下に四人いる弟妹に関する情報を口頭で伝えました。
さらにオマケとして、女将の遺産の内でもっとも価値のある、土地に関する情報も。
「なるほど。再開発の関係で、そのあたりの土地の値段が高騰している訳だね?」
「はい。旅館が建っている場所も、市が誘致している大型のショッピングモールへの導線となる道路が通る予定になっているため、去年までは大げさではなく正に二束三文だったのに、今では坪単価百数十万円に高騰しています。田舎が故に坪数は相当あるので、全てを相続して売った場合の利益は億単位です。しかも、導線となる道路は最も恩恵を受けるショッピングモールではなく、市が通すため公道扱いで、予算もすでに下りることが決定しています。つまり、億単位の金が転がり込むことは確定しているのです」
お金のために肉親を殺すような人たちからすれば、この旅館の女将さんが受け継ぐ予定の遺産は、それこそ殺してでも奪いたいもの。
実際、私が持てる情報網を駆使して集めた彼女の親族たちは、誰も彼もが大なり小なりお金に困っていそうな人ばかりでした。
所長の言葉を借りるのは癪を通り越して屈辱ですが、そこらへんに転がって良そうな人たちです。
「仮に殺人事件が起こるとして、君は誰が犯人だと思う?」
「起きてもいない事件の犯人を語るなどナンセンスですが……。しいて言うなら、末っ子でもある次男でしょうか」
「その理由は?」
「ありきたりすぎて言うのも恥ずかしいのですが、ギャンブルと女性関係で浪費しすぎて、一千万に届きそうな額の借金を抱えているからです。他の親族もそれぞれの理由でお金を欲していますが、次男が圧倒的ですね。ただし、動機がハッキリとしているからという理由だけではありません。次男は裏社会の人間……と、言ってしまうと何故かカッコよく聞こえてしまいますので言い方を変えます。チンピラと根深い付き合いができる人脈とコミュ力もありますし、意外なことに学歴もあります。きっと、地頭が良いのでしょう」
「つまり性能面でも、有力だと?」
「あくまで、殺人事件が起こると仮定した場合です。彼なら3、4通りのトリックを駆使して不可能犯罪を演出するくらい訳ないと思います。殺されるのは、最有力は依頼人。次点で長男。最悪の場合は、皆殺しでしょう」
今時点で予想できる事件の概要を言いはしましたが、我ながら馬鹿馬鹿しいことを言っているなと呆れてしまいます。
確かに次男はお金に困り、殺人を犯しそうな危うさもあり、実行する胆力もあるようですが、まだ事件を起こしていません。
もしかしたら分配される遺産で満足し、事件を起こさない可能性もあります。
それなのに彼も私も、殺人事件が起こる前提で話をしています。
彼の場合は、私が集めた情報を元にどう事件を演出するか考えながら話しているから。私の場合は、彼がどうやって事件を演出するのかと考えながら話をしているからです。
「ん? 誰か来たようだね。依頼人かな?」
「約束は14時なので、まだ早すぎます。おそらく、配達の類でしょう」
私たちの思考は、無遠慮に鳴り響いたチャイムによって中断させられました
出てみると案の定、そこには郵便局の制服に身を包んだ配達人。私宛の荷物だったのでサインをして荷物を受け取って、ドアを閉めました。
「誰からの荷物だい? 国際郵便のようだが」
「英国の友人から、私への荷物です」
「友達? 君に?」
「それは、どういった意図からきた質問ですか? 所長は、私が友達の一人すらいないコミュ障のぼっちだと思っていたのですか?」
私は、友達とは対等な存在だと思っています。
私と同等の知識を持ち、同レベルのIQを持ち、私と寸分違わぬレベルの頭の回転速度を持つ人です。
日本ではまだ出会えていませんが英国、さらに付け加えるならオックスフォード大学に通えるレベルの人なら、少数ながら男女問わず私の友人足り得ます。
私が両手で抱えるこの荷物を送ってくれたのも、そんな数少ない友人の一人です。
頭は良いくせに、それを良い男をつかまえることのみに行使する少し残念な人ですが、唯一と言って良いほど、私が信頼を置く人です。
性に奔放すぎるところは以外は、本当に信頼できる年上の友人です。
そこまで語るつもりはなかった私は、彼が「い、いや、そういうつもりはなかったんだが……」と、言い淀んだ隙を突いて「では、どういう?」と、投げ返しました。
「中身が、少し気になってね」
「それ、教える必要がありますか?」
「必要はないが、イギリスからわざわざ送ってくる物に興味があってね。僕には、教えられない物かい?」
「教えられないと言うより、教えたくありません」
「どうしてだい?」
「あっちでしか売っていない下着だからです。所長は、従業員がプライベートのために買った下着を見せろとおっしゃるのですか?」
「言ったら、どうする」
通報します。
と、言いたいところですが、良からぬ物を購入したと疑われるのも癪なので、箱から出してパッケージに包まれたままの下着を彼に見せました。
それを目にするなり彼は両目を見開き、口の端をヒクヒクと痙攣させ始めました。
たっぷり1分ほどその状態で固まってから、彼は申し訳なさそうに口を開きました。
「えっと……。それは、未成年が購入して良い物なのかい? 布がほとんどない。隠すべき場所をまったく隠していないじゃないか。僕には、装飾がされた紐にしか見えないんだが……」
「だから、見せたくなかったのです」
私だってお年頃。
いつかあるかもしれない性夜に備えて、勝負下着の一つくらいは持っていたかったのです。
でもまあ、未成年が購入して良いかと疑いたくなる気持ちはわからなくもありません。実際に私も、友人に勧められた時に同じことを言いましたし、正気を疑いましたから。
ですが、実物は初めて見ましたが、本当に正気を疑うデザインですね。彼が言った通り隠すべきところを一切隠しておらず、正に紐です。
男性は、本当にこういう下着が好きなのですか? これで本当に、勝負ができるのですか? 彼がそうだったように、哀れむような目で見られるのではないですか? 頭の心配をされるのではないのですか?
次々と頭に浮かんできた疑問……いえ、不安が私の羞恥心を刺激したせいで、これを身に着けている自分の姿が脳内をかすめました。
いやいや、本当に無いですね。完全に、ただの痴女です。
仮に相手が結婚した相手なら、マンネリ防止に効果的なのかもしれませんが、男性との交際経験もなく、性体験もない私が着けるにはオーバースペック。
それを見られ続けるのが恥ずかしくなった私の顔は、燃えているのではないかと心配になってしまうくらい熱くなりました。
「も、もう、しまってもよろしいですか?」
「ああ、ごめん。しまってくれてかまわないよ。だが……」
「何ですか?」
「それ、使うのかい?」
使うのか?
そりゃあ、入手したからにはいつかは使いますよ。予定どころか相手すらまだいませんが、使う機会があれば躊躇なく使います。
とは、言い訳臭くなってしまいますのであなたには言いません。
「言う必要がありますか? と言うか、さっきのも今のもセクハラですよね? 通報してよろしいですか?」
「わかった、降参だ。もう聞かないよ」
わかれば良いのです。
そう言ってやる代わりに鼻を一度「ふんっ」と鳴らして下着を箱にしまい、私は彼に背を向けて自室へと向かいました。
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