SCENE 67:青空

 気がつくと、あの頃の、あの場所にいた。


 カナベラル・コロニーの住宅街を少し離れた、草原の丘。


 草原の丘に立つ大木の根元で、私達は座っていた。

 右隣にはコウイチが片膝を上げて座っていて、左隣にはレイストフがお行儀よく膝を抱えて座っている。


 何も言うでもなく、私達はそこから見えるカナベラルの街を眺めていた。

 遠くから見ると、大きな電気自動車エレカも道ゆく人々も、オモチャみたいに思えた。


 いつか大人になったら、あんな風に街ゆく人々の一部になるのだと、漠然と考えていた。

 今の楽しく自由な毎日がなくなると考えると、足場が崩れていくような不安に駆られるけれど、2人がいれば、大丈夫だと思えた。


 3人でいるこの時間が、私は好きだった。


 ふと遠くから吹いた風に、草原が小波に揺れた。

 陽光を反射する線が草原に走り、一瞬の内に3人の元を通り抜けていった。


 僅かに土埃が舞い、私は目を閉じた。

 耳元に風が舞う音が木霊する。


「——行かなきゃ、俺」


 右隣から突如、そんな声が聞こえた。

 見ればコウイチは立ち上がり、遠くを見つめていた。その顔は座るアイリの角度からは見えず、アイリは本能的な恐怖を感じた。


「……待って」

「俺、素直になれなくて……悪かった」


 うわ言のように呟くコウイチの姿は、気がつくと17歳の頃の姿に変わっていた。


「……待ってよ」

「傷つけて、ごめん……色々、ごめん」


 そう一方的に告げたコウイチは、草原を下り始めた。


「待って!」


 立ち上がり後を追おうとしたが、足は一歩も動かない。

 そうこうしている間にも、コウイチの後ろ姿は遠ざかっていく。


「レイストフ、コウイチが!」


 左隣にいるはずのレイストフに追ってもらおうとした。

 だが、そこには誰もいなかった。


「コウイチ!」


 必死に手を伸ばすが、コウイチの背中はどんどん遠ざかっていく。

 やがて草原の景色さえも遠ざかっていき、黒い闇に覆われていく。


 嫌だ。

 こんな別れ。


 待って。

 待ってよ。



 *



「コ……イチ……」


 アイリは医療用筐体メディカルポッドの中で、自身の呟きと共に目を覚ました。


 視線を巡らせると、半透明なカバー越しにタンテと目があった。

 タンテの見開いた目に、みるみる涙が溜まっていく。バッと影が差した方を見れば、マニもまた涙を浮かべていた。


 医療用筐体のカバーが空気の噴出音と共に開き、上がっていく。

 遮光効果のあったカバーがなくなったことで医療室の照明が突き刺さり、アイリは目を細めた。


 口元を覆っていた供給マスクを外す。

 喉元にまで入っていたチューブの異物感に気付き、えずきながら取り外す。


 全身が痺れるように痛かったが、タンテの助けを借り、なんとか身体を起こすことができた。

 マニは医療室の艦内端末を通して誰かを呼び出している。


「アイリ……どこか痛い所は?」


 タンテは抱きつきたい衝動を堪えた泣き笑いのような珍妙な顔で、アイリの背中を支えている。

 アイリはそれに応えようとしたが、喉がガラガラに乾いており、上手く声が出なかった。


 覚醒直後の曖昧模糊とした意識の中で、アイリは強烈な義務感に駆られた。


(……行かなくちゃ)


「アイリ?」

「…………」


 アイリはタンテの肩にすがりながら医療用筐体から足を下ろすと、すぐそばの点滴懸架台を掴んだ。弛緩した筋肉がいうことを聞かず、何度も挫けそうになるが、歯を食いしばって立ち上がる。


「ちょ、ちょっとアイリ! まだ立っちゃだめだって!」


 タンテの制止を振り切り、一歩ずつ出口へと歩いていく。

 背中からタンテの慌てふためく声が聞こえていたが、気にはしていられなかった。


 医務室の扉を開け、船内通路へ。

 通路は不気味な静けさに包まれており、船の外からも大きな音は聞こえてこない。


 あれからどのくらいの時間が経ったのか、今どこにいるのかはわからなかった。

 ただ、今は動かなければならないと思った。


 アイツの所に、行かないといけない。


(コウイチ……)


 アイリは点滴懸架台を支えにしながら、通路を進んで行った。



 *



 一機の拡張人型骨格がエコーズの群れに突撃して行った後、惑星ヒューゴの上空で凄まじい爆発が起こった。その爆発は周囲一帯のエコーズを1匹残らずに消滅させるほどの強烈なものであったが、不思議なことに、マグナヴィアには傷ひとつなかった。


 あの黒雲とエコーズで覆われていたヒューゴの空は、今や見渡す限りの青空が広がっていた。

 

 周囲に朽ちた天蓋都市や撃破されたエコーズの残骸などが落ちていなければ、平和だった故郷の景色そのものに見えた。


 艦橋室の面々は、モニター越しに広がる陽光の差し込む景色に見惚れていた。

 そんな中で、レイストフがいち早く我に返った。


「——エコーズは!」


 レイストフの声に、慌てて生徒達が制御盤を叩き始める。

 数十秒後、各所から報告が上がる。


「——艦周囲1000kmに、敵影なし!」

「地上に4機の拡張人型骨格オーグメント・フレームを確認! 操縦者パイロットも無事です!」


 ティアナとクロエに続き、報告を上げる。

 敵はいなくなり、味方は生きている。その事実が、徐々に脳裏に浸透していく。


「って、ことは……」

「勝った……?」


 艦橋室の面々の喜びが膨れ上がり爆発しかけた時、レイストフの鋭い声が引き裂いた。


「——5はどこだ!!」


 その怒号で、生徒達はこの状況を作り出した、黄金の拡張人型骨格の存在をようやく思い出し、慌てて制御盤に取り付いた。


 緊張した数十秒が流れる。

 ダミアンが声を上げた。


「——落下中の物体を発見……拡張人型骨格だ!」


 その報告に艦橋室は沸き立つが、レイストフが再び空気を締め戻す。


「減速しているのか!?」

「——まずいぞ!」


 ダミアンが慌てて叫ぶ。

 レイストフが艦橋室を飛び出そうと駆け出すが、それをティアナが制止した。


「——何を!」

「大丈夫です。ほら」


 ティアナが穏やかに指差したのは、モニター。

 そこには、天へと昇っていく2機の拡張人型骨格がいた。



 *



 ぼうっ、と大気層を突き抜け、自由落下する拡張人型骨格が現れた。


 機体の全身は真っ黒に焦げつき、胸元には大きな穴が開き、頭部バイザーは砕け、背部の重力波受信機ウェーブアンテナは根本から折れている。


 落ち続ける機体は、上空でふわりと、動きを止めた。


 そこには、重力場を展開したモリスとサドラン、2機の拡張人型骨格がいた。


 ボロボロになった機体を抱きとめるように、2機が手を広げて、重力場で減速させたコウイチの機体を受け止める。


『——無茶しすぎなんだよ。この馬鹿』

『——おかえり。本当に、おかえり……コウイチ君』


 サドランはボロボロと泣きながら、モリスは嫌味ったらしく喋っているが、鼻声だった。


 今は見渡す限りの蒼穹の中で、3機の拡張人型骨格はゆっくりと降下し続け、2機は傷だらけのコウイチの機体をゆっくりと地面に横たえた。


 ワッという歓声がマグナヴィアの方から聞こえ、見れば、マグナヴィアの各ハッチから大勢の生徒達が湧き出していた。皆、モニター越しに彼らの戦いを見ており、ついに勝利したことを悟り、それを成し遂げた立役者たる英雄の帰還を迎えたいのだ。


 ——おかえりー!

 ——ありがとー!

 ——かっこよかったぞー!


 集まった生徒達が次々と叫び声を上げる。

 そこにはマグナヴィアにいるほぼ全ての生徒が集まっていた。


 そこには、生徒会の面々と、息を切らしたアイリの姿もあった。


 モリスとサドランは機体を膠着姿勢にすると、機体を飛び出し、ボロボロのコウイチの機体に取り付気、コックピットハッチを回した。焼け焦げているせいか正常に作動しなかったが、拡張人型骨格はゆっくりと、確実にその口を開けた。


 シーラが、操縦席の上で膝を抱えて蹲っていた。

 その肩はわずかに震え、微かな嗚咽が聞こえてくる。


 モリスは自分の目を疑い、震える喉をなんとか動かした。


 「……シーラ……ちゃん。コウイチ……は?」

 「…………」


 シーラはただ泣くばかりで、何も答えはしなかった。

 原因は何もわからなかったが、目の前の現実は、シーラに聞くまでもなかった。


 コックピットには、1


 英雄コウイチは、跡形もなく消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る