SCENE 17:契約
「………」
誰かに呼ばれた気がして、少女は目覚めた。
少女の視界に映ったのは、無数の赤い球体。
視界を覆い尽くさんばかりの赤いこれが何なのか、少女は思い出すために数秒の時間を要した。
少女の知識が答えを導き出す。
(——これは、血だ)
血液——動物の内部を循環する主要な液体で、全身の細胞に酸素や栄養を運搬する役割を持つ。
だがなぜ、その血液が散乱しているのかは分からなかった。
それどころか、少女は何もわからなかった。
——ここがどこなのか。
——なぜ、ここにいるのか。
——自分が何者であるのか。
(分からない……)
何もかもが不明瞭な中で、少女は一つだけ知っているものを見つけた。
宙を漂っている少年を——コウイチを見た。
血液の大量流出により顔が真っ白になった、瀕死のコウイチを。
正確に言えば、少女はコウイチを知らなかったが、懐かしさのようなものを感じた。
それは非常に微かな感覚で、少女の記憶が真っ白なキャンバスのような状態でなければ、決して見つけられないであろう、僅かな残滓。
「…………」
少女は、コウイチを掴もうと手足をバタバタと動かしたが、空を切るばかりだった。
ようやく、自分が無重力空間に浮かんでいることを理解した少女は、通常宇宙服の姿勢制御装置を噴射した。
推進力が少女の身体を運び、コウイチを抱き抱えるような形で掴んだ。
少女はコウイチの血液の流出を塞ごうと手をかざした。
だがそんなことで流出が止まるわけもなく、失った血液が戻ることもない。
「…………」
少女は、コウイチが死の淵の間際にいることを知った。
数十秒後にはコウイチの脳が壊死すると、少女の知識が冷酷に告げていた。
——助けなければならない。
少女はそう思った。
コウイチが自分を助けようとしてくれたのだという、根拠のない確信があった。
そして少女は、瀕死のコウイチを助ける方法を知っていた。
その方法を実行しようとした少女の五感が、周囲の違和感を捉えた。
「…………」
吊り下げられたパイプやワイヤーが小刻みに震え、航宙艦の置かれたドックの重力場も異常を見せ始めた。
各所に置かれた道具や器材が天井に落下するように登っていくかと思えば、数メートル隣では工具が壁に向かって落ちていく。
循環反応炉の臨界まで——ローバス・イオタの終焉まで、秒読み状態であった。
臨界に達した瞬間、循環反応炉の内蔵するエネルギーが重力場、熱波の順で到来する。
第一波の重力場の時点でローバス・イオタは内側から木っ端微塵になり、第二波の熱波が何も残さずに蒸発させる。
終わりを控えた学園の地下で、少女はコウイチと向かい合った。
コウイチの小作りな顔立ちも血の気が消え、土気色へと変わって来ている。
「…………」
少女はしばらくコウイチの顔を見つめていたが、静かに手を伸ばし——自身とコウイチの通常宇宙服のバイザーを上げた。
圧力差でヘルメットの内外が吹き荒れた。
少女は構わず——コウイチと唇を重ねた。
今際のキス。
恋人同士であればドラマチックであろうが、二人はそうではない。
なぜ、彼女はそんなことをしたのか。
その理由は数秒後、明らかになった。
コウイチの右手に、光り輝く紋章が浮かび上がったのだ。
次いで、その紋章の輝きに応えるように、航宙艦が鳴動を始めた。
航宙艦の装甲の隙間から赤、白、青と色を変えて強烈な光が噴き出し、光は猛烈な速度でローバス・イオタ全体へと駆け巡っていく。
そして——循環反応炉が臨界を迎えた。
音が消え、全てを押し流す光が、ローバスイオタを包み込んだ。
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