SCENE 16:交錯

(何で……こんなものが……)


 コウイチは眼下に鎮座する巨大航宙艦に、状況を忘れて見入ってしまっていた。


 航宙艦そのものに驚いているのではない。


 航宙艦は恒星系間の長距離を航行することを前提に建造されたもの——つまり、裏空間航行機関レーンドライブエンジンを備えている。それは、航宙艦が高価である点のほぼ全てと言ってもいい。


 航宙艦一隻を建造するには、莫大な費用と時間を要する故に、航宙艦の管理には徹底した方策が取られる。


 既に廃棄されることが決定した老朽艦であっても、動力部から船体の装甲板一枚に至るまで、新造艦に余す所なく再利用される。


 そのため、航宙艦が役割もなく地下に——それも航宙士養成学校の地下に眠っているなど、あるはずがないのだ。


「……——ッ」


 固まっていたコウイチだったが、すんでの所で我に帰った。


 視界の端に、二つの人影を捉えたからだ。


 共に通常宇宙服を着ており、その背丈からコウイチが追っていた二人だと分かる。


 男が意識のないぐったりとした少女を連れ、宙を滑っている。


 男の動きは迷いがなく、航宙艦の後部を目指して進んでいる。


 航宙艦の基本構造として、搭乗口は船体後部に設置されていることが多い。


(……中には入るつもりか)


 この巨大な航宙艦の内部に入られてしまったら、多分もう見つけられないだろう。


 少女を取り返すには、入るまでにを付ける必要がある。


(よし……)


 コウイチはすることに決め、気圧調整室の縁を蹴り、身体を空中に投げ出した。


 コウイチの身体が反作用により、無重力のドックを滑るように進んでいく。


 男の進んでいる航宙艦の右側のルートに対して、コウイチは左側へと滑っていく。


 そのまま航宙艦を飛び越えたタイミングで、通常宇宙服の姿勢制御装置エアスラスターを噴出、空中で停止する。


 男との間に航宙艦を挟むような形で、二人の進んだ方向へ体を向け、再度、姿勢制御装置を噴射した。


 巨大な航宙艦の重厚な装甲は、ローバス・イオタの外壁を連想させ、コウイチに今朝の宇宙塵回収実習を思い出させた。


(——あの時は、失敗した)


 フォードへの苛立ちとか、幼馴染ふたりへの劣等感とか、色々なものが絡み合っていたためだ。


(だけど——)


 今回は失敗する訳にはいかなかった。

 自分の命と——おそらく、少女の命運がかかっているからだ。


 コウイチは今までにない集中力で無駄なく進んでいき——船体後部で逆噴射をかけ、動きを止めた。


 船体後部から四方に伸びている魚類ののような突起の影に身を隠す。

 

 コウイチはそこからそっと顔を出し、遠くから二つの人影が来ているのを確認する。


(よし……)


 コウイチは手にした銃を構え直し、引き金に指をかけた。無重力空間であっても、銃を握りなおす際にその重みを再認識させられた。


(——撃てるのか?)


 コウイチは今更ながらにそう思った。

 それは銃機構的な可否ではなく、コウイチ自身の心理的可否だ。


 コウイチは銃を撃ったことはない。

 当然、人を撃ったこともない。


(脅すだけで……無理か)


 一瞬、コウイチは都合の良い展開を期待したが、すぐに理性が否定した。


 先の死んだ男が仲間だったとすれば、彼らは仲間割れを起こしたことになる。


 仲間でさえも撃つような男に、銃を向けただけで無力化出来るとは思えなかった。


(やるしか……ないんだ)


 コウイチは両手で銃を構え、試しに壁際の照明に照準を合わせた。銃身部に付けられた照準器サイトが、ピタリと照明と重なる。


「…………」


 照準の部分に本物の人間が来ることを想定して、コウイチは身体が硬くなるのを感じた。


 無力化するには、当てなければならない。


 ここは真空空間。

 通常宇宙服に穴を開けて仕舞えば、戦闘など継続はできない。


 当てさえすれば、何とかなる。


(だがもし、外したら——)


 相手は銃を持っている。おそらく訓練も受けている。


 まず持って、だ。

 そこからの勝ち目はない。


 自身の放った銃弾が空を切り、相手の銃弾がコウイチの頭蓋を撃ち抜く。コウイチの身体は力を失ったように宙を漂う。


 その瞳に、光は無い。

 物質になってしまった、死者の瞳。


「…………」


 最悪のイメージが脳裏に浮かび、コウイチはブルリと震えた。


 だが、勝算もあった。


 ドックの照明が映し出す影が、壁に写っているのだ。直接視認せずとも、遠くから二つの影が滑ってきているのが見える。


 タイミングを測れるのだ。


 自身はこのの影に隠れ、男が最も接近したタイミングで飛び出し、不意打ち。


(——一点賭けだ。それしかない)


 コウイチは再度自身の考えを整理すると、凹みの中で息を顰めてその時を待った。


 そして数十秒後、その時は来た。


(きた……)


 影が近づいて来る。

 ゆっくりとした一定のペースで、二つの影が流れてくる。


 影の動きに変化はなく、彼我の距離は既に30メートルを切っている。

 銃を再度確認し、撃てる状態であることを確認する。


 残り、20メートル。

 飛び出したくなるのをグッと堪える。


 残り、10メートル。

 動悸が激しく脈打ち、引き金に指をかけた。


 残り、5メートル。


(——今ッ!)


 コウイチはヒレを蹴るようにして身体を空中に撃ち出すと、銃口を向けた。


 目の前には、通常宇宙服を着た二人。

 飛び出したコウイチに対して、何のアクションもない。


 男にしてみれば、コウイチの存在はまさに予想外であった。


(いける……ッ!)


 指に力をこめ、まさに引き金を引き切る間際——コウイチは見た。


 見てしまった。

 男の——恐怖に引き攣った顔を。


(——ッ)


 一瞬、コウイチの指が動きを止めた。


 自分が相対しているのが、生物である事を——人間であることを、コウイチは本能的に拒否感を覚えてしまった。


 その一瞬を、訓練された男が見逃すはずもなかった。


 男は瞬時に表情を引き締め直すと、迷いのない動きで腰のホルスターから銃を引き抜き——コウイチへと向けた。


 ぬらりとした金属の銃口は、ピタリとコウイチに向けられている。


 コウイチの全身を、死の予感が貫いた。


「——ッ!」


 コウイチと男が引き金を引いたのは、ほぼ同時だった。


 直後、二本の光線が交錯した。


 一本は男の頭へと吸い込まれ、もう一本は——コウイチの胸に、突き刺さった。


「あッ」


 胸元に、針のような鋭い痛みが走った。


 


 コウイチがその事実を認識するのと、激痛が全身を貫いたのは、ほぼ同時だった。


(————ッ)


 赤熱化した鉄の棒で身体の内側をほじくり回されるような乱暴な痛みが、コウイチの身体の中で踊る。


 脳が掻き回されるような強烈な痛みと、『撃たれた』という恐怖に、コウイチの思考は真っ白に染まっていった。


(なんで……俺……)


 視界に浮かぶ夥しい量の赤い気泡。

 それを自らの血だと理解した時——コウイチは意識を失った。

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