SCENE 15:分岐

 コウイチは下へ伸びる階段を降り続け、数分後、階段の終着点へ足をつけた。


 そこは円形の広場だった。

 壁際には正面の扉一つを除き、施錠を示す赤色のランプが点灯した扉が並んでいる。


「…………」


 コウイチが警戒しながら正面の扉に近づく。

 瞬間、小さな電子音が鳴り扉が開いた。


 扉の奥には、細長く清潔感のある通路が続いており、足元を照らす僅かな照明灯が等間隔でどこまでも続いている。


 その廊下の放つ雰囲気は、ローバス・イオタでは感じたことのないものであった。


 アイリとの雑談がコウイチの脳裏に蘇る。


 『秘密の地下研究所』。


 下らないと一蹴した与太話が、今まさに現実となって現れたように感じられた。


「…………」


 コウイチの逡巡とは裏腹に、扉奥に伸びる通路は不自然なほどの静寂に包まれている。


 その異様な雰囲気は、異形の怪物が大きな口を開け、コウイチが入ってくるのを待ち構えているように感じられた。


(でも……)


 既に来た道は閉ざされ、他の扉は施錠されている。


 状況は分からないが、ローバス・イオタが危機に陥っているのは理解できた。


 こうなれば、この地下空間から何とか上に登る道を見つけるしかない。


(行くしか……ないんだ)


 コウイチはそう自分に言い聞かせ、薄暗い通路へと足を踏み出した。



 *



 コウイチは通路を歩きながら、道案内の表示を探した。例え後ろめたい施設であっても、人間が使う以上はあっても可笑しくはない。


 そんなコウイチの考えは、見事に外れた。


 かれこれ数分は歩いているが、似たような通路が複雑に入り組んでいるだけで、上へと向かう昇降機も、階段すらも見当たらない。


 この階層だけが、ローバス・イオタから切り離されているかのようだった。


(クソ……ッ)


 コウイチの焦りがジリジリと熱を帯び始めた時——声が聞こえた。


 男の声だ。

 会話——2人以上いる。


(…………)


 コウイチは、会話をしている人物達が例の襲撃者である可能性を、当然考えていた。

 しかし、今のままコウイチが1人ウロウロした所で、どうにもならない。


 危険を承知で、コウイチは声のする方向へと進んでいった。


 聞こえてくる声の音が段々と大きくなっていき、それに呼応するようにコウイチの心音も大きくなっていく。


 通路の曲がり角に差し掛かり、声はすぐそばから聞こえた。


 2人の男が言い争いをしている。


「——今更何を言っている!」

「だがこの子は、まだ——」

「子供だ……だから、何だというのだッ!」

「お前は——」


 コウイチは危険を承知で、曲がり角から様子を伺った。


 そこにいたのは、銃を持った2人の男と——カプセル型移動寝台だった。男はコウイチが見かけ、旧校舎で襲ってきた人物だと思われた。


 だが、コウイチを動揺させたのは、男の方ではなく、カプセル型移動寝台の中で眠る少女の方だった。


 長い銀髪に、白い陶器のような肌。

 伏せられた瞳の色は確認できないが、その整った顔付きは忘れられそうもなかった。


 少女は、旧校舎の幽霊と瓜二つだった。


 違うのは、身体が半透明でもなければ、光ってもいないことだけ。


 普通の——人間の少女に見えた。


(……幽霊……じゃない?)


 コウイチの疑念とは無関係に、2人は言い争いは加熱していっていた。片方の男の声が徐々に声量を増していき、熱が最高潮に達した時。


 一発の銃声が、通路に響き渡った。


(…………!)


 ぐん、と辺りを漂う空気が一気に緊張し、コウイチは身体を通路の奥へと戻した。


「——貴様はもう……我らの同志ではない……ガキどもと共に、朽ち行くがいい」


 男の震えた声が聞こえたかと思うと、カラカラと車輪が転がる音と足音が遠のいていく。


 しばらくして、通路には男の微かな呻き声だけが残った。


(…………)


 幾許かの逡巡の後、コウイチは通路の角から様子を伺った。


 数メートル先で、30代半ばと思われる男が通路の壁際に座り込んでいた。胸部から流れ出た大量の血が、通路にじわじわと広がっている。


 コウイチは、倒れた男の目を——何も無い空虚な目を見て、男が死んでいる事を知った。


 人の死。


 その事実に、コウイチは手足が痺れ、心臓が激しく脈打つのを感じた。


「…………」


 コウイチはもう1人の男と少女が向かった方向を見た。一本道の通路であり、壁際の照明が遠く伸びている。


(どうする……)


 コウイチは目の前の男の死体をぼうっと見ながら、自問した。


 追うのは簡単だ。

 通路は一本道だし、迷いようがない。


(けど、追って——どうすんだよ?)


 助ける?

 何のために?


 男が何者かは分からないが、少なくとも日向を歩く人間には見えなかった。


 少女は男の属するどこかに連れて行かれ、男達の目的のために使用されるのだろう。その目的が何かは分からないが、ろくな目には遭わされない事は理解できる。


 だが、そんな男に狙われる少女もまた、日向の人間ではないのかもしれない。


 もしかすれば、悪は彼女の方で、男が正義の側なのかもしれない。


(——俺は、何も知らないんだ)


 コウイチには、分からないことだらけだ。


 ローバス・イオタの異変。

 襲撃者。

 幽霊少女。

 謎の地下施設。


 何も分からない状況で、他人を気遣う余裕などあるはずもなかった。


(……逃げるべきだ……そうに決まってる)


 ローバス・イオタに何が起きているのかは分からないが、碌でもない状況なのは確かだ。


 逃げる判断は、ごく当然と言えた。


「……悪いな」


 コウイチはそう呟くと、少女が連れられた方向とは逆の方向に足を踏み出そうとして——声を聞いた。


『——彼女を、救って』


 それは間違いなく幻聴だった。

 しかしコウイチの動きはピタリと止まった。


(そうか、『彼女』って……)


 あの幽霊の言った『彼女』。

 それが多分、あの寝台に乗せられた少女のことだろう。


(——だから、何だってんだ)


 幽霊に頼まれて、銃で武装した奴に捕まってる子を、助けに行けってか。


 俺が? 何で?

 馬鹿馬鹿しい。

 

 コウイチは鼻で笑いながら——しかし、動けずにいた。


 「……………」


 数十秒の間、コウイチは黙り込んで、その場に立ち尽くしていた。


 そして。


 ようやく動き始めたコウイチの足は、男の去った方向へと踏み出していた。


(俺は……どうかしてんのか……?)


 頭では本気で嫌がっているのに、足取りは止まらなかった。


(……クソッ、後悔しそうだ……畜生ッ!)


 コウイチは内心で呪詛を吐きながら、死んだ男の脇に落ちていた銃を拾い上げた。


 真空でも使用可能な内蔵火薬式の拳銃で、ずっしりとした重みがあり——その重みは、向かう状況の危険性を暗示しているように、コウイチには思えた。



 *



 コウイチが男に追いついたのは、時間にして数分もなかった。


 通路が一本道であることに加え、男は少女の乗った寝台を引いていたので、当然ではあった。


 身を隠すような場所もなかったため、コウイチは男に気づかれないよう距離をとって進んでいた。


 ある時、足音や車輪の音がピタリと止み——それに合わせコウイチも動きを止め、息を潜める。


 そのまま耳を澄ましていると、何かの開閉音、足音と車輪の音、再びの開閉音が聞こえ——通路は静寂に包まれた。


 コウイチは男の気配が完全に消えたことを確認すると、通路の奥へと慎重に近づいていく。


「これは……」


 そこにあったのは、気圧調整室エアロックだった。気圧の異なる場所を出入りする際に使用する設備。


 つまりこの先には、真空か、それに近い空間が広がっていることになる。


 辺りを見渡すと、壁際に予備の通常宇宙服ノーマルスーツが格納されているのがわかった。


 コウイチは手早く装着すると、銃を構えながら気圧調整室の扉を開けた。


 予想通り、そこに男達の姿は既になく、二分ほど前に気圧調整室を出た記録がパネルに表示されていた。


 扉を閉め、気圧調整開始のレバーを下げると、周囲の調整孔が空気を吸い込み始め、気圧調整が始まった。


 通常宇宙服のバイザーに表示された気圧計の数値がみるみる内に下降していき、やがて真空ゼロになる。


 気圧調整室の扉上部のランプが、通過可能を示す緑色に変わった。


(……落ち着け……)


 コウイチは深く息を吐くと、扉のスイッチを押した。二重の扉がゆっくりと開いていき、コウイチの視界に思わぬ光景が広がった。


「なん……だ……ここは……」


 コウイチは呟き、呆然とその光景を眺めた。


 そこは、格納庫のようだった。


 空間はとてつもなく広く、縦は数百メートル、奥行きはその数倍はありそうだった。


 学園層とまではいかないが、ローバス・イオタの三層目と言える広さであった。


 だが、コウイチの意識を持っていったのは、広さそのものではない。


 空間の中央に鎮座しているが、コウイチの目を捉えて離さなかった。


 鈍い光沢を放つ滑らかな金属の肌に、僅かな曲線を描くフォルム、その巨体はどんな惑星の現生生物よりも大きく、太い。


 空間の各所から伸びたパイプが幾重にも繋がっており、大型のクレーンやワイヤーがその巨体を支えている。


 信じられない思いで、コウイチはその名前を告げた。


航宙艦クラフト……?」


 コウイチの眼下に、全長1kmを超える巨大な航宙艦が鎮座していた。

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