SCENE 50:転落

 マグナヴィア居住区画、医療室メディカルルーム


 その前に設置された待合室の椅子に、コウイチは項垂れながら座っていた。

 永遠にも思えるような時間にも終わりは来る。


 医療室の扉上部に光っていた『使用中』のランプが消え、扉から少女が出てきた。


 引っ詰め髪の黒髪、服は医療科の制服を着ている。


 名前はメイリィ・コール。

 医療科の生徒であり——アイリの友人である。


「……あ……の……」

「…………」


 よろよろと立ち上がったコウイチを、汚物かのように見ていたメイリィだったが、やがて鼻を鳴らしながら呟いた。


、大したことないわ」

「……それは」


 コウイチはメイリィの言い方に嫌な予感を覚え——そしてそれは、予感に収まらなかった。

 メイリィが突き放すように告げる。


「アイリは今、よ」

「——ッ」


 ドクン、とコウイチの心臓が跳ねた。

 全身から血液が抜けて行くような脱力感に包まれ、手足の重力が何倍にもなったように感じられた。


 アイリは、コウイチとフォードの拡張人型骨格の決闘に割って入った。

 結果、機体は大破し、アイリ本人も大怪我をした——他ならぬ、コウイチ自分の手によって。


 メイリィの声が遠くから聞こえる。


「脳へのダメージが大きすぎて……今は医療筐体メディカルポッドで誤魔化しているけど、このまま目を覚まさない可能性だって——」


 コウイチはメイリィの言葉を、最後まで聞いていなかった。


 今すぐ、この現実から逃げ出したかった。

 夢だと思いたかった。


(なんで……こんな……)


 項垂れたコウイチの視界はぐるぐると周り、遠くなったり近くなったりを繰り返した。


 そんな折、再び医療室の扉が開いた。

 中から出てきたのは、タンテとマニだった。


 二人は静かに項垂れていたが、コウイチの姿を見つけ、静かに歩み寄った。

 最初に口を開けたのは、タンテだった。


「アンタ……何でここにいる訳?」

「…………」


 タンテの目元は泣き晴らしたような跡があり、赤く充血した目で真っ直ぐに見据えられ、コウイチは思わず目を逸らした。


 俯いたままのコウイチに、タンテが続けて言葉を浴びせる。


「アイリ、よく言ってた。『また、あの頃みたいに』って」

「…………」


 アイリの気持ち——『あの頃に戻りたい』という願いを、コウイチはそれを知っていた。

 知っていて、それを拒絶していた。見ないふりをしていた。


 そのことが、タンテにも伝わったのだろう。

 親の仇のようにコウイチを睨みつけながら、拳を握った。


「あの子の気持ち知ってて、よく……よく、こんな……!」

「…………俺は」


 コウイチが口を開きかけた時、足音が近寄ってくることに気づいた。

 顔を上げた瞬間、頭蓋が吹き飛ぶような衝撃と共に、コウイチは宙を舞った。


 コウイチの視界には等間隔に並ぶ照明と天井が映っており、遅れて、頬や首、背中や腰に激しい痛みが生まれた。


 首を上げたコウイチが見たのは、蔑むような目つきでコウイチを見るマニの姿だった。

 マニに殴られたらしいと、コウイチは知った。


 コウイチが全身を包む痛みに耐えていると、一人、二人とその場を後にする足音、扉が再び開く音が聞こえ——やがて静かになった。


「…………」


 コウイチはヨロヨロと壁づたいに立ち上がった。

 周囲には誰もおらず、マグナヴィアの駆動音だけが静かに響いている。


 コウイチは痛む身体を引き摺りながら、医務室とは反対方向へと歩いて行った。



 *



 マグナヴィア中央区画の広場。

 そこは、パーティ会場の撤去作業に勤しむ生徒達でごった返していた。


 既にマグナヴィア・パーティは終了し、裏宇宙浮上レーンアウトまで20時間を切った。速やかにパーティ会場を撤収し、裏宇宙浮上に備え、各自の持ち場に着かなければならない。


 そこに、パーティ最中のような楽しげな雰囲気はそこにはなかった。

 その原因には、最後の『出し物』が大きく関わっていた。


 そこかしこから、生徒達の囁き声が聞こえてくる。


 ——聞いた? あのロボットに乗ってた人、死んだんだって。

 ——まじ? 人殺しじゃん

 ——いや、死んではないらしいよ

 ——でも、戻ったら捕まるんじゃないの?

 ——犯罪者だよな


 コウイチとフォードの拡張人型骨格を使った決闘は、艦内の全端末に中継されていた。その映像には、アイリの機体がコウイチの機体によって破壊される所まで、しかと写っていた。


 当然、出し物感覚で見ていた生徒達も、ロボットに人が乗っていることは承知していたため、浮かされていた熱は冷め、まずいんじゃないのかと騒ぎになった。


 真っ二つに割れた拡張人型骨格の残骸は、生徒達に否応なく『人の死』を想起させた。


 搭乗者やその安否はほとんどが知らなかったが、その衝撃的な映像は、生徒達の間は瞬く間に噂が広がらせるに十分だった。


 その噂の内容は、次のような形で結実した。


 ——曰く、『ヤマセ・コウイチは人殺しだ』と。


 そんな噂がそこら中から聞こえてくる。

 先のインセクトの襲撃から、命懸けでマグナヴィアを守った英雄。


 そこから簡単に評価が一転してしまうのは、理由がある。


 そもそも、コウイチが拡張人型骨格に乗って戦った姿を見ていたのは、生徒会メンバー含む一部の生徒だけであり、襲撃者であるインセクトの画像でさえ、碌な記録が残っていなかったため、多くの生徒達にとってその存在は疑わしいものであった。


 ただ、そんな噂が流れてきたから——。


 コウイチが注目されていたのは、そんな不確かな理由が実際の所だった。

 そして不確かな噂は、不確かな噂によって上書きされ——高い評価を受けていた人間を貶める行為は、娯楽に飢えていた少年少女達にとっての悦であった。


 そんな噂は、撤去作業をしていたモリスとサドランにも聞こえてくるのだった。


「コウイチ君、大丈夫かな……」

「…………」


 サドランが心配そうに項垂れ、モリスは歯噛みした。

 モリスは、力付くでもアイリを止めなかったことを——止められなかったことを、強く後悔していた。


 あの時、無理矢理でも降ろしていたら。

 せめて、自分が先に乗れていたら。


(……クソッ)


 仮定ばかりの後悔が、モリスの中で渦巻いていた。



 *



「——がぁッ!!」


 酒場の壁に、フォードが拳を叩きつけた。

 一度だけでなく、何度も何度も叩きつける。


 荒い息を吐くフォードをヒューイとラッセルが宥める。


「ま、まぁ落ち着けよフォード。負けた訳じゃねぇんだしよ」

「そ、そうさ。ありゃ事故みたいなもんだ」


 しかしそんな二人の言葉も、フォードには逆効果だった。

 フォードは怒りの形相で振り向き、吠えた。


「うるせぇッ! 消えろ!」


 今までにないぐらいの怒り具合に、ヒューイとラッセルは蜘蛛の子を散らすように酒場を去った。


 静まった酒場に、フォードの荒い息を吐く音だけが響き、脳裏に幾つもの光景が蘇る。


 見透かされた自身の気持ち。

 ヤマセの嘲笑。

 隙を突かれ、宙を舞う自分の武器。

 そして——声が聞こえて——目の前で——。


「がぁッ!」


 フォードが再び拳を叩きつけ、壁が不協和音を奏でた。

 拳が激しく痛み、骨まで響く痛みが腕を伝う。


(クソッ……クソッ……クソッ!)


 激しい怒りに、頭が白く染まる。

 隠していた自身のみっともない恋慕、それを見透かされた屈辱、隙をつかれた後悔。


 それらよりも激しく胸を痛めつけるのは、目の前で破壊された想い人の姿であった。


「ちく……しょう……」


 後悔と怒りが往復し、自身を痛めつけるように、フォードは怒りを壁に叩きつけ続けた。


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