SCENE 42:要望

 裏宇宙レーンに突入してから、4日が経過した。


 4日前、あの謎の昆虫型生物——インセクトによる襲撃で、100人以上の怪我人が出た。

 けど、その内のほとんどは軽い打撲や捻挫で、今は普通に過ごしている。


 軽傷そうじゃなかった人達も命の危険はなく、自動治療筐体キュア・ポッドのある医務室に移されて、安静にしている。


 今、自分達が裏宇宙にいるということが、最初の二日間くらいは船内に緊張感みたいなのを作り出させていた。


 でも、マグナヴィアが安定して裏宇宙を航行していること、数日もすればヒューゴに到着することが明らかになって以降、目に見えて船内の雰囲気は緩和された。


 それは、ローバス・イオタの崩壊からずっと張り詰めた時間を過ごしてきた私達にとって喜ばしいものであった。


 でも同時に、張り詰めていた空気が霧散したことで、今まで真剣に従事していたはずの作業計画マニュアルにもミスが出始めているのだという。


 と言っても、ほとんどがプログラムによる自動制御によって操船されているため、生徒達が整備作業を怠った所で、今すぐ船が沈むわけでもない。


 少なくない航宙船の知識を持つ、航宙士養成学校クラフターズスクールの学生達にとって、それは当たり前の常識だった。


 でも、気を抜いてはいけないと、私は思う。

 後少し——後少しで帰れるのなら、尚更、気を抜かずに作業に従事すべきだ。


 そう思うのだけれど、それを強制することはできない。


 学校でそういう力を持った教官達は——大人達は、マグナヴィアにはいない。

 ここにいるのは、未熟な子供達わたしたちだけだ。


 何事もなく裏宇宙を抜け、一刻も早く保護されることを願って。



   船務科 第72期生 アイリ・ハミルトン



 *



「ふぅ……」


 アイリは軽いため息と共に、端末から手を離した。


 そこはアイリとタンテに割り当てられた寝室だ。

 既に部屋は暗く、右側の寝床ではタンテが静かに眠っている。


 部屋の壁際中央に設けられた簡易机デスクにアイリは座り、僅かな読書灯の明かりで、アイリは端末を叩いていた。


(……まあ、いいかもね)


 そう心の中で独りごち、アイリは大きく伸びをした。


 記録を取ろうと思ったのは、モヤモヤとした気分を解消したかったからだ。

 文字に起こすことで、思考同様、自分の頭が整理されるのでは、と思ったのだ。


 実際、その効果は少なからずあったようで、アイリの脳は軽いランニングの後のような疲労感と解放感に包まれていた。


 自分も寝床に入ろうと、読書灯へ腕を伸ばした時、向かいの寝床から声が聞こえた。


「——……アイリ」


 見れば、タンテが眠そうに目を擦りながら顔を上げていた。

 普段はサイドでアップしている髪を下ろしているため、普段の快活な印象とは異なり、元々の童顔も相まって、小さい子供のようだった。


「ごめん、起こしちゃった?」


 極力抑えたはずだが、端末のキーボードを叩く音や読書灯の明かりは消せない。

 タンテは快眠快便がモットーの健康児で、普段は何をしようと起きない。


 しかし、今は状況が状況だ。

 普段より睡眠が浅くなるのも自然というものだ。


 そう思い、アイリが申し訳なさそうに手を合わせる。

 しかし、タンテはゆっくりと首を降った。


「ううん……ただ、夢を見ちゃって……」

「タンテ……」


 そう言うタンテの目元には、わずかに涙が滲んでいる。

 アイリはここ数日の体験から悪夢を見たのだと思い、優しい声をかけた。


「うん……コマツ屋の肉まんを食べ損ねる夢でね……」

「……寝るわ」


 アイリは自身の心配を即座を撤回した。

 淡々と読書灯を切ると、アイリは寝床にくるまった。


「いやいやいや、コマツ屋の肉まんだよ!?」

「……だから?」


 アイリの声音は冷たかった。

 アイリは耳栓を持っていないことを後悔していた。


「あのビッグボリュームの肉まんが、こう、目の前まで来て、ガブリと噛み付いたら——夢だったのよおおおおお!!」


 僅差で敗退して甲子園出場を逃した高校球児のごとく、タンテはベッドに両拳を叩きつけ、咽び泣いていた。


「静かにして。近所迷惑だから」

「だってええええええ!」


  アイリは枕で両耳を覆い冷たく言い放ったが、タンテの声はボリュームを増していくばかり。ため息を吐き、アイリは静かに立ち上がった。


 数秒後、布団の山に頭をめり込ませたタンテが、亡霊よろしくシクシクと涙を流していた。


「……痛い……」

「……アンタがいつまでもうるさいからでしょ」


 対するアイリの態度は冷たかった。

 いつまでもギャアギャアと喚くタンテに、アイリがバックドロップ・ボムを決めたのである。


 しかし、タンテはめげずにメソメソと愚痴を言い続けていた。


「うう……パーっと遊びたいよぉ……肉まんが食べたいよぉ……」


 そんなタンテに、アイリがため息を吐く。


「そんなの、あと3日の辛抱じゃない」


 そう言い、アイリは『経過時間:87時間』と表示された壁の液晶画面を見た。

 既に裏宇宙に入って4日。約70時間後には、ヒューゴ近辺に浮上する。


 しかし実際の所は、ヒューゴに帰ってからは多分、まずは軌道警察なんかに取り調べを受けるだろう。だから、遊んだりするのはもう少し後になる。


 とはいえヒューゴに帰れさえすれば、そう遠い未来の話じゃない。


「我慢できない……それに」

「……?」


 タンテが言葉を止めた。

 肉まん以外に何をいうのだろうと、アイリがタンテを見た。


「もうすぐ、記念祭だったじゃん」

「そういえば……そうね」


 アイリが思い出したように頷いた。

 タンテのいう記念祭というのは、ローバスイオタ竣工記念祭のことである。


 毎年、ローバス・イオタの竣工記念日に合わせて開催される、7日間にも及ぶローバス・イオタ全体でのお祭りである。ローバス・イオタだけでなく、外部からも大勢の人が来るほどの盛況ぶりを見せる。


 そしてその祭りの運営主体を担うのが、学生達なのだ。


 毎年行われるそれはローバス・イオタの名物行事として内外に認識され、学生達も大手を振って学業から解放される行事として、愛されている。


 そのローバス・イオタ竣工記念祭が、約1ヶ月後に迫っていたのだ。

 既に準備を進めている学生達もいただろうが、全ては台無しになってしまった。


「記念祭、色んなご飯が出るのに……」

「……こんな事になっちゃったんだから、しょうがないでしょ」


 タンテは口を尖らせながら呟き、アイリが聞き分けのない子供を諭すように言い放つ。


 だが、タンテがあー、だの、うー、だの未練がましく呻いているので、アイリは黙らせるべくバックブリーカーを極めようとしたが、不貞腐れるタンテの気持ちも分かるため、やめておくことにした。


 代わりに、慰め程度の提案をすることにした。


「……まぁ、肉まんぐらいだったら作ってあげるわよ」


 アイリの呆れ声の提案に、タンテが目を輝かせる。


「……ほんと?」

「明日ね。生徒会に食糧利用の申請出さないと……」


 作るための手順を脳裏に思い浮かべていると、アイリはタンテの様子がおかしいことに気づいた。


 何やらブツブツと呟いており、甚だ不気味であった。


「そうだよ……ないんだったら……作れば……」

「……タンテ?」


 アイリが心配して声をかけると、先ほどまでの悲壮感はどこへやら、いつも通りの元気一杯の、悪戯を思いついた悪ガキのような笑顔を浮かべていた。



 *



 翌朝。

 マグナヴィア艦橋室では、生徒自治会の面々が操船作業を行なっていた。


 キーボードを叩く音だけが響く中、ピロン、と高らかな通知音が響いた。

 ルーカスの制御盤からであった。


「…………」


 ルーカスはなぜかしばらくの間、その通知について触れなかった。

 そのことが気になったレイストフが突っつく。


「ルーカス、何の通知だ」


 主君の命令により、諦めたように項垂れたルーカスが、ボソボソと呟く。


「……要望書のアドレスに、一件、届いたのですが」


 先日設置したばかりの、要望書システムだ。


 厳格なルールの存在しないマグナヴィアでの生活は、そこかしこで不和を産む。

 残りわずかとはいえ、危険の目を摘んでおく、生徒達の不平不満を少しでも緩和する目的で設置された。


 そして、原則、要望書は会長兼、実質的な艦長であるレイストフが目を通すことになっている。


「そうか。内容は?」

「……その」


 レイストフの質問に、ルーカスが言葉を詰まらせる。


「何だ、読み上げろ」


 他の作業中であるレイストフは苛立ちながら続きを急かす。

 観念したルーカスが小声で読み上げた。


「——『皆んなでハジけろ☆マグナヴィア・パーティ!』……です」


 しん、と艦橋室に沈黙が降りた。

 レイストフとルーカス以外の面々も、思わず手を止めていた。


「…………は?」


 たっぷり数秒後、レイストフが間抜けな声を発した。

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