SCENE 41:実感

 コウイチが目を覚ました翌日。

 担当の医療科生、メイリィ・コールからの退院許可を得て、コウイチは医務室を後にした。


 まだ身体は本調子ではないものの、動かなければと感じたのは、マグナヴィアの武装化作業が始まっていたからだ。


 船内の各所からは突貫工事をしているような金属音が聞こえ、生徒達が忙しなく動き回っている。


 眠っていた3日間に加え、先日の会議で決定した内容をアイリから伝え聞いたため、コウイチも今のマグナヴィアの現状は理解していた。


 そして、唯一、あの昆虫型生物——インセクトとの直接戦闘を経験したコウイチ自身も、武装化を必要だと感じていた。


 根拠はないが、インセクトの気配が迫っているような錯覚を、コウイチは毎日のように感じていたのだ。


 そんな訳で、反応の鈍い身体を押しながら居住区画を出て、コウイチは班に振り分けられた仕事が待つ格納庫へと向かっていた。


(——さっきから……何だ?)


 移動する過程で、コウイチはある違和感を感じていた。


 そこかしこですれ違う生徒達からの視線。

 遠巻きに見る生徒達の囁き声。


 初めは勘違いかと思ったが、明らかにそれらはコウイチに向けられたものだと分かった。


(何なんだ……一体)


 コウイチは気味の悪さを感じながら、『第一格納庫』と書かれた扉の前に立った。


 第一格納庫は、マグナヴィアで一番大きな格納庫であり、そこには元々搭載されていたものに加え、生徒達がローバスイオタから詰め込んだコンテナ群が入れられている。


 コウイチ達に与えられた仕事は、コンテナ群の各種調査と整理、報告書を上げることである。無論、同じ班であるモリスとサドランもここにいるはずだった。


 3日間もの時間が空いている上、最後の記憶はモリスの制止を無視して拡張人型骨格に乗り込んだ所であり、コウイチは若干の気まずさを感じていた。


 迷いながらも、コウイチが扉横のパネルへ手を伸ばした時、扉が開いた。


「あっ」


 女子の声。

 扉から出てきたのは、黒髪おさげに丸メガネの少女——クロエだった。

 クロエは病的に白い肌を赤く紅潮させながら、モジモジと手を弄っている。


 少女の後ろで、音を立てて扉が閉まった。

 そして少女は、扉の前から動ここうとしない。


(え……邪魔……)


 コウイチは迷惑がりながら、クロエの横を通り過ぎようとした。

 しかし。


「——あのッ!」

「うぉッ!?」


 クロエは素早い動きでコウイチの前に回り込んだ。

 コウイチは知らない女子生徒に行手を阻まれた理由が分からず、身体を後ろへ仰け反らせた。


(な……なんだ……こいつ……)


 コウイチが恐怖すら感じていると、クロエが吃りながら呟き始めた。


「あの……その……」

「…………?」


 目の前の少女が赤くなっているのも、吃りながら何かを言おうとしているのも、何もかも経験不足なコウイチには、許容値を超えていた。


 一か八か逃げ出そうかとコウイチが足に力を込めた時、クロエが叩きつけるように叫んだ。


「——か、カッコよかったです!!」


 それだけ告げると、クロエは颯の如くコウイチの背後の通路へと消えていった。

 嵐が過ぎ去ったような静寂が辺りを包む。


「……何だ……あれ」


 コウイチは呆然とそう呟く他なかった。

 狐につままれたような表情を浮かべながら、コウイチは改めて第一格納庫の扉を開き——を見つけた。


 モリスが、今しがたまであった扉に耳をくっつけたような体勢で固まっていた。


「何やってんの、お前」

「……ふ」


 コウイチが冷ややかな目でそう尋ねる。

 するとモリスは不自然な体勢から静かに立ち上がり——突然、コウイチの脇腹に肘打ちを食らわせた。


 結構本気の威力が込められており、コウイチは思わず膝を折った。


「何……しやがる……」


 コウイチは痛みと怒りで涙目になりながら、モリスを睨みつけた。

 だが、モリスは涼しい顔で悪びれる様子もなく言い放った。


「アイリさんの代わってってのと——俺には、お前を殴る権利があるって話」

「……は?」


 コウイチはモリスの言っている意味がさっぱり分からなかった。

 そんな感情が顔に出ていたのか、モリスが肩をすくめて呟いた。


「まぁ、気にすんな。過ぎたことだ」

「…………」


(この……クソボケが……!)


 コウイチは久々に、モリスに対する怒りが沸々と湧き上がるのを感じた。

 痛みの引いた身体を起こし、その勢いのまま殴りかかる。


「俺は……気にすんだよッ!!」

「おっと」


 しかし、コウイチ渾身の一撃はモリスに軽く避けられた。

 その後も何度も拳を放つも、ひょいひょいと避けられる。


「このッ……クソッ……メガネッ!」

「おほほほほ……この俺に当てようなんぞ、100年早いわよ?」


 モリスは貧弱そうに見えるのだが、その実、喧嘩にはめっぽう強いのだ。

 その理由は1年近くルームメイトとして過ごしたコウイチにも不明である。


 実に1分以上もの間、コウイチの猛攻を涼しい顔で避け続けたモリスは、荒い息を吐くコウイチを眺めながら言い放った。


「まぁ、いいじゃないのよ」

「だから……何……が……」


 息も絶え絶えの状態でコウイチが尋ねる。

 その様子のコウイチに苦笑しながら、モリスがビシリと指さした。


「——今やお前は、マグナヴィアの『英雄』なんだぜ」

「…………」


『英雄』。

 コウイチはモリスのその言葉を咀嚼したが——。


「……何言ってんの、お前」


 上手く理解できなかった。

 本気で訝しんでいるコウイチを、モリスは信じられないと言った顔で見た。


「お前な……考えても見ろよ。インセクトあのバケモンの群れがいたら、マグナヴィアは逃げらんなかったんだぜ——それを撃退したのは、誰よ?」

「…………」


 そこまで言われてようやく、コウイチはさっきまで感じていた違和感に合点が入った。


 感じた視線に囁き声。

 扉の前にいた女子生徒の挙動。


 モリスの言葉だけであれば、信じようともしなかっただろう。

 だが、自分で戦った記憶に、先ほどまでの周囲の反応。


 コウイチは自分のしたことが、周囲にどう受け取られているかを認識した。


(英雄……俺が……?)


 コウイチの頭の中で、二つの像が横並びになった。


 アイリに助けてもらってばかりで、レイストフに見下されて、フォードにいじめられていた、落ちこぼれの自分。


 拡張人型骨格に乗り、数十体のインセクトを蹴散らし、マグナヴィアの裏宇宙突入を成功させ、1000人以上の命を救った、英雄の自分。


 あまりにかけ離れた二つの自分を重ね合わせるのは、難しい作業だった。


 だが、誰にも見向きもされなかった自分を、今や多くの人間が注目している。

 そう考えると、コウイチの胸の内に湧き出るような嬉しさが広がった。


「俺が……英雄……」

「そーゆうこと。言ったらお前は無敵状態で——女の子だって、思いのままなんじゃね?」


 そう揶揄うように告げたモリスが、第一格納庫の奥へと進んでいった。


「さっさと来いよ。仕事、溜まってんだぜ」

「……ああ」


 コウイチはそう答えながらも、後に続くことが出来なかった。

 胸に溢れる嬉しさとは裏腹に、過度な期待をされてしまっていることに、コウイチは恐怖を感じた。


(……俺は……ただ……)


「…………」


 ふと、コウイチは自分の右手を眺めた。

 低い身長にしては割と大きな手が——普通の手があるだけだ。


 だが、あの時——拡張人型骨格に乗り込む時。


 コウイチは自分の右手に、輝く紋章を見た。

 戦っている最中も、紋章が何度も輝きを放ちコウイチをした。


 コウイチ自身、拡張人型骨格オーグメントフレームなんていう兵器を知らなければ、乗ったこともない。

 だがあの時、コウイチは拡張人型骨格を自在に操ることができた。


 自身に覚えがなければ、消去法的に、右手の紋章外的要因だと考えるのが自然だ。


(そうだよ……紋章これがあったから、俺は……)


 透明な水面に墨を垂らしたように、コウイチの心に黒い感情が広がり、自尊心は急激に萎んでいった。


(結局、紋章これは何なんだ……?)


 感情の落差を怒りに変えるように、コウイチは自身の右手を睨みつける。

 そして、その疑問に唯一答えられそうな人物の顔が浮かんだ。


(……シーラ)


 正体不明で記憶喪失、謎だらけの銀髪少女。

 彼女と出会ってから、コウイチは変わり始めたのだ。


 いい加減、させなければならない——コウイチはそう思った。

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