SCENE 40:疑念
船内通路を歩く二人の影があった。
赤毛メガネの少年と、栗色ボブカットの少女——モリスとアイリだ。
艦橋室で行われた定例会議を終えた2人は、自然と帰り道を同じくしていたのだが、その表情は暗かった。
沈黙に耐えかねたように、モリスが呟いた。
「——『インセクト』に『
「……ええ」
2人は会議の映像で見た異形の昆虫生物の姿と、金属の巨人の姿を脳裏に思い浮かべた。
その姿は子供達に原始的な恐怖を思い起こさせたが、それを誤魔化すようにモリスが明るく言い放つ。
「昆虫型エイリアンに、人型ロボット。これじゃ
「…………」
肩をすくめておどけるモリスの口調に乗ることも出来ず、アイリは俯いたままだった。
改めて明確に存在を示唆された昆虫型生物——インセクト。
その脅威への怯えもあったものの、アイリの心を俯かせていたのは別のことだった。
再び訪れた長い沈黙の後、今度はアイリが呟くように告げた。
「——やっぱり、変よ」
「……?」
主語のない言葉に疑問符を浮かべながら、モリスは言葉の続きを待った。
「コウイチがあんな事を出来てしまうのは——おかしいわ」
「…………」
アイリの言葉に、今度もモリスは黙っていたが、それは意味を理解できなかったからではなく、モリス自身も疑問に思っていた事だったからだった。
マグナヴィアが裏宇宙に突入する直前までの記録は、船体を重力場で覆っていたのもあり、正確なものではないが——コウイチの異常とも言える戦果を観測していた。
——32体。
それが、コウイチが撃破したインセクトの数だ。
最も、裏宇宙への突入間際は観測データはないに等しいため、これ以上の可能性は高い。
驚嘆すべき戦果。
だが着目するべきはそこではない。
あのコウイチが、初めて乗ったはずの機動兵器を乗りこなし、正体不明のエイリアンを蹴散らした。
これが問題なのだ。
もしコウイチが天才的技能を持つ少年であれば、納得できる要素はあったかもしれない。
だがコウイチは筆記はもちろんのこと、技能実習ですら赤点ギリギリの技術。
そんなコウイチが——宇宙作業機の操縦と同列には語れないとはいえ——この結果を出した。出せてしまったことに、アイリは疑念を抱かずにはいられなかった。
より具体的に言えば、コウイチをそんな風に変えてしまった何か。
アイリはその何かの存在を確信し——それが誰なのかも、ほとんど分かっていた。
突如、アイリが足を止めたのを見て、モリスも二、三歩先で同じように止まった。
数秒の沈黙の後、アイリが口を開いた。
「モリス君、お願いがあるの」
「……なんですか」
アイリは斜め下を向いたままだった。
モリスはアイリが告げようとしている内容をなんとなく察しながら、言葉を待った。
口を開いたり閉じたりした後、アイリは拳を握り、モリスに告げた。
「コウイチをあの子に——シーラに、近づけないでほしいの」
「…………」
アイリは依然として目を合わせない。
だが、モリスはアイリの言わんとすることを理解していた。
「コウイチの変化に、あの子が関与していると?」
「……根拠はないわ。でも……」
アイリはそう告げると、モリスの視線から逃げるように歩き出した。
モリスもその跡を追うように歩き出す。
再び訪れた沈黙。
2人の足音だけが木霊する通路を歩きながら、モリスはアイリの後ろ姿を見た。
細身ながらも女性的なラインの身体付きに、肩あたりまでの栗色の髪が照明の光を僅かに反射している。
アイリ・ハミルトン。
男子生徒達から密かな人気を誇る綺麗な同級生。
歳は同じで同級生なのだが、そのしっかりとした性格から、自然と敬語を付けてしまっていた。
だがそれはもしかしたら、友人の幼馴染にそういった感情を向けまいとする、自制心がもたらしていたものだったかもしれない——モリスはそう思った。
そう自覚してしまったのは、いくら幼馴染とはいえ、
その好意は尊敬に近かったが、モリスは自分の中に、コウイチへの嫉妬が生まれたのを感じた。
(幸せな奴だよ、お前は……)
渦巻く感情ごと吐き出すように、モリスは歩きながら、大きく息を吐いた。
「……わかりました。そうなるよう、善処します」
モリスの言葉を背中に受け、アイリがピタリと動きを止めた。
振り返ったアイリは、くたびれたような笑顔をモリスに向けた。
「……ありがとう」
「……いえ」
2人は互いにそれだけ言うと、目を逸らした。
当人達——コウイチとシーラがいない場所で陰謀めいたことを企んでいる罪悪感が、2人にそうさせていた。
「シーラは私が面倒を見るから……」
「俺は、コウイチが近づかないようにすればいいんですね」
モリスの言葉に、アイリが頷く。
再び、沈黙が空気を覆い、アイリは目に見えて沈んでいるように見えた。
(……理由は、何だろう)
シーラを疑っていることか。
それにモリスを巻き込んでしまったことか。
恐らくその全てだろうと、モリスは思った。
アイリがこの手の裏工作めいたことに長けているとは思えないし、好んでいるとも思えない。
——どうにかしなくちゃいけない。
そんな義務感に動かされ、モリスは明るい声音でアイリに言葉をかける。
「——まぁ、大丈夫っすよ」
「……え」
アイリの潤んだ目から、いつもの明るい雰囲気とは違った色気のようなものを感じ、その感情を誤魔化すように、モリスはオーバーなリアクションで肩をすくめる。
「1週間後には、ヒューゴですから。もしコウイチに何か起きてても、本格的な治療が受けれますよ」
モリスのあからさまなフォローに、アイリも無理に笑って見せた。
「……そうね。ありがとう、モリス君」
「いえいえ。いつもコウイチ共々、テスト前は世話になってるんで」
アイリの言葉に、モリスが
コウイチとモリスはテスト前に、アイリに共通講義の勉強を見てもらっているのだ。
モリスも勤勉ではないため、教えてもらっている。
そんな日常の——かつての日常の話をしたおかげか、アイリの調子が少し戻った。
アイリは苦笑しながら呟く。
「別に、大したことはしてないわ」
「そんなことないすよ。アイリさんのおかげで救われた単位が、いくつあることか……」
腕を組んで大仰に頷くモリスを見て、アイリも肩をすくめた。
「ま、お役に立ててたのなら、良かったわ」
アイリもおどけた様子で返し、モリスがパチンとウインクをする。
「ええ——帰ってからも、よろしくお願いしますよ」
「……いいわよ。でも、まずは自分でやる癖を付けたら?」
「へーい」
そんな軽口を交わし合いながら歩くこと数分、通路の分かれ道に当たった。
右側が男性用居住区、左側が女性用居住区へと続く道だ。
「じゃあ、また」
「ええ、また」
2人は笑顔で手を挙げると、それぞれ反対側の通路を歩いていく。
背中を向けた後、二人の顔に貼り付けていた笑いは、自然と引っ込んでいた。
帰ってから。
モリスが何気なく告げたその言葉は、二人の心に消えない重石のように残っていた。
あと7日もすれば、故郷へと帰れる。
確かにそのはずだと、頭では理解していた。
だが、何の根拠もない不安が囁くのだ。
——『本当に?』と。
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