SCENE 38:約束

 ——パチリ、とコウイチは目を開けた。


 視界に映ったのは、清潔な白色の天井に暖色の照明。

 ツンと鼻をつくのは、消毒液と微かな花の香り。


 身体は鉛を付けられたようにずっしりと重く、喉は砂漠のように乾き、瞼は接合されていたかのように固かった。


 対して背中側には柔らかさと、身体を包む暖かな布地の感触。

 コウイチは自分がどこかのベッドに寝かされていることを——生きていることを知った。


(なんで……俺……)


 直前の記憶を引っ張り出す。

 裏宇宙に突入するマグナヴィアを支援するために、囮になって。

 なんとか敵を退かせたはいいものの、力が抜けていって——。


 靄がかかったような記憶を思い出そうと眉根を寄せていると、コウイチの右手側から、聞き慣れた声が聞こえた。


「ねぼすけ」

「……アイリ」


 頭を右へ傾けたコウイチが見たのは、苦笑するアイリの姿だった。

 ベッド横の椅子に座るアイリは、右手をベッドの方へ伸ばしている。


 ふと、コウイチは自分の右手に温かさを感じ——自分がアイリの右手を握っていることに気づいた。


「……——ッ」


 コウイチは慌てて手を離した。寝ぼけてアイリの手を握り込んでいたらしい。

 気恥ずかしさでどうにかなりそうだったが、グッと堪えた。


 アイリは特にそれに言及することもなく、からからと笑った。


「身体は、大丈夫そう?」

「……ああ」


 コウイチは気恥ずかしさを誤魔化すように、ゆっくりと身体を起こした。


 身体はあちこちがセメントで固められたようにガチガチで、上半身を起こすにも大変な労力を強いられたが、アイリに支えてもらい、ことなきを得た。


「あれから……どうなったんだ?……それに、俺は……」


 コウイチは状況が飲み込めず、矢継ぎ早に質問を繰り出した。

 だが、アイリは子供をあやすように手で制してから、スクイズボトルを差し出した。


「落ち着いて。まずはこれ飲んで——ゆっくりね」

「…………」


 普段なら、アイリのその口調に反発心を覚える所だが、現在のコウイチにその元気はなかった。実際、喉はカラカラに乾き、胃の中がほとんど空だと感じた。


 乾いた口の中にストロー状の飲み口を差し込み、ボトルの胴を押し込む。

 ストローから供給された栄養水はほのかに甘く、砂漠に満ちるオアシスのようにコウイチの喉を潤した。


 ボトルを3分の1ほど空にした所で、コウイチはようやく飲み口を離した。


「落ち着いた?」


 アイリの穏やかな声音に、コウイチがコクリと頷く。

 それを確認すると、アイリがポツリポツリと呟き始めた。


「まず、ここはマグナヴィアの医務室。今、裏宇宙レーンを航行しているわ」

「……裏宇宙レーン……」


 コウイチは確かめるように、その単語を呟いた。


 ——マグナヴィアが裏宇宙を航行している。

 それはつまり、作戦が成功したということだ。


「航行も順調で、このまま裏宇宙を行けば、3日後にはルイテン星系に——ヒューゴに着くわ」

「……そうか」


 アイリはコウイチを安心させるように、明るく告げた。

 コウイチは、アイリの言葉を自分の中に落とし込み、数秒後、ようやく実感が追いついた。


「俺達……帰れるんだな」

「そーゆうこと」


 アイリはとびきりの笑顔をコウイチに向けた。

 コウイチもその顔からエネルギーを充填されたように感じ、自然と口角が上がった。


 安心とは裏腹に、コウイチには腑に落ちないことがあった。

 あの時——マグナヴィアが裏宇宙に突入する時、力尽きてしまったはずなのだ。


「俺は、なんで——生きてるんだ」


 コウイチは絞り出すように、アイリに尋ねた。

 アイリは一瞬表情を暗くしたが、すぐに薄い笑顔に変わった。


「あの子の……シーラのおかげよ」

「シーラ?」


 コウイチは出てきた名前の意外さに驚いた。

 アイリはなぜか顔を逸らしながら自嘲気味に告げた。


「シーラが、あのロボット——拡張人型骨格オーグメントフレームに乗って、コウイチを連れ帰ったのよ」


 コウイチは驚きにポカンと口を開けた。

 確かに、コウイチは意識を失う直前、自分に迫る物体があったのを覚えていた。

 だがまさかそれが、あのシーラだったとは。


「マグナヴィアが裏宇宙に突入した後、外壁にあなた達を見つけてね」

「……そ……うか」


 コウイチは、自分の生還に多くの人の力が関わっていたことに対する驚きと、少なくない罪悪感を感じた。


 コウイチがあの時、拡張人型骨格で飛び出したのは確かに、マグナヴィアを守るためというのもあった。だがそれは多分、自分を言い聞かせるための建前のようなもので。


 本当の、根っこの部分は、ただ——。


「…………」


 コウイチが自分の醜い部分に辟易していると、アイリは顔を俯かせ、急に黙り込んでしまった。


「……ど、どうした?」


 動かないアイリを不審に思い、コウイチが訝しげに声をかける。

 だがコウイチの問いかけにも答えず、アイリは俯いたまま微動だにしない。


 コウイチは寝落ちしたと思い手を伸ばした時、蚊の鳴くような声が聞こえた。


「——して」


 その声は余りに小さく、聞き間違いかとも思った。

 だが、気がつけばアイリは顔を上げており、コウイチを見るその目には涙が浮かんでいた。


 少なからぬ動揺を覚えたコウイチに、アイリが重ねるように告げた。


「約束して。もう、あんな無茶はしないって」


 涙を浮かべながらも、アイリの瞳には確かな意思が感じられた。

 その意思の正体を見てしまった気がして、コウイチは目を逸らしながら答えた。


「……わかった」

「…………」


 そう答えた後も、アイリは検分でもするかのようにじっとコウイチを見つめていたが、やがて視線を外した。


 コウイチが逸らした視線の外で、アイリの鼻を啜る音と涙を拭う音が聞こえた。

 それから十数秒後、コウイチがゆっくりと視線を戻すと、目元を赤くしたアイリが笑っていた。


 しっとりとした雰囲気を誤魔化すように、アイリが立ち上がりながら告げる。


「まぁ、アンタ3日も眠ってたんだから、もう少し休んでなさい」

「3日!?」


 コウイチは突如告げられた時間経過に、思わず叫んだ。


(……身体が重い訳だ)


 コウイチは自身の体の異変について納得していると、アイリが医務室を出ていく所だった。


「どっか、行くのか?」


 何やら時間を気にしている様子のアイリに声をかけると、少し驚いたような顔をした後、アイリはニヤリと口の端を上げた。


「何、寂しいの?」

「…………」


コウイチは声をかけたことを後悔しつつ、無言で布団を被った。

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