SCENE 20:名前

 ——あなたの望みは何?


 目の前にいる銀髪の少女は、そう聞いてきた。


 これが夢であることは分かっていた。

 だが、少女の問いには真剣に答えなければいけない気がした。


 ——俺は……


 言い淀んでいると、少女が言葉を重ねてくる。


 ——全てを引き換えにしてでも、叶えたい願いは?


 少女のいう言葉には、言いようのない凄みのようなものがあって、それらの言葉が真実であることを暗に伝えてきた。


 ——俺の……願いは……


 俺がその言葉を口にしようとした時、夢は終わった。



 *




 身体にのしかかる重力の感覚と、背中の硬い感触、微かな駆動音。

 コウイチは自分がどこかの床に横たわっているのを知った。


 だが、頭の部分は妙に柔らかなものを下敷きにしているのか、痛みは感じなかった。


 自分の頬に、何かサラリとしたものが当たる感触。

 コウイチがむず痒さを感じ、目を開けると——至近距離に人の顔があった。


「ぅおッ」


 コウイチは本能的に跳ね起きて目前の顔と激突、鈍い音が鳴った。


「んんん……ッ!」


 激痛でゴロゴロと2メートルほど床を転がり、数秒間悶絶した。

 痛みが引き始めた頃、コウイチは涙を滲ませながら先ほどまでの場所に視界を向け——その人物を見つけた。


 不自然なほどに白い肌、銀色の長髪、宝石のような透き通った青い瞳の少女。

 幽霊と瓜二つの銀髪少女は、赤くなった額を無表情でさすっていた。


 コウイチが最後に見た時は、意識がなかったようだが、今はどう見ても覚醒状態にある。無機質な瞳や動作は人間離れしているが、どうも人間のようである。


「お、お前……」


 コウイチは少女に色々と尋ねようとして——周囲の違和感に気付いた。

 2人のいる場所は、あの広大なドックではなかった。


 金属壁に囲まれた機関室のような場所で、周囲には巨大なパイプが大蛇のようにのたくっている。


 右側には球状と思しき巨大な機械が鎮座し、不気味な振動音を響かせている。


(ここは……一体……)


 コウイチは意識を失う直前の記憶を無理やりに呼び起こす。

 

 あの地下で2人を追って宇宙船のドックに降りて、それで。


 鋭い痛み。

 胸から吹き出す血液。

 全身から力が抜けていく感覚。


(——ッ)


 最悪の記憶が蘇り、コウイチは自分の胸元を見た。


「う……」


 記憶に違わず、コウイチの通常宇宙服は赤黒い血でべったりと染まっていた。胸元と背中に、数センチの穴がポツリと空いている。。


 だが、身体に痛みは無かった。

 心臓も慌ただしく動いている。


「…………」


 コウイチは、胸元に開いた穴にそっと指を入れた。

 通常宇宙服の内側をコーティングするナノカーボンフィラメントに、しっかりと穴が開いている。


 だが——コウイチの身体に開いていた穴だけが、綺麗に消えていた。


(どういう……ことだ……)


 コウイチはしばらく頭を抱えていたが、考えても結論が出ないことに気付いた。深くため息を付くと、顔を上げた。


 銀髪の少女は、先ほどから動かず、じっとコウイチを見つめていた。


「…………」

「…………」


 無言の視線が交錯する。

 コウイチは様々な言葉を脳裏に浮かべた。


 ——あの施設は何なんだ?

 ——あの航宙艦はなんだ?

 ——ここはどこだ?

 ——お前は、何者なんだ?


 だが、実際にコウイチの口を突いてでたのは、どれでもなかった。


「お前……名前は?」


 気づけば、そう言っていた。

 自分自身でその可笑しさに気付いた。


 この状況で最初に聞くことが名前かよ。


(……何言ってんだ、俺)


 色々なことが起こりすぎて、脳がバグってしまったとしか思えない。

 

 これじゃナンパみたいだ。


 いきなり色々すっ飛ばした質問に、少女もさぞ困惑しているだろうと思ったが、少女は、僅かに小首を傾げるだけだった。


 そのプラスチックみたいな目は、言葉を理解しているのかも怪しかったが、コウイチはヤケクソに、自分から名乗ることにした。


「俺は、ヤマセ・コウイチ……お前は?」


 コウイチがそう尋ねると、ようやく意味が伝わったのか、少女は何かを探すように空中斜め上を見た。


 それからたっぷり十秒以上の間、少女は微動だにせず、時が止まったかのような静寂な時間が流れた。


(……よし、もうやめよう)


 コウイチが気まずさから逃げ出すべく、立ちあがろうとした時。


「——シーラ」


 結晶クリスタルのような涼やかな声で、少女はそう告げた。



 *



 ——ここは、ドックにあった巨大航宙艦の中らしい。


 部屋を出たコウイチがそう気付くのに、そう時間は掛からなかった。


 血まみれの通常宇宙服を捨て、通路脇に格納されていた通常宇宙服ノーマルスーツに着替えたコウイチは、シーラを連れて部屋の外へ出た。


 発生している1Gの重力。

 無重力移動用に設置されたハンドルリフト。


 決定的だったのは、壁面に設置された端末で船体構造図を見た時であった。


 巨大な海洋生物——鯨のような形状。

 それはドックで見下ろした、あの航宙艦の構造と同じに見えた。


 しかし、疑問は残る。


 ドックに浮かんでいたはずの自分達が、いつ、どうやって、航宙艦の内部に移動したのかは分からない。シーラも自分ではないとのことだった。


「…………」


 コウイチは通路を歩きながら、ちらりと後ろを見た。


 シーラは、コウイチの後ろを雛鳥のように着いて来ている。

 この航宙艦は特に物珍しい構造という訳でもないのでが、シーラは初めて見るもののようにあちこちをキョロキョロと眺めていた。


 シーラという少女に関しても、多くは謎のままだ。


 分かったのは名前だけで、あの地下施設にいた理由も色々訊ねたが、不思議そうに首を傾げるだった。


 どうやら、シーラは記憶喪失に近い状態にあるらしい。

 言葉は通じるが、自分の名前以外は分からないようだった。


 原因の究明は後回しにし、コウイチは外の状況を確認するため、外部カメラやセンサー類を操作できる艦橋室ブリッジを目指していた。


 外の状況が分からない。

 勇み足で外に飛び出したら、デブリ行き交う宇宙でした、なんてこともあり得るのだ。


 壁面端末から個人端末にインプットした船内図を頼りに、2人は黙々と船内を歩いているのだった。


(……広いな)


 コウイチは個人端末が投影した船内図を見て、内心で呟いた。

 部屋をでてから10分以上歩いているが、未だ艦橋室には到着していない。


 船体構造図によれば、この船の全長は1140m、高さ280m、幅も300mと、かなりのサイズだ。移民用の大型輸送艦か、航宙軍の母艦クラスだ。


 加えて船内構造も立体状に入り組んでいるため、中々に辿り着けずにいた。


 しかし、艦橋室のある操船区画には来ているようで、目標地点を示す緑点は徐々に近づいてきている。


 コウイチがそのまま歩みを進めていると、唐突に身体が後ろに引っ張られた。

 

 シーラがコウイチの腕を掴んでいた。


「……どうした」

「……………」


 シーラは進行方向とは逆、進んできた通路の暗闇をじっと見つめていた。


 釣られてコウイチもその暗闇を見やったが、何も異常は見当たらない。


「なんだってんだ——」


 痺れを切らしそう問おうとした時、コウイチは微かにを聞いた。


 それは、人の足音だった。

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