EPISODE 03:漂流者達

SCENE 19:生存

 ——リ……アイリ……


 泥の沼の中に沈んでいるような酩酊感の中で、アイリは誰かが自分を呼ぶ声を聞いた。


(——コウイチ……?)


 アイリは自身を呼ぶ声を知っていた。

 だが微睡みは短く、次の瞬間には自分の間違いに気づくことになった。


「——タンテ・チョーップ!」

「ぃたッ」


 前頭部に生じた衝撃と痛みで、アイリはぼんやりとした意識を覚醒させた。

 僅かに水分で滲む視界に、見慣れた茶髪の少女が写っていた。


「……タンテ」

「やっと起きた?」


 通常宇宙服を着たタンテが、頭部装備メットを後ろに外し、明るい茶髪を宙に浮かべている。


 周囲を見ると、そこは学園の地下シェルターのようだった。

 重力が消失したのか、たくさんの生徒達がふわふわと宙を漂っている。


(……そっか、私……)


 ぼんやりとその光景を眺めたアイリは、意識を失う直前の記憶が蘇り始めた。


 旧校舎で謎の暴漢に襲われたアイリ達は、なんとか校舎まで逃げのびた。


 急ぎ昇降機の方へと向かおうとしたアイリ達が見たのは、生徒会に連れられ、校舎に戻ってきた生徒達の姿だった。


 半ばパニック状態の生徒達から聞いた情報を繋ぎ合わせると、昇降機が動かず、避難用の無重力通路も使えない、ということらしかった。


 そのことに疑問も不満も挟む余裕もないまま、アイリ達は生徒達の波に流されるようにして学園の地下シェルターへと避難したのだ。


 地面が激しく揺れ始め、強烈な光が辺り一面を覆い尽くし、アイリは死を覚悟した。


(……でも、生きてる)


 そう、知らぬ間に意識を失っていたらしいが、自分の身体に異常はなく、シェルター内部を見る限り、生徒達も無事だ。


「もしもーし。まだお眠ですか?」


 タンテが呆れ顔を浮かべ、アイリの額をコンコンとノックした。

 いつもならやり返す所なのだが、アイリは現実を認識することに忙しかった。


 ——生きのびたんだ。


 アイリはようやくそのことを自覚した。

 そして気が付くと、目の前にいる親友を抱き寄せていた。


「ちょっ……」


 タンテは突然の抱擁に軽く動揺し、恥ずかしさから頬を赤くさせた。


 だが、アイリが何も言わずに抱きしめ続けるので、タンテも恥ずかしさより、親友が確かに生きていることの喜びが勝った。


「2人とも、には行かないでくれよ——気まずいからさ」


 しばらく宙で抱擁を続けていた2人に、揶揄うような声がかかった。


 そこには、半笑いを浮かべたマニがいた。

 手には、3人分の携帯食パックと飲料を持っている。


「ちっ、違うって!」

「マニ!」


 タンテはぶり返した恥ずかしさから顔を赤面させた。

 一方、アイリは涙を浮かべ、もう1人の親友の生存に喜びの声を上げ、マニに飛びついた。


「良かった……」

「アイリもね」


 マニは携帯食を宙に放り、アイリを優しく受け止め、涙をそっと拭った。

『姫と女騎士』といった風情の光景に、タンテも愚痴のように言葉を漏らす。


「……そっちこそ、やめてね。気まずいから」


 そう複雑そうな面持ちをしていたタンテだったが、アイリの素直な喜び具合に、やがて笑みを浮かべた。


「それで——今、どういう状態なの?」


 生存の喜びを分かち合った後、アイリはタンテとマニにそう尋ねた。


 ローバス・イオタを包んでいたあの異音は、今は聞こえてこない。


 最後の激しい揺れと轟音。

 消失している重力。


 一体、ローバス・イオタに何が起こり、どうなったのか。

 アイリは、早く目覚めたであろう2人なら事態を把握していると思っての質問だった。


 だが2人は顔を見合わせると、一転、曇った表情を見せた。


「えっと……ごめんけど、私たちもよく知らないんだよね」


 頭をポリポリと掻くタンテをフォローするように、マニが言葉を付け足す。


「私達が目覚めたのも、せいぜい10分くらい前のことなんだ。アイリも眠っているだけだったし、先に食事だけでもって」


 そう言い、マニは手にした携帯食パックと、飲料チューブを軽く掲げてみせる。


「そうだったの……」


 アイリは手元の携帯食パックに視線を落とした後、周囲を見渡した。


 金属壁に囲まれたシェルター内に、生徒達が思い思いの場所で浮かんだり、壁に張り付いていたりして休んでいる。


 アイリ達のいるシェルターは学園初期に設けられたもので、丈夫さは折り紙付きだ。

 奥行き四百メートル、高さも七十メートルとかなり大きい。


 ローバス・イオタの全校生徒、1072名を入れてもスペースには余裕があり、長期間の生活も可能なように各種設備も整っている。


 だが、妙な点があった。


「なんだか……暗くない?」


 アイリの発したその疑問に、タンテとマニも頷き、天井を見つめた。


 シェルターの光量を抑えること自体は、特段おかしなことではなかった。

 シェルターは長期間の生活が可能な設備があるとはいえ、発電機のないシェルターでは電力は貴重なものである。


 シェルターの制御システムが電力保持のために明るさを調節したのだとすれば、不自然はない。


 だが、その明度が明らかに低すぎるのだ。

 まるで——かのように。


 その暗さは、生還の喜びの中にあったアイリの心に黒い雲を作った。


 そう感じていたのは、アイリだけではない。

 タンテやマニ、他の生徒達も、顔には不安の色があった。


(あれ……待って……何か……)


 アイリは、自分が大事なことを見落としていたことを思い出し——稲妻のようにそれを思い出した。


(——コウイチ!)


 アイリは急ぎ個人端末パーソルを取り出し、通話をかける。

 しかし何度かけても、コウイチは出なかった。


(ウソでしょ……)


 アイリの頭を、不安が急速に覆っていく。

 もう一度通話をかけようとした時、横から声がかかった。


「——アイリさん!」

「モリス君……」


 声の主はコウイチのルームメイト、モリス・ウォルムだった。


 コウイチの世話を見る中で、自然と仲良くなった友人の1人だ。

 同じルームメイトであるはずの大柄な男子生徒、サドランの姿は見えない。


 アイリ達の近くに降り立つや否や、モリスがアイリに尋ねる。


「——コウイチの奴、見ませんでした!?」

「ッ!」


 モリスの言葉がアイリの不安を加速させる。


「いない……の?」

「こっちじゃないんですか!?」


 アイリの頭が真っ白になっていく。

 モリスも、アイリの表情を見て顔を険しくしていく。


 辺りを包み込む空気感が、重く、暗くなっていく。


「——説明しやがれ!」


 そんな空気感を象徴するような叫び声が、遠くから聞こえた。


 ガタイのいい体格に、染色した金髪。

 フォード・クラインだ。


 フォードの後ろには、腰巾着のラッセル、ジープの姿もあった。

 しかしフォードとは異なり、直接何か言いたいわけでないらしく、後ろで縮こまっている。


 そのフォードに向かい合っているのは、生徒会副会長のティアナだ。


「なに、揉め事?」

「……の、ようだな」


 タンテが不安そうに声の方を見つめ、マニが顔を顰めた。


 フォードはかなり興奮しているようで、今にもティアナに掴みかかりそうだ。

 対して、ティアナの方は冷静にフォードを見据えている。


(レイは……いないのかしら)


 こういう時レイストフがいれば、場を収めてくれる。

 アイリはそんな期待を込めて付近を見渡すが、レイストフの姿はどこにも無かった。


「外は、どうなったんだ」


 フォードが声を再び荒げる。


「わかりませんわ。私達も状況を全て把握している訳ではありませんので」


 ティアナの静かな物言いが、フォードの勘に触った。


「何かは知ってるはずだぜ……誘導したのは生徒会おまえら何だからな」


 どうやら、フォードは外の状況を知りたいがために突っかかっているらしい。


 外の状況が知りたいのは、皆同じだ。


 アイリと同じく、余りにも状況が不鮮明であることに不安が爆発した結果、副会長に直談判に向かったのだろう。


 しかし、ティアナは冷静に相手を諭すだけであった。


「ですから、私達も異常を察知して、先んじて避難誘導を行っただけですわ。事態を把握している訳では……」

「——嘘つくな」


 ティアナの話を、フォードが遮る。


「知ってて、隠してんだろ。パニックにさせないためとか、いいんだよそんなのは」

「…………」


 ティアナは、表情を固くした。

 実際の所、ティアナには隠していることがあった。


 ——の存在。


 あくまでもレイストフの仮説ではあるが、ティアナ自身、この状況からその存在をほとんど確信していた。


 生徒達もまた、噂として大まかなことを知っていた。


 封鎖された無重力通路、動かない昇降機、教官達の不在。

 決定的な証拠はない。だが、『敵』の存在に関しての状況証拠としては十分だった。


 そして——レイストフも、あれから戻っていない。


(会長……)


 ティアナは、押し殺していた不安が再び込み上げてくるのを感じた。


 だが、その情報を不用意に話す訳にはいかないと、口をつぐんだ。

 フォードの言う通り、パニックになるかもしれないからだ。


 話すには、その存在を仮定した上で、方針と行動を決めてからでなくてはいけないのだが、ティアナはそれが思い浮かばなかった。


 黙り込んだのをどう捉えたのか、フォードがティアナに詰め寄ろうとする。


「お、おい君……おわッ!」


 ビクつきながらも、脇にいたダミアンがフォードの肩に手を当てる。


 しかし、フォードに乱暴に突き飛ばされたダミアンはクルクルと小さな身体を回転させながら宙を滑っていった。


「知る権利は、ここにいる全員にあるはずだ」


 そう告げたフォードの目の奥には、怯えがあった。


 ——何も知らないまま、死にたくない。

 その思いは、シェルターにいる生徒達にも共通するものだった。


 実際、フォードの行動を止めようとする者は無く、ことの成り行きを——ティアナの言葉を待っていた。


 辺りを静寂が支配する。

 ティアナが耐えきれず、口を開きかけた時。


「——私、外を調べてきます!」


 そんな声が、空気を切り裂いた。

 ティアナを見つめていた視線が、一斉に声の主へと注がれる。


 アイリが、授業で挙手するかのように、真っ直ぐに手を上げていた。

 何かを決意したような目で、ティアナを見つめている。


「な……」


 ティアナは、突然の闖入者の存在に、言葉を失ってしまった。

 それもティアナが複雑な感情を向けているアイリであれば、尚のことだった。


 言葉を失ったのは、フォードも同じだった。

 ティアナに変わり、その脇にいたラフィーが呆れた顔で尋ねる。


「調べるったって……外がどうなってるか、わからないんだぞ」


 そう、外の状況は不明なままだ。

 もしかすれば、有害なガスが漏れ出ていたり、鋭いデブリの破片が散らばっていたり——がいる可能性だってあるのだ。


 そんな中を調べにいくなんて。

 セオリー通りならば、おとなしくシェルターの中で救助を待つべきである。


 ティアナはアイリの話があまりにも無謀に感じた。

 だが、アイリはラフィーの言葉にも臆さずに答えた。


「ですが、ここに閉じこもってたって、何も分かりません」

「……ま、そうなんだけども」


 アイリの凛とした態度に、ラフィーも頭を掻きながら言葉を濁す。


「——では、調査隊を出すのはどうでしょう」


 今まで沈黙を保っていたルーカスが、告げた。


「調査隊?」


 いつの間にか戻ってきていたダミアンが、腰をさすりながら疑問符を浮かべた。


「はい。目的は外の状況の把握、この場にいない生徒の捜索——この二つで」


 ルーカスが銀縁の眼鏡を指で抑えながら、現状のリーダーであるティアナに目線で許可を求める。


 話を振られ、硬直から回復したティアナがしどろもどろで呟く。


「え、ええ。良いと思いますわ……ただし、志願者だけで」


 ルーカスは生徒達の群れに問いかけるようにして、呟いた。


「——それで、他に調査隊に志願する方は?」

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