SCENE 12:暗闇

「——2人とも、大丈夫そう?」


 旧校舎の講義室の中で、アイリが尋ねた。

 頭の部分を除き、その身体は既に通常宇宙服ノーマルスーツに包まれている。


「大丈夫だ」

「問題なし!」


 答えたマニとタンテの2人も、同じく通常宇宙服を身につけている。


 現校舎の宇宙服にありつけそうになかった3人は、旧校舎の通常宇宙服を取りに来たのだ。


 3人の予想は的中し、他の生徒達が漁った形跡はなく、やや旧式ではあるものの、十分に使える通常宇宙服が格納されていた。


 3人は講義室で着替えたのだった。


 とりあえず、外壁が壊れたとしても即座に窒息することがなくなり、3人は何となしに安堵の表情を浮かべた。


 だが、当然事態は切迫したままである。

 遠くからはローバス・イオタ全体が震えるような異音が絶えず響いてくる。


「——中庭に向かうとしよう。もう、避難は始まっているかもしれない」

「だね!」

「……うん」


 マニの言葉に、タンテがそう元気よく返し、講義室の出口へ向かう。


 だが、アイリだけは不安そうな表情のまま、手元の個人端末パーソルを見つめていた。


「……アイリ、どうかした?」


 マニが心配げにそう声を掛ける。


「あ……いや、大丈夫」

「……なら、いいけど」


 心配げなマニに手を振り、2人の跡を追うアイリの脳裏には、メッセージの送信相手、コウイチの姿があった。


(……そう、大丈夫よ)


 返信がないのは、当たり前だ。

 これだけ混乱していたら、通信だって混線するだろう。届いているかどうかも怪しいのだ。


 それに、人の心配するだけして、自分が避難し遅れたりなんかしたら、間抜けだ。


 だからまず、自分のことに集中しよう。

 自分に言い聞かせ、アイリは講義室を出た。


 3人は現校舎の方へと戻るために、昇降口を目指して進んだ。


 急ぎ足ではあるものの、通常宇宙服を装着しているため、走りはしない。


 焦りは避難行動における天敵である。転倒による通常宇宙服の破損もあり得る。


 ——そうは分かっていても、ジリジリと心を締め付けるような焦りが3人を侵食した。


 沈黙の行軍に耐えられなくなったタンテが、おどけた調子で話を始める。


「——あの噂だけどさ。幽霊、いそうな雰囲気ではあるよね」

「……そうだな」

「そうね」


 マニとアイリが若干の間を置いて答える。

 会話にはならず、それっきり沈黙が訪れた。


 人のいない真っ暗な旧校舎は、確かに妙な静けさに包まれ、自分達の足音以外に大きな音は聞こえてこない。


 無言の行軍を続けていると、目的としていた昇降口が見えた。3人は何となく顔を見合わせ、歩くペースを早めた。


 あと30秒もすれば、昇降口に着く。


 そこからはメインストリートを真っ直ぐ突っ切れば、昇降機前に着く。宇宙港層に行けば、なんとかなるだろう。


 そんな、浮足だった気持ちを抱えた瞬間。

 

 アイリは背後に視線を感じた。


(——……何?)


 背中に得体の知れない生き物がこびりついたような、不快な感覚。


 やけに身体がスローモーションに動く。

 ゆっくりと振り向いていく。


 背後に続く廊下の暗闇で、人影のようなものがゆらりと立ち上がった。


 何かが小さく光った。


 次の瞬間、何かがアイリの耳の辺りを掠め、背後の窓ガラスを粉々に砕いた。


「——ッ!」


 アイリは初めて体験する音と衝撃で、足をもつれさせ、その場に倒れ込んだ。


「何!」

「えッ?」


 マニとタンテが一瞬遅れて驚き振り向く。


(——逃げて!)


 アイリは今しがた飛来したものの正体を理解していなかったが、理性よりも先に、本能で理解していた。


 ——銃撃だ、と。


 友人達に危険を知らせようとするが、心臓が早鐘のように脈打ち、舌が痺れてしまったように動かない。


 舌だけでなく、手足もガクガクと震え、まるで言うことを聞かない。


 マニが叫び、こちらに駆け寄ってくる。

 タンテが怯えた表情で廊下の奥を見ている。


 銃。


 映画フィルムくらいでしか、見たことのないもの。


 生活の中で登場することはない、非現実的なものだが、確かに存在するもの。


 そして——人を殺す道具。


(あ……)


 そう理解した瞬間、アイリははっきりと恐怖を自覚した。


 (——嫌だ……嫌だ!)


 ガチガチと歯が鳴り、今すぐに逃げ出したいのに、身体が動かない。


 駆け寄ってくるマニの動きが、コマ送りの映像のようにゆっくりと見える。


 アイリは、襲撃者を直接視認してはいない。


 だが、その銃口が確実にこちらを向いていることを直感した。


 アイリは瞼を下ろしていく。


 覚悟したのではなかった。

 現状で取れる、唯一の現実逃避だった。


 (痛いのも怖いのも……嫌だ)


 アイリが意識を泥の中に沈める直前。


 突如、強烈な光がアイリの目を撃った。


 何事かを把握する前に、立て続けに状況が変化する。


 けたたましい非常ベルの音が鳴り響き、アイリの頬を冷たい水が撫でた。


 スプリンクラーだった。


 廊下の天井に設置されたスプリンクラーが一斉に作動し、3人を濡らしたのだ。


 急激な光と水で、眠りかけていた意識が覚醒した直後、ぐいん、と視界が急激に上昇し、ものいわぬ力強さで動き始めた。


「マニ……」


 アイリは自分を背負っている少女の名を背中越しに呟く。マニは必死で聞こえていない。


「走れタンテ!」

「んぐ……」


 恐怖で顔をぐちゃぐちゃにしたタンテを鼓舞し、マニはあっという間に旧校舎の外へとアイリを連れ出した。


 昇降口を出た3人を、僅かな街灯の明かりが照らし、銃撃の音が遠ざかっていく。


 安堵したアイリは気を失った。

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