SCENE 10:幻影

 ——ズキリ、と頭を貫く鈍痛で、コウイチは目を覚ました。


「……ッ」


 痛む頭を抑えながら立ち上がる。


 コウイチがいるのは学園層のメインストリートで、依然として遠くから異音が響いている。


 加えて、正面に見える学園校舎の方からは、非常ベルの音と、校内放送と思しき人の声が微かに聞こえている。


(そうか……俺……)


 記憶が途切れる前と今の状況に若干の差異から、気絶していたのだとコウイチは知った。


 そして、直前までいたはずの半透明の銀髪少女の姿は、影も形も無かった。


「いっ……」


 再び鈍痛が走り、頭を触るが、腫れているものの外側に出血している様子はない。内部の具合は分からないが、今はどうしようもない。


 とりあえず、校舎の方へ戻ることに決めた。

 踵を返して一目散に昇降機を目指してもいいが、情報のないまま動くのは怖かった。


 コウイチは校舎の方へと向かおうとした時——視界の端にを捉えた。


 それは、2人の人影だった。

 メインストリートからは離れた雑木林の中を、滑らかに走っている。


 ここがローバス・イオタでなければ、野生動物かと勘違いしてしまうほどに素早い。


 しかし当然ながら、ローバス・イオタに野生動物はいない。


 コウイチは本能的に感じた違和感から、じっと見つめ——二人の人影が持つに気づいた。


「——ッ!」


 瞬間、コウイチは反射的に、近くの自動販売機の影に身を隠した。


は……いや、まさか……)


 強烈に心臓が脈打ち始める。

 コウイチは自分が見たものを脳裏で再生しながらも、それを信じられずにいた。


 コウイチは目がいい。


 遺伝もあるだろうが、幼い頃は星を見るのが好きで、よく両親と星空を眺めていた。ある時を境に、やめてしまったが。


 だが今に至るまで、視力は衰えていない。

 夜であっても、慣れれば遠くまでよく見通すことができる。


(——、だった)


 コウイチが見たもの、それは二人組が肩から掛けていたのは、だった。


 ミリタリーオタクなモリスから、聴きたくもない蘊蓄を聞かされてなければ、単なる見間違いで済んだかもしれない。


 だが、あの二人組の奇妙な足捌きが——訓練された者のような正確な動きが、予感を後押ししていた。


「…………」


 そっと、自動販売機の影から二人組のいた方向を見やる。


 すでに雑木林のあたりには二人組の姿はないが、向かっていった方向は、最初の動きから推測できた。


 現在使われていない旧校舎の方角だった。


(何だって、あんな所に……?)


 湧き出そうになった疑問は、周囲から響き続ける異音によって打ち消され、コウイチは我に返った。


(……馬鹿か。今は逃げないと……)


 二人組がいないことを改めて確認すると、コウイチはそっと自動販売機の影から体を出し、現校舎の方へと走り始めた。


 そうして現校舎までの道が残り半分近くにまで迫った時。


 ——ピロン、と通知音が鳴った。


 胸ポケットに仕舞われていた、個人端末パーソルからだった。反射的に取り出すと、メタリックな銀色の表面の右上に、通知を示す緑点が明滅している。


(こんな時に……)


 普段ならこんな状況での通知は、無視する。

 だがコウイチはなぜか、その通知を見なければいけない気がした。


 そっと表面に手を添えると、コウイチの生体電気を読み取り、個人端末が起動した。銀一色の表面に色彩が広がり、本体から擬似画面ホロパネルが展開する。


 画面に、一件のメッセージが表示された。




『コウイチ、ちゃんと避難したよね? 私達は宇宙服を取りに、旧校舎に行くから。ボケッとしないように。——アイリ』




 ヒュッ、とコウイチの喉が鳴った。


 ——


 そのフレーズが脳内で反芻され、バッと、反射的に先ほどの二人組の向かった方角を見た。


 闇に包まれた雑木林の奥には、廃れた旧校舎の影がぼんやりと見える。


(時間は……)


 メッセージの送信記録は、今から5分以上前。

 通信が混雑し、遅延して届いたのだ。


(ど……う……すんだ)


 今からメッセージを送ったところで、間に合わない。


 既に旧校舎に到着しているだろうし、送ったところで、信用させる自信がなかった。


 冷たい汗が全身からどっ、と噴き出る。


 旧校舎の方へ踏み出そうとしたコウイチの足は、ビタリと、その動きを止めた。


(なんで……)


 コウイチは、自分の足を何か下等なものを見るかのように睨め付ける。


 足が、地に根を張ってしまったかのように動かず、雷に怯える小動物のようにプルプルと震えている。


 先ほど見た銃のシルエットが、はっきりと脳裏に浮かんだ。


 黒光りする無骨な鉄の道具。

 人を殺すための——道具。


 銃とアイリの姿が交互に浮かぶ。


(……俺は……)


 気づけば、呼吸が浅くなっていた。

 空気を吸っているはずなのに、胸が苦しい。


 脳裏に、現実じゃない光景が展開される。


 どこかの航宙艦、その通路。

 半壊した通路の脇には、青白いプラズマが走る宇宙が見える。


 そしてすぐ先に、手を伸ばした——


「——ッ!」


 朦朧とした意識を、現実に引き戻す。

 滴り落ちるほどの汗をかき、胃の内容物がすぐ喉元まで迫っていた。


 苦労してそれを飲み込むと、頭を振った。


 決めなければならない。


 校舎の方へ行けば、比較的安全だろう。

 旧校舎の方へ行けば、危険がかもしれない。


 だが、目撃した二人組が、本当にテロリストなどである確証はない。ましてや、アイリ達と遭遇するとは限らない。


 ——そもそも、俺は本当に見たのか?

 ——幻かもしれないじゃないか。

 ——そうだよ。あの幽霊だって。


 自分を守ろうとする言い訳が、心の中に降り積もる。


 ——だけど、もし。

 ——もし、あったら。


 三度、脳裏に7年前の光景が浮かんだ。


「——ッ!!」


 コウイチは自分の足を殴りつけた。

 痛みと衝撃で足が痺れ、ふらりとよろける。


(クソッ……クソッ!)


 コウイチは胸の内で呪詛の言葉を吐きながら、足を乱暴に旧校舎の方へと向け、もつれるように走り出した。

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