SCENE 07:邂逅

 学園寮に個室はなく、基本は同じ学科に属する2人で一部屋となる。部屋の両端のベッドに、壁際に並んだ簡易机が二つだけの、極めて簡易的な部屋だ。


 左端の自分のベッドの上に、コウイチは寝転んでいた。


 ルームメイトのポスターや私物が散乱している右端のベッドに比べると、比較的片付いている。しかし、これはコウイチが綺麗好きと言う訳ではなく、単に無趣味なのが大きい。


「…………」


 付けっ放しの部屋の照明を眩しく感じ、右腕で顔を覆った。今はルームメイトもいないため、部屋の照明を消しても問題はないのだが、コウイチにはその気力が湧かなかった。


 右腕によって視界が暗闇に包まれると、昼の一件が思い出された。


 フォードの拳。

 アイリの視線。

 そして——レイストフの声。


「……ッ」


 ギリ、とコウイチは歯を食いしばった。


 フォードへの怒り、アイリや野次馬に見られた羞恥。そして何より——レイストフに助けられた、屈辱。


 それらがない混ぜになって、コウイチの胸の中で渦巻いた。


(ちく……しょう……)


 コウイチが今日だけで何度目か分からない呪詛を心の中で浮かべた時、部屋の扉がバシンと開き、聴き慣れた声が聞こえてきた。


「今帰ったぜ〜って……あれ、寝てた?」

「…………」


 コウイチは喧しさに顔を顰めながら顔を上げると、入口に1人の少年が箱形の荷物を手に立っているのを確認した。


 モリス・ウォルム。

 天然パーマの赤毛に、ソバカスにメガネの少年で、コウイチと同じ整備科のルームメイトである。


 コウイチが苦々しい顔を隠さずに睨みつけていると、モリスの後ろにぬうっと大きな影が現れた。


 部屋の扉枠では全体が見えないほどの巨体は、そのボリュームに反比例するようなか細い声で告げた。


「モ、モリス君。声のボリューム、落とさないと……」

「お、ワリワリ」


 手刀を切りつつ気にした様子のないモリスと会話している。


 巨漢の名前は、サドラン・プトラ。


 コウイチ、モリスと同じ作業班員で、フランケンシュタインもかくやと言った見た目だが、中身はシマリスか何かが入っているような温和な男である。


 扉の外でサドランがぬっと体を曲げ、不器用な笑顔でコウイチを見据えた。


「お、お疲れ、コウイチ君」

「……ああ」


 コウイチもそんなサドランを無視するのは気が咎め、最低限の返事を返す。


 それには構わず、モリスはずかずかと部屋の中へと入ってくると、ビリビリと包装を破きながら箱の中身を見聞し始めた。


 ちらりと見えた文字列から、それが何かの模型なのだろうと推測できた。また部屋のスペースが圧迫されることにコウイチが辟易していると、モリスが唐突に呟いた。


「——お前、あったのか?」

「……な、なにが?」


 突然のモリスの言葉に、コウイチは一瞬、身を固くした。昼間の噂が広まり、2人がそれを知っていてもおかしくはない。


 コウイチは2人にあの無様な事態を知られるのは——特に同情でもされようものなら——とても許容できなかった。


 だが、コウイチのそんな焦りとは別に、モリスの指摘は別のことだった。


「いや何って、だよ」


 モリスは訝しげに自身の頬を突いた。

 釣られてコウイチが自身の頬を触ると、ピリッとした痛みが走った。


 ポケットから個人端末パーソル——カードサイズの携帯型情報端末——を取り出し、カメラを起動して自身の顔を写す。


「……ああ」


 そこでようやく、コウイチは頬に縦状の切り傷が走っているのを知った。


 まず間違いなく、昼間の騒動の時についた傷だった。昼過ぎから今に至るまで部屋でぼうっとしていたため、気付かなかったのだ。


 モリスが素知らぬ顔で尋ねる。


「喧嘩でもしたのか?」

「……宇宙作業機ワーカーの操縦で、ちょっと」


 それだけ言うと、コウイチはベッドから体を起こした。自分でも下手すぎる嘘だと思ったが、モリスはあっさり納得した。


「また? まぁお前、操縦下手だもんな」

「モ、モリス君……それはひどいよ」


 モリスが後ろ手を組みながら言い放ち、サドランがあわあわとそれ諌める。


 そんな二人の薄い反応はコウイチにとって救いであったが、実はモリスもサドランも大体のことを察して、にしてくれたのかもしれない。


 そう思うと、自分がまるで、2人の庇護下にある子供のように感じられてコウイチは息苦しくなった。


「…………」


 コウイチは無言で立ち上がると、人の脇を抜けて部屋を出た。


「コ……コウイチくん」

「おい」


 通路を歩いていくコウイチの背中側で、心配する2人の小声が聞こえたが、それはコウイチの惨めさを加速させるだけだった。



 *



「——クソッ!」


 コウイチは落ちていた空き缶を思い切り蹴り飛ばした。空き缶は甲高い音を音を立てて通路脇の植え込みの中に飲まれ、見えなくなった。


 夕闇に包まれた学園層のメインストリートで、コウイチは苛立ちで肩を震わせていた。


 等間隔で立てられた街灯が所在なさげに立っているだけで、メインストリートにコウイチ以外の動く者の気配はない。


「…………」


 コウイチは音が鳴るほど、歯を強く噛み締めると、苛立ちそのままに歩き始めた。どうにか怒りを発散するべく、地面を蹴りつけるように歩くも、苛立ちは治らない。


 どころか、脳裏には思い出したくないことばかりが脳裏に浮かぶ。


 昼の宇宙塵回収実習。

 拾えなかったデブリ。

 ストリートでの騒動。

 フォードの嘲笑。

 アイリの声。

 レイストフの見透かしたような、あの目。


 再び顎に力が入り、歯がぎりりと鳴る。


(何で……何で——)


 脳裏に、2人の幼馴染の顔が浮かぶ。

 かつては、家族と同じくらいに大切だったはずの2人。


 今では、疎ましいとしか感じられない。


 幼い頃はリーダー面して引っ張り回していた2人が、今や自分より遥かに優秀で、かたや自分は落ちこぼれ。


 それは故郷の天蓋都市ドームポリスにいた頃から、顕著に感じていた。落ちこぼれていった自分とは対照的に、メキメキと頭角を表していった2人。


 たまらなかった。


 だからコウイチは、ヒューゴの航宙士養成学校クラフターズ・スクールに——ローバス・イオタに行く事に決めた。


 アイリとレイストフ、二人の成績から考えれば、別惑星か、隣接星系の航宙士養成学校に行くと思ったからだ。


 身を包むような惨めさから、ようやく解放されると思った。


 ——なのに。


 アイリもレイストフも、ローバス・イオタへ入学してきた。


 ——嫌がらせか?

 ——何で、来たんだ?

 ——何で、ほっといてくれないんだ?


 コウイチの歩調が速くなっていく。

 気づけば、手のひらに爪が食い込むほど、強く握りしめていた。


 脳裏に二人の顔が浮かんでは消えていく。

 再び、放課後の騒動がちらつき、頬の傷がズキリと痛んだ。


(鬱陶しいんだ、全部……全部……)


 コウイチが溜まりに溜まった鬱屈を吐き出そうとした時。


『——消えて、ほしい?』


 音が、コウイチの思考よりも先に現出した。


 それは、声だった。

 、その声は聞こえていた。


 ドキンドキン、と強く心臓が脈打ち、全身から妙な汗が吹き出した。脳裏に、昼間のアイリとの雑談の内容が湧き上がる。


 ——最近、出るんだって。


 焦る意識を押さえつける。

 ゆっくりと振り向いた先に、は居た。


 ——少女だった。


 半透明に透ける身体に、翼のように広がる白銀の長髪。身体全体の輪郭が、ぼんやりと発光している。


 精緻な人形のように整った顔に嵌め込まれた青色の瞳が、コウイチを見据えている。


(——……なんだ)


 コウイチは動けなかった。


 恐怖なのか、それとも見惚れていたのか。

 ともかく、コウイチはまるで金縛りにでもあったかのように、その場に立ち尽くしていた。


 何度見ても、少女の身体は半透明だったし、薄ぼんやりと光っていたし、まるで現実の光景には思えなかった。


 そんなコウイチの状態を知ってか知らずか、は再び声を発した。


『じきに——火が灯る』

「……え?」


 それは通常の音の響きとは異なり、コウイチの脳裏に直接響くような不思議な感触を秘めていた。少女の発する言葉一つ一つが、危険な甘さを待って脳髄に入っていく。


『水は溢れ——泡沫は消えゆく』


 しかし、コウイチは少女の告げる言葉の意味が、さっぱり分からなかった。そんな戸惑いに構わず、少女はコウイチの瞳を真っ直ぐに見つめて、呟いた。


『彼女を、救って——』


 彼女の声は、まるで電波の届かない遠い場所から届くラジオのようにぶつ切りで、不鮮明で、全くもって意味不明だった。


『そして、私を——』


 だがコウイチは強く、心の奥の奥で、強い衝動に駆られた。


 ——今すぐ、彼女を抱きしめなければ、と。


 だが、あまりにも意味不明な状況の連続に、コウイチの脳はフリーズ寸前で、湧き上がりかけた謎の衝動は次第に萎んでいった。


「……お前、何を——」


 ——伝えたいんだ。


 そう尋ねようとした時、コウイチの耳がを捉えた。


 異音が——金属が軋む、重く低い不気味な音が、ローバス・イオタの四方から響いて来る。


(何……だ……?)


 目の前の不可思議な状況を一時的に忘れてしまうほど、その異音はコウイチに本能的な恐怖を感じさせた。


 まるで自分の立っている地面が、底なしの大穴に変わろうとしているかのような、そんな、根源的な恐怖。


 そして、異音が一際大きく迫った——次の瞬間。


 天地がひっくり帰るような轟音と衝撃が、ローバス・イオタを包んだ。

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