SCENE 03:屈辱

「——おい、聞こえねぇのか?」

「…………」


 コウイチは無論聞こえていたが、無視を決め込んだ。


「シカトかよ?」


 声の主が近づいてくる。

 やがて視界に入ったのは、コウイチと同じ整備科の制服を着た男子生徒。染色された長めの金髪。ガタイのいい身体に、蛇のような細い目つき。


 同期の整備科生、フォード・クラインだ。


「良い御身分だなぁ?」

「シシシ……」


 その脇から、同じく整備科の男子生徒が二人、湧き出る。


 痩せこけたのっぽ、ヒューイ・クライス。

 メガネをかけたチビ、ラッセル・トード。


 フォードを合わせた彼ら3人は、いわゆる不良学生達であり、恐怖こそされていないものの、絡まれたら面倒な奴らとして知られていた。


「……何の用?」


 アイリがコウイチを庇うように、フォードの前に出る。ことあるごとにコウイチにを賭けるフォードは、アイリにとって厄介な相手でしかなかった。


 フォードは答えず、大袈裟に驚いてみせる。


「お、今日はと一緒かぁ?」

「——ッ!」


 その言葉に、無反応を貫いていたコウイチがフォードを睨みつける。


 剣呑な雰囲気を察した周囲の生徒達がざわつき始める。その様子に気づいたフォードは、ニヤリと口元に薄い笑みを浮かべた。


「……聞こえなかった? 何の用かって聞いてるのよ」


 アイリは再び険のこもった声で告げ、フォードを睨みつけると、フォードはおどけた様子で応える。


「いやな。ただ、ヤマセにを払ってもらおうかと思ってな」

「……?」


 フォードの発したその単語に、訝しそうに眉根を寄せるアイリ。


「どう言うこと?」

「…………」


 アイリが訊ねるも、コウイチは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでいる。


「——『制限時間内に宇宙塵デブリを多く集めた方の勝ち』って勝負をしたんだ。俺と、でな」


 黙りこくったコウイチに代わり、フォードが楽しそうにそう説明する。


「え……?」


 アイリは驚いた。

 コウイチがそんな勝負を受けたことにである。普段は無視に近い状態であしらっていたのに。


「そして、『負けた方が何でも一つ、言うことを聞く』——だよな、ヤマセ?」


 フォードはそう締めくくり、アイリは心配そうにコウイチを見る。そして気がつけば、コウイチ達を中心に野次馬の輪が作られていた。


 ——なんだなんだ。

 ——三馬鹿じゃん。

 ——喧嘩?


 呟きが周囲から聞こえてくる。

 そんな中、コウイチがようやく口を開いた。


「……それで?」


 絞り出すように言ったそのセリフを受け、フォードが口をニヤリと歪める。


「そうだな……この場でパラパラ踊ってもらうかぁ……ここで1人漫才会を開いてもらうのも、いいなぁ?」


 そう楽しそうに案を出し、脇の2人がケタケタと笑い、歯を噛み砕かんばかりのコウイチをアイリが不安そうに見つめる。


 周囲には、面白い見せ物が始まるとニヤニヤする生徒や、下らなそうに去る生徒と様々。ひとしきりそんな周囲の反応を見てから、『決めた』とフォードが呟き、報酬を提示した。


「——ハミルトンお姉ちゃんを1日借りる、ってのはどうだ?」


 そう告げたフォードの顔には、何かを確信するような邪悪な笑顔が浮かんでいた。


(——え?)


 突然告げられた自分の名前に、アイリの頭は驚きが支配された。なぜ突然自分の名前が出てきたのか、本当に分からなかったのだ。


 だが、コウイチは違った。


 アイリが目を離していた一瞬に、コウイチはフォードに飛び掛かった。しかし、コウイチの拳は空を切り、素早く伸びたフォードの腕がコウイチを地面に叩きつける。


「……ぁッ」


 コウイチの全身を強烈な痛みが襲う。

 肺の中の空気という空気が強制的に吐き出され、視界が明滅した。続け様、フォードの足がコウイチの頭を踏みつけ、恐ろしい力で地面に縫い付けた。


「ぐ……うう……」


 ギギギ、と自分の頭蓋が軋む音と、割れんばかりの激痛に挟まれ、コウイチはどうしようもなく悲鳴を上げた。


 身長160センチ程度で痩せっぽちコウイチに対して、身長180センチのガタイのいいフォード。


 体格面において、全く勝負にならないのだ。


「……あぁッ!!」

「おっと」


 コウイチはなんとか腕を振って上半身を起こすが、即座にフォードの蹴りが顔面に飛び、コウイチは再度、地面に転がった。


 顔面の痛みに悶えるコウイチの背中に、ドンと強い衝撃と痛みが走る。


 フォードがコウイチの背中を踏みつけているのだ。

 コウイチは逃れようともがくが、身体は地面に縫い付けられたように動けない。


(クソッ……クソッ……!!)


 コウイチはピン留めされた蝶のようにバタバタと手足を動かしていたが、フォードの足に力が込められ、肋骨に激痛が走り、歯を食いしばった。


 歯を食いしばると——蹴られた時に切ったのだろう——口の中にじわりと鉄の味が広がった。


(……ちく……しょう……)


 あまりに情け無くて、コウイチは歯を食いしばりながら、涙を目元に浮かばせた。


「この……!」


 アイリが怒りのまま駆け出そうとし、野次馬の一部が悲鳴と歓声を上げた——その時。


「——何の騒ぎだ、これは」


 朗々とした声が、その騒乱を貫いた。





 声は、コウイチ達を囲む野次馬の輪を割って立つ、1人の青年から発せられていた。


 橙色の操船科の制服を着込んだ、身長180センチを超える長身。髪はウェーブのかかったプラチナブロンドで、顔つきは精悍でありつつも、女性のような美しさすら放っている。


 レイストフ・エルネスト。


 ローバス・イオタの生徒会長であり、専科外を含む全科目でトップの成績を誇る、完全無欠の美丈夫である。加えて、惑星国家同盟アライアンス最大の巨大複合企業コングロマリット、エルネスト・グループの御曹司でもあるのだ。


 玉の輿を狙う女子生徒他、多くの生徒達から絶大な人気を誇るカリスマであった。


 ——レイストフ様よ!

 ——かっこいい……

 ——チッ……


 野次馬の生徒達から、驚きや羨望、ため息など様々な声が挙がった。


 そのレイストフのすぐ隣にも、もう一人の生徒。

 同じ操船科の制服を着込み、カールがかったブロンド髪に、西洋人形のような白い肌に青い瞳の少女。


 ティアナ・クランヴィル。


 そのお嬢様然とした容姿や言葉遣いは、男子生徒に並々ならぬ人気があり、実際、ティアナはエルネストグループに次ぐ巨大企業クランヴィル重工の令嬢である。


 そして、レイストフとティアナ——ローバス・イオタを象徴する2人が、家同士が決めた許嫁の関係であるということも、もはや公然の秘密と言えるものだった。


 そんな訳で、女子生徒がレイストフに黄色い声を上げ、男子生徒からはティアナに色めきだった声が上がる。


「…………」


 先ほどまで余裕の笑みを浮かべていたフォードが、苦虫を噛み潰したような顔をし、コウイチもまた、地面に縫い付けられたまま、拳を震わせていた。


 レイストフは、組み伏せられたコウイチ、渋面を浮かべたフォードの順に見やると、淡々と告げた。


「——フォード・クライン。校内での暴力行為は禁じられているはずだが」


 レイストフの問いかけで、ようやく我に帰ったフォードは、思い返したように笑みを浮かべた。


「……知ってるぜ、会長さん。ただな、が急に飛び掛かってきたんだぜ?」


 フォードは足下のコウイチを指し示すと、大袈裟に肩をすくめた。しかしレイストフは芝居がかった話には取り合わず、そっけなく告げた。


「理由など関係ない。これ以上続けるならば退学を覚悟しろ」

「…………」


 レイストフのその端的な言葉と視線に負けたのか、フォードはゆっくりとコウイチから足を離した。しかしコウイチは全身を這い回る痛みで、地面から動けずにいた。


 レイストフはその場にいる者に聞こえるよう、淡々と告げた。


「——フォード・クライン、ヒューイ・ロッド、ラッセル・トード、ヤマセ・コウイチ……」


 レイストフは順繰りに、迷いなくその場の生徒のフルネームを読み上げていく。


「——に15点の減点処分。今日中に反省文を提出しろ」


 レイストフはこの騒ぎの中心人物達に毅然とした態度でそう告げた。


 生徒会長には、校則違反行為に対して、一部罰則を与える権限が与えられている。権限の行使に当たって様々な条件が必要だが、今回のように目の前で違反行為が行われているケースは、例外にあたる。


 レイストフの告げた人数に、そばに控えたティアナはわずかに眉を顰めた。


「教官への報告は私からしておく。以上だ」


 そう告げるや否や、レイストフは群衆の輪を割り、学校方面へと歩き始めた。その少し後に、ティアナが続いた。


待って、コウイチは……!」


 そんなレイストフの背中にアイリが声をかけるが、レイストフは振り向く様子も見せず、歩き去っていった。


 ——なーんだつまんねぇ

 ——はい、終わり終わり

 ——白けたねぇ……


 取り囲んでいた野次馬達はそんなことを告げると、三々五々、散らばっていく。未だ地面に倒れ伏したままのコウイチを気の毒そうにみる生徒は一定数いたものの、助け起こそうとする者はいなかった。


 フォード達もその野次馬と共に、いつの間にか居なくなっており、気がつくと、その場にコウイチとアイリだけが残った。


「コウイチ……!」


 アイリは医療室に駆け込むことを考えながら、コウイチへ駆け寄り、手を伸ばした。


「——ッ!」


 だがその手は、コウイチに払い除けられた。


(えッ……)


 アイリは手の痛みよりも、払い除けられた戸惑いの方が大きかった。


「…………」


 コウイチは痛みを堪えるようにゆっくりと立ち上がった。そのまま、服についた埃を払いもせず、フラフラとした足取りで街の方へと歩いていった。


(コウ……イチ……)


 薄汚れた小さな背中が去っていくのを、アイリは立ち尽くし、見送る事しか出来なかった。

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