SCENE 02:幽霊
コウイチは発着所に宇宙作業機を着陸させると、ハッチを開けて外へ出た。
「…………」
宇宙作業機がしっかり置き場に固定されているのを確認すると、習慣で操縦席の脇から
機体に足裏を合わせ、バネの要領で身体を反対方向、発着場の出口へと滑らせた。
本来、宇宙作業機の使用後は
幸いなことに、発着場にコウイチ以外の人影は無く、教官に見咎められることは無かった。
だが、どうやったって後でバレる事である。
ここで整備点検を怠るより、後で教官に指導される方が万倍も手間なのだが、今のコウイチには、そんな計算もままならなかった。
宙を滑るコウイチの身体は大方目的通り、出入り口の付近へと流れ着いた。
今度は壁面に足裏を合わせると、優しく力を込め、地面へ。
接地すると、作業用宇宙服の足裏、電磁吸着が作動。
足裏がふい、と地面に吸い付いた。
マジックテープのついた靴を剥がす要領で、無重力空間の床を歩いていく。扉の前に着くと、センサーがコウイチを認識し、自動でその口を開けた。
中は二重扉になっており、後ろでしまった扉とは別に、目の前には頑強な扉。その先には、
扉横のスイッチを慣れた手付きで操作すると、気圧調整室へと入る。
数秒後、気圧調整が始まり、部屋の上中央のモニターに表示された気圧が徐々に上昇していく。
数字が『1』と表示された数秒後、コウイチの身体にぐん、と強い重力がのしかかり、コウイチはタタラを踏んだ。
人工重力だ。
無重力エリアと重力エリアの境目でもある気圧調整室で、重力の切り替えが行われるのだ。
開いた扉の先には、層を跨ぐ昇降機への細長い通路が広がっていた。
「…………」
コウイチは身体が重力に慣れたことを確認すると、通路へと出た。すぐ右に曲がると、男子更衣室があった。
中に入り、慣れた様子で作業用宇宙服を脱ぎ捨てると、自分のロッカーへしまった。
ハンガーに吊るされた灰色の制服を手に取り、ズボンを履き、シャツを纏い、ブレザーの裾に腕を通し、ようやく履き慣れてきた革靴に足を滑り入れる。
紺のラインで縁取られた灰色のブレザーに灰色のスラックス。
なんとも地味だが、これがコウイチの属する
ローバス・イオタは専科制で、
それぞれ、制服は操船科は橙色、機関科は茶色、整備科は灰色、船務科は黄色、医療科は薄紅色、開発科は白色と定められているのだ。
コウイチは革靴の先で床を叩きズレていないことを確認すると、出口へと向かい、更衣室を出ようとして——何気なく、扉横の大鏡へ視線をやった。
「…………」
鏡に映っているのは、灰色のブレザーを着た黒髪黒目の東洋系の少年。
やや外ハネ気味の癖っ毛で、顔のパーツは丸い。
身長は——今年で17歳になるにしては——160センチ程度と低く、猫背気味なせいで更に低く見える。
それぞれパーツが幼く見える一方、ひねたような目付きや、ぶすっとへの字に結ばれた口元が、年相応の——思春期の少年らしさを醸し出していた。
「…………」
コウイチは乱暴に扉を開け、更衣室を出た。
誰もいない通路を蹴るようにして進んでいくと、革靴が金属製の通路と擦れ合い、カンカンと間抜けな音を立てた。
地面を睨みながら歩き続け、下層へ降りる昇降機が立ち並ぶ一画へと辿り着くと、壁面のパネルを無造作に操作し、昇降機が上がって来るのを待つ。
両足のスニーカーの間に、床に反射した自分の顔が映った。小さな子供みたいな顔が。
「クソ……」
コウイチから口癖のような愚痴が溢れた時。突然、ドン、と背中を強く押され、コウイチはたたらを踏んだ。
「——ッ!」
コウイチは怒りに突き動かされ、反射的に拳を握る。
しかし。
そこにあった顔を見て、コウイチは立ち上がった怒気を見失った。
「よっ」
そこにいたのは、船務科の制服を着た女子生徒だった。
肩あたりで切り揃えられた栗色の髪に、細身ながらも女性的なシルエット。優しそうな眉と琥珀色の瞳。顔には、悪戯に成功した子供のような表情が浮かんでいる。
アイリ・ハミルトン。
同じローバス・イオタの生徒であり——コウイチの幼馴染の少女だ。
「…………」
コウイチは行き場を失った怒りを渋面に変え、顔を逸らした。
直後、コウイチの肩がバシンと叩かれる。
「……何だよ」
「無視はないでしょ?」
不機嫌顔のアイリが腰に手をやる一方、コウイチ叩かれた肩をさすりながら呟く。
「なんでまだ、こんな所にいんだよ」
二人は異なる科に属するため、
故に、先程まで二人は同じ『
だが、コウイチよりも先にアイリは帰投し、十分な時間が経過している。既に下層の
そのアイリがなぜ、ここにいるのか。
コウイチはその答えを大方知りながらも、問わずには居られなかった。
そしてコウイチの予想は違わず、アイリは肩を浮かして答えた。
「頼まれてるんだから、しょーがないでしょ」
「…………」
アイリは成績優秀でしっかり者。不器用で無愛想なコウイチの世話を、育て親に頼まれているのだ。
だがコウイチにとって、同い年のアイリに世話を焼かれることが、この上なく嫌だった。
「……俺は頼んでねぇ」
コウイチは吐き捨てるようにそう呟くが、アイリは涼しい顔だ。
「そんな台詞は、1人で試験を乗り越えてからにしてよね」
「………」
痛い所を突かれ、コウイチは黙り込んだ。
コウイチは比較的真面目に出席しているのに、成績は常に恐るべき低空飛行であり、アイリの助け無くば進級すら怪しいのだ。
話題には飽きたらしく、アイリが唐突に話題を変えた。
「あ、そうそう! 知ってる? あの噂」
「どの噂だよ」
主語のない話し方に突っ込むが、気にした様子もなくアイリが答える。
「最近、出るんだってさ」
「だから、何が」
アイリの勿体ぶった言い方に面倒を感じながら、コウイチが再度問う。
「——幽霊。学園を徘徊する、少女の霊!」
「………」
コウイチは聞き返したことを後悔した。光すら超越した技術を持つ時代に、幽霊とは。
「くだらね……」
吐き捨てたコウイチに、アイリはチッチッチッ、と指を振った。
「それが結構、目撃情報多いのよ。メイリィも見たって言ってたし」
「誰だよ」
唐突に出てきた固有名詞に突っ込む。コウイチは友達が少ない。アイリの友人関係など把握している訳も無かった。
「医療科の友達。可愛いんだけど、口がねぇ」
「いや、だから——」
コウイチは若干苛立ち始めていた。アイリとは長い付き合いとはいえ、アイリには天然のきらいがある。
これで校内一桁に入る成績だと言うのが、コウイチには分からなかった。
ため息を吐きつつ、コウイチが説明する。
「誰が見てようと、証拠になるかよ」
人間の脳は、見たいようにしか見えない。
噂を聞いた状態では、どんな枯れ尾花だって幽霊に見えるというものだ。
そんな問答の内に、昇降機の扉が開いた。
扉の奥には、昇降機の部屋が見えた。
一度に50人程が裕に乗れるスペースがあり、簡易的な立ち椅子まで用意されている。
コウイチはさっさと乗り込み、立ち椅子に腰掛けると、隣にアイリが続いた。
分厚い扉が締まり、身体が下降していく感覚に包まれる。広い空間の中で、僅かな昇降機の稼働音が響いている。
そんな静寂を、アイリは唐突に破った。
「——で、話には続きがあって」
「続くのか……」
コウイチはかなりゲンナリした。
『旧校舎の神隠し』
『深夜に鳴るピアノ』
『秘密の地下研究所』
『ドッペルゲンガー』
『巨人の影』
などなど。
幽霊だけに留まらず、アイリはそんな内容のことをコウイチに話続けた。
コウイチは適当に相槌を打つだけだったが、アイリは満足そうだった。
数分が経った頃、昇降機の扉が開いた。
扉の先には、昇降機の待合室。
そしてその先には、太陽光の差し込む『街』が広がっていた。
ローバス・イオタの主役たる
"学園"とは言いつつも、そこには日々の生活に必要なほぼ全てが揃っている。
校舎のある学園エリアを中心に、商業施設から宿泊施設、果ては娯楽施設まで存在する、直径5キロメートルの街である。
学園層をすっぽりと覆う天井は、疑似映像を映す巨大なモニターとなっており、中央を移動する人工太陽光放射装置に合わせて、昼夜が再現される。
加えて、気候再現装置による四季や天候まで存在するため、惑星にいるような感覚に陥る。
「…………」
コウイチが差し込んだ眩しさに目をすぼめていると、アイリがスッとコウイチの手を取り、歩き出した。
それは幼い弟を導く姉のようで、コウイチより背が高いアイリとでは、姉弟に見えた。
コウイチはバシンとその手を弾いた。
「やめろよ」
「何、照れてんの?」
「…………」
無視して歩き出したコウイチの横に、アイリが早足で追いつく。
待合室を出ると、校舎まで続くメインストリートが真っ直ぐ伸びていた。
現在時刻は、13時過ぎ。
午後の講義を受ける生徒達や、アルバイトに向かう生徒達でメインストリートはかなり賑わっていた。
実際、コウイチもこの後座学の講義があったし、アイリはカフェのアルバイトがあった。
ローバス・イオタでは、街の商業施設に関しても生徒達の積極的な参加を推奨しており、一部の専門区画を除き、労働力の多くを生徒達自身で賄っている。
あらゆる分野での
しかしそれがローバス・イオタの教育方針であり、事実それは日常の光景であった。
2人は別れるまでの時間を潰すべく、取り止めのない会話に興じていた時。
「——よう、ヤマセ」
コウイチは、今1番聴きたくない声を聞いた。
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