8 従姉、復帰のお許しをもらう

 うーちゃんがおしゃべり配信をした翌日、学校で梶木さんと顔を合わせた瞬間言われた。


「おはようあーくん」


 やめてほしい。でもちょっとうれしい。特にからかう調子ではなかったのだ。


「よしてよ、恥ずかしいから」


「んーん。だって虻川くんを略してもあーくんでしょ? 虻川雨雪。きれいな名前」


 梶木さんはニコニコしている。うーちゃんねるのおしゃべり配信をアーカイブで観たらしい。

 動画なんて観てたら勉強できなくない? と聞くと、梶木さんは笑顔で答えた。


「勉強のBGMにちょうどいいよ、ラジオ聴くひともいるでしょ? 映像観なければそれほど負担にならないよ」


 確かにその通りであった。そして、梶木さんはとてつもなく勉強のできる人だ。

 勉強できる人、というのは自制心が強いということなのだと思う。梶木さんはダンジョン配信を聞き流しながら勉強ができるのだ。さすがだ。

 おそらく梶木さんは、他のクラスメイトたちのように、映画を倍速で観たり音楽のイントロを飛ばしたりしないで、ちゃんと最初から最後まで味わうタイプなのだろうな、と思う。それを訊いてみる。


「えっ、映画倍速にしても面白くなくない? 音楽だってイントロ切っちゃったらつまんないよ」


 梶木さんは昔の大人みたいだなあ、と少し思った。なんというか豊かな世界観がある。僕もそういうふうに生きたいと思った。

 さて、きょうもきょうが始まる。


 この学校では基本的に浮いた噂は流れてこない。噂話をするよりは勉強したほうがいいというタイプの人間ばかりだからだ。放課後はどうなのか知らないが、基本的には誰も恋愛に興味がない。

 とにかく大学に行って、場合によってはさらに院まで行って、いい会社に就職して、世の中を動かす人間のはしくれになってから、自由に恋愛をしよう、というのがお定まりのパターンなのだ。

 だから恋などしている場合ではないのだ。しかし僕は、むやみに梶木さんが気になっていた。

 恋なのかどうかはわからない。でも梶木さんのように豊かな人生を送りたいと思っている。それは確かだ。

 悩みを打ち明ける相手もいないままアパートに帰ってきた。スマホのメッセージを確認すると、「病院に行ってきます」とうーちゃんから連絡が来ていた。

 安心して入る。うーちゃんはメッセージどおり出かけているようだ。軽く掃除をして、取り込んであった洗濯物を外に干す。きょうは冬の東京らしい、乾燥したいい天気だ。


 課題から順番に進めていると、うーちゃんが買い物を抱えて帰ってきた。どうやらもう火傷治療用のパッチはいらないらしい。きれいに治っていて安心する。


「よかった」


「なにが?」


「やけど、きれいに治ってるじゃん」


「んだ、火傷治療用パッチはすごいど。ちょっとした火傷なら即で治る」


「あとさうーちゃん、あんまり僕の存在を広めないでもらえる? 僕も含めて身バレしたら僕学校行けなくなっちゃう」


「配信見てけだんだか!?」


「いや学校で有識者から聞いた」


「ほおー。いるのがい有識者。あーくんの学校サもダンジョン配信観る人いるんだなあ」


 結局、梶木さんのことはなにも言えなかった。うーちゃんは手際よく料理している。カレーと麻婆春雨。やっぱり脈絡がない。


「あーくん、今朝テレビで観たんだばって、いまどきの若い人ズのは音楽のイントロ切ったりドラマとか映画とかを倍速で観るって本当だか?」


「そういう人もいるんじゃない? って感じ。僕はやらないよそういうこと。味気ないじゃん」


「んだか」


「ちょっと聞きたいんだけど、うーちゃんの通ってた高校もあっちだと進学校だったんだよね」


「んだよー。鳳鳴高校っつってや、年寄りだば鳳鳴出ってしゃべれば感心するいんた学校だあ」


「そこからさ、なんでダンジョン配信者なんか目指したわけ? ふつうに大学行くんじゃだめなの?」


「何度も言ったように、学校サやりたいことがなかったんだあ」


「でも大学にいけばさ、ダンジョン学もあるしさ、勉強したいこともなにかしらあったんじゃないの?」


「どうだべな。だばって、いまから考えても遅いべした」


 確かにそれはその通りなのだが。


「よし。1週間お休みするつもりであったばって明日からまたダンジョンさ潜るお許しが出た!」


「打撲は大丈夫?」


 うーちゃんはブラウスのボタンをひとつはずして見せた。鎖骨の少し下にあるあざはもう黄色くなっている。だいたい治った、ということだろう。

 そのあとうーちゃんは「よいパフォーマンスはよい睡眠から。そのために風呂サ入る」と体をボキボキ鳴らしてから風呂に入った。もう風呂に入るお許しをいただいたのだろう。


 うーちゃんは元気になった。僕も元気にならねばならない。

 うーちゃんがダンジョンで怪我をした、というのは、どうもショッキングだった気がする。身近なところで危ないことが起きるというのはなかなか体験しないことだ。


 ……梶木さんは、この「身近なところで危ないことが起きる」というのを、小さいころに体験してるんだよな。僕なんかよりもっとショッキングな形で。

 思い出してうっとなる。それでもダンジョン配信が好き、というのは不思議だなあ、とも思う。

 僕は勉強したあと風呂に入って、スマホで明日の天気を確認した。明日も晴れる。もうすぐ春、というような陽気らしかった。

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