第3話 『蜘蛛』の巣作り3


 不摂生が原因で御嬢様の右頬に大きなニキビができてしまった翌日の話で御座います。

 自己管理もせず不健康な生活を送っているのですから、そりゃあニキビのひとつやふたつでてきてしまってもおかしくないですが、とにかく御嬢様は癇癪を起こされ、翌朝には珍しく健康的にサラダとスープのみをお召し上がりになっていたところに、真っ青な顔の使用人のひとりがやってきました。


黒金学院くろがねがくいんからの招集状が」


 怯えた様子でかざされたその手紙に、ゲケルセンや料理人達はババッと勢いよく御嬢様の顔色を確認致しました。

 御嬢様は新鮮なピューリにフォークを突き刺したきり……、結局特に何を口にするでもなく、そして口に運ぶでもなく、泣き叫ぶでもなく、自室にお戻りになったそうです。


◆◆◆


「アルアにも黒金学院に行くらしいわよ」

「ええっ!? てっきりあの娘は白銀しろがねのほうに行くのだと……」

「あの娘はもうマシレイ家の人間だもの。お家のために行くのは黒金でしょうよ」

「性格を考えれば絶対に白銀のほうが合ってそうだけどね」

「御嬢様の足はますます重たくなられたでしょうね。学院には行かれないかもしれない」

「それにしても白銀のスカウトを蹴るって……」


 噂好きなのはトカット達だけでは御座いません。

 早めの夕餉の時刻、『蜘蛛』は使用人寮の食堂で先輩達が小声で話している内容を耳にし、さてどういう事だろうと考えながら、自分の食事に向き合いました。

 自室に食事を運んでもらう事もなくなり、今や『蜘蛛』は使用人達と同じルーティーンで動いています。正式雇用されていないだけで、ほとんど使用人といってよいでしょう。給金を貰っておりませんのでタダ働き同然やもしれませんが、衣食住が揃っているだけで十二分で御座いました。


 ――白銀というのは恐らくこちらも学校に違いない。黒金とは何やら違うところのようだ。アルアはそちらに行くかに思われたが、黒金のほうに行くというわけだ。


『蜘蛛』は考えました。分からない事だらけですが、御嬢様がアルアと顔を合わせたくないというのは流石に予測がつきます。


「そもそも御嬢様に黒金から招集がかかるとは……」

「あら、別に御嬢様は繋術師けいじゅつしとしては何一つ失態はなさってないもの。当然の招集よ」

「仮にもアストラル家のご令嬢ですからね」

「赴かれるのかしら。そうしたら暫くまたお屋敷が静かになるわね……」

「行ってもらわないと困るわよ。お取り潰しになったら私達の行き場もないわ」

「他所は他所で苦労しそうだものねぇ」

「ご当主様もいくら御嬢様が可愛くても、皆を守るためにも学院には行かせるはずだわ」


 サラダのピューリをつつきながら『蜘蛛』は2つ向こうのテーブルでの会話に耳を傾け続けました。


「でも学院に行くって事は誰か侍従としてついていかなきゃいけないわよね」

「無理」

「絶対にイヤ」

「あんた程度じゃどの道ついてけないわよ、学院なんだから」

「そう考えるとやっぱりアルアが適任だったわよね、結局黒金に行くんだし」


 そんな会話の隙間に割り込むように、聞き慣れた複数の声が『蜘蛛』の背後に近づいてきました。トカット達です。彼女らは夕方の仕事終わりのようで、今日のメニューはなんだのかんだのと話しておりました。

『蜘蛛』はすぐさま振り向き、ラプフェティの服を引っ掴みました。


「ぎゃっ!? コ、コイツ……なんで……」

「……」


 驚愕した様子のラプフェティ、トカットとクラィシヒも瞠目して『蜘蛛』を見下ろしております。お喋りなこの三人が時折見せるこういう一瞬の沈黙は、どことなく深い不気味さと高潔さが入り混じったような奇妙な感覚を『蜘蛛』に覚えさせました。


「――あらツクモさん、一体どうしたのかしら」

「御嬢様は学院に行かれるんですか?」

「まあなんだかんだ行かれるでしょうね~」

「侍従も一緒に?」

「……ラプフェティ、相手しておあげなさいな」

「ええ~っ」

「あんたの分取ってきてあげるわよ~」


 置いてけぼりにされたラプフティは仕方なく『蜘蛛』の隣の椅子を引き、座りました。

 正確な歳の頃は分かりませんが、ラプフェティは十五、六ほどの少女と思われます。使用人達の中で恐らく最年少で、敬語も使い慣れていない様子なのを『蜘蛛』はもう分かっておりました。

 しかしそれでもラプフェティはこの薔薇屋敷の使用人として雇われているのです。盗んで見習えるところがあるはずだと『蜘蛛』は思っておりましたから、自分より幾分化年下であろう彼女にも失礼な態度は取らないように努めておりました。


「黒金と白銀の違いはなんですか?」


 学院を知らなかった事もバレておりますから、この程度の質問なら大丈夫だろうとラプフェティに尋ねてみると、彼女は面倒そうな顔こそしましたが、常識知らずを蔑むような様子は見せませんでした。それに『蜘蛛』はこっそりと安堵致します。


「簡単に言えば、黒金は金持ちで優秀な学徒の集まる学校、白銀は出身地位問わずに才能があればスカウトされる学校デスよ」

「ほお」

「どちらも繋術師の育成をしています。といっても、黒金の方に通う生徒は元から繋術師としての訓練を積んでいる者が多いデスね。御嬢様のように。所属される方々は大概、貴族系列です。まああそこに通う目的は繋術を磨き、より自分の名声や評判を上げる事もそうですが、縦や横の繋がりを強くするために通っている者が殆どデショウ。――ちなみに入学する際には、のお金が必要になりマス。そのお金は黒金学院の経営と、繋術師が大陸で活躍するための支援金に当てられマス」

「ほお」

「白銀は……あそこは慈善事業デスよ。恵まれない立場でも才能のある者を繋術師に育成します。あとは、野放しになってる厄介者に救済の手を向ける事もありマスが……。学費もかからなければ給料もナシ。白銀はね、黒金と違って逆にそこ出身の繋術師に助けられた人々からの支援金なんかで成り立ってるんデス」


 なるほど、確かに黒金と白銀は全く逆の印象の学校のようで御座います。


「双方とも学校といっても決まった数や決まった時期に生徒を受け入れているわけじゃありまセン。学院長やおかみの判断で、入学が決まりマス。黒金の前回の招集は五年くらい前デシたかね。――七繋貴ですが、御嬢様とお年頃の近い方が多くいらっしゃるので、その世代をまとめて入学させるつもりだろうと云われてまシタ。御嬢様だけでなく、フォックス家やハグマ家の御子息も今年が学園のご卒業デシた。予想は当たっていたようデスね」


 つらつらと喋るラプフェティの言葉を、正直なところ『蜘蛛』は半分理解できているかいないかといったところでした。しかし下手に聞き返すよりも、少しでも多くの情報が欲しかったので、なんとなし話を理解している状態で、次の質問を口にしました。ラプフェティがいつまで『蜘蛛』に時間を割いてくれるかは分かりませんから。

 

「侍従も一緒に行けるんですか?」

「そりゃね、七繋貴ともあろう方が侍従のひとりも連れずに学院に入学なんて恥さらしも良いところデスよ。ア、君はいけまセンよ」


 じゃあ自分がと言う前、ラプフェティは『蜘蛛』を読んだようにすかさずそう言いました。


「黒金学院は表向きは学校だから、立ち入れるのはだけデス。ようするに、ご主人と一緒に繋術を磨きに行くんデス。元より名家に仕えている、将来有望な繋術師が選ばれマス。ウチはアルアになる筈でシタ。あとは誰になるかは分かりませんデシタが……」

「あなたが行けばよかったのですよラプフェティ」


 そう言って『蜘蛛』の向かい側の席に座ったのは、食事を持ってきたトカットでした。その隣にクラィシヒも腰掛け、冷めかけのスープをスプーンで掻き回しておりました。


「死んでもイヤだ。御嬢様も勉強も苦手なんデス」

「誰もやりたがらないなら私が」

「御嬢様について黒金に行くという事はアストラルの名を背負う使用人であり、繋術師でなければならないのよ~。アンタなんて誰が指名するのよ!」


 クラィシヒはケラケラと大層馬鹿にするように『蜘蛛』を笑いました。のみならず、スープの中に入っていたゴジャイモをポイと『蜘蛛』の空になった皿に投げ入れさえしたのです。

 しかし別に『蜘蛛』はゴジャイモが嫌いでは御座いませんでしたから、ありがたくそれを摘んで口に運んだだけなのですけれど。


◆◆◆


 さて、共に過ごす時間が増えれば増える程、人間とは良くも悪くも互いの存在に慣れてゆくもので御座います。

 怪我が回復してゆくごとに『蜘蛛』は怪しくも哀れな病人から、タダ飯食らいになってゆきました。加えて、御嬢様への恩返しに執着する変わり者というレッテルもつけられております。

 気安い仲というか、いいように使われているというか、恐らく後者でしょうが、しかし『蜘蛛』はトカット達とよく話す事ができたので(といっても殆ど黙って話の成り行きを見守り、どうしても尋ねたい質問だけ口にするといった感じです)、文字が読めないなりにある程度の情報を得る事ができました。


 食堂でクラィシヒが口にした『』という言葉を、『蜘蛛』は聞き逃しませんでした。アンタなんて誰が指名するのよ。つまるところ、黒金学院への侍従は指名される。テスト等があるわけでなく、恐らくアストラル家の者の指名制なのでしょう。

 加えて、どうやらこの屋敷は長いこと御嬢様のお父君であるご当主は留守にしているようですから(話の成り行きを聞くに、ご入学までの間にも帰ってこられるか怪しいとか)、恐らくその決定権はフィラン・アストラルにあるというわけなのです。


「黒金学院へ連れてゆく使用人は是非このツクモに」


 ――温室から戻られた御嬢様は、使用人寮の中庭で待ち構えていた『蜘蛛』にこう言われ、大きな吊り目を数度瞬かせ、次には口角を引き攣らせました。

 身の程知らずの申し出に呆れられたか、あるいはいつぞや助けた虫がまだ恩返しにこだわっていると知り嘲笑しそうになったか。


「アタシ、まだ『行く』なんて言ってないから」


 全てを跳ね返すようなお声を残し、御嬢様はすぐにお屋敷へと戻っていってしまわれましたが、しかし『蜘蛛』はこれしきで挫けるような者では御座いません。


 御嬢様は定期的に温室に赴かれます。『蜘蛛』はその温室とは何か、まだこの時はよく知りませんでしたが、温室というからには植物が育てられているのでしょう。定期的な管理が必要であろう場所です。

 そしてそこへの立ち入りができる者は数少ないようで、使用人でも同行許可がなければ入ってはならないというのも聞きました。という事は、基本的に出入りできるのはアストラル家の者であり、つまり管理者はご当主様や御嬢様という事です。

 植物の世話は定期的にしなければなりません。


『蜘蛛』の勘は当たっておりました。

 御嬢様は数日に一度、温室とやらに向かうために使用人寮の裏庭を通って木漏れ日の美しい雑木林の中に入ってゆかれる。

 仕事を放りだして(なんたって正式に与えられた仕事などありませんでしたから、突如放棄してもなんら問題は御座いませんでした)、来る日も来る日も御嬢様が裏庭をお通りになる際に声をかけました。行かれる時も、戻られる時も。

 共に過ごす時間が増えれば増える程、人間とは良くも悪くも互いの存在に慣れてゆくもので御座います。例えそれが僅かな時間でも、効果は御座います。


「アンタを連れてく理由がないわ」


 学院に行くつもりがないと毎度繰り返していた御嬢様が言葉を変えたのは、幾日目の事だったでしょうか。

 使用人たちが、結局は学院に行く事になるだろう、と噂をしていたのを頼りに、御嬢様のそっけない言葉にくじけずお声をかけ続けたかいがあったというものです。

 御嬢様御本人も学院に行かざるを得ない事は分かっておられたのでしょう。日数が経ち、タイムリミットが迫ってきているのを感じていたのか、この日の御嬢様は自然とご自身が学院に入学なさることを前提とした話を無意識に切り出されたので御座います。

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