第3話 『蜘蛛』の巣作り1
さて、フィラン御嬢様のお話をしたいところですが、ひとまずこの物語は『蜘蛛』が御嬢様のお付きにならないことには話が進みません。
ですのでここでは致し方なく『
日に日に体力も回復し、喋ることにも苦を感じなくなった頃には『蜘蛛』ことツクモは自分の世話をしてくれる使用人達の顔をあらかた覚えておりました。
仕事としてしか接してこないそっけない者もおれば、フレンドリーな者もおります。
中でもトカット、ラプフェティ、クラィシヒの三人は『蜘蛛』と歳も近そうで、その存在に安心感を得ましたが……三人の方は束の間の話し相手程度にしかツクモを認識していなかったでしょう。
最も情報をくれたのは、前回でも少しお話いたしましたバーナルでした。冬は持ち前の仕事が手隙なことが多いのです。
「つまりアンタはレディーズメイドになりたいと」
「よく分かりませんが、御嬢様のお世話ができる役職がいいんです」
「もの好きな……。あのお人好しのアルアだって本意でやってたかどうかも分からないのに……」
真剣な面持ちの『蜘蛛』を、バーナルはまじまじと珍しい昆虫でも見るかのような顔で見つめました。
「……、ウチは基本的に仕事は回転式なんだ。ハウス、キッチン、ランドリー、それに遠征。固定業はゲケルセンと、ご当主の侍従ペンティカ、御嬢様のレディーズメイドのアルアだけだった」
「じゃあそのアルアの位置に。……もう誰か代わりをやってます?」
「まさか! 誰も手をあげやしないよ。お鉢が回ってくるとしたらトカット達だろうが、絶対に嫌がるだろうね」
「ここにやりたがりのもの好きがいますので是非」
この『蜘蛛』は普段から滅多に表情を変えないところがありましたが、しかし瞳だけは爛々と輝いているのがバーナルにはよく分かりました。ツクモは大層本気なのだと。
「
「学びます」
ここで下手に『繋術』とは何か尋ねてしまうと見放されかねないと思い、『蜘蛛』は謙虚に上手く言葉を使いました。
「…………まァ、身体も全快してないし、まずは普通の仕事から徐々に覚えていくんだね。そこで使えなきゃそもそも意味がない」
「! ありがとうございます!」
「頭下げるなり取引するなりで誰かの時間をもらいな。御嬢様の気が変わらない内に頑張るんだね。――皆に話くらいは通しといてやるよ」
バーナルは素っ気のない話し方をする女でしたが、『蜘蛛』にとっては世界で二番目の親切な人に思えました。
勿論一番は、命を拾ってくださったフィラン御嬢様で御座います。
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さて、『蜘蛛』はまず歳の近そうなトカット、ラプフェティ、クラィシヒに指導を願う事にしました。歳の近そうなといいますが、実際どうなのかは分かりません。三人の歳を知りませんし、なんであれば『蜘蛛』は自分の年齢も把握していませんでしたから。しかし、少なくとも他の使用人たちは中年という表現の合う外見の者が殆どです。
トカット、ラプフェティ、クラィシヒの三人は大概同じルーティーンで仕事が回されております。
そしてこの三人は揃うと常にお喋りをしているので、見つけるのにそう苦労は致しませんでした。
「御嬢様がお帰りになれば多少は外の仕事が減ると思いましたのに、まさか遠征が増えるどころか乞食の世話までするハメになるとは人生上手くいかないものです」
「せめてアルアがいればこんなに忙しくも面倒もなかったデショウにね」
「仕~方ないわよ、雲の上の人間だったんだから」
「そして私達は別の蜘蛛のお世話をするというわけですね」
「どこの誰かも知れない者を屋敷に入れて……フィラン御嬢様も懲りないお方デスよね」
「あの蜘蛛まで
使用人寮の裏にある大きな庭で、三人は洗濯物を干しているようでした。
探していた三人を都合よく、そして予想通りに一気に全員見つけることのできた『蜘蛛』が彼女たちに声をかけようと一歩踏み出すと、三人の首がグリンと動いて『蜘蛛』の姿を捉えました。
「……――ああ驚いた。てっきり御嬢様がいらしたのかと……」
「……『蜘蛛』さん、盗み聞きは趣味悪いデスよ?」
「……バラベリナッツの殻は剥き終わった~?」
この三人ときたら、それはもう覚えやすい容姿をしているんです。
トカットは紺色髪のオカッパ頭。中くらいの背で、猫のような印象の目をしています。左の目元にあるホクロも印象的です。
ラプフェティは灰色髪のおさげ頭。三人の中でも一番若く、小さい背丈で、口元にいつも薔薇の刺繍の入った黒いマスクをしていました。
クラィシヒはオレンジがかった茶髪を高い位置でポニーテールに結んでいます。背がすらりと高く、細い切れ長の瞳をしていました。
「剥き終わりました。キッチンに置いてあります」
「クラィシヒ、あなたまた殻剥きを『蜘蛛』に任せたのですか」
「い~じゃないか。本人がやりたがってるんだからさ~ッ」
「今度、私の当番の時も代わってほしいデスね」
落ち着いた物腰にトカットに、歌うように語尾を踊らせるクラィシヒ、堅苦しい物言いに慣れていなさそうな若いラプフェティ。この屋敷の使用人の中でも、個性の強い面子である事は確かです。フィラン御嬢様にしか興味のない『蜘蛛』でさえも、この三人の誰が誰なのかは覚えるのにそう時間はかからなかったのですから。
「『蜘蛛』さん、もう歩いて大丈夫なのデスか?」
「その大丈夫というは何があったら大丈夫でないということになるのかは分かりませんが、歩きたかったし歩けたので歩いています」
「あそう……」
「息切れてるわね、だいぶ」
飄々とした面持ちでよく分からないことを答える『蜘蛛』にラプフェティはなんとも言えない面持ちで口をつぐみましたが、トカットはこの『蜘蛛』がそれなりの無理をしてそこに立っている事を見抜いているようでした。
「何か仕事をください」
『蜘蛛』は三人に頼み込みました。
「あ~らそう? じゃあ明日の分の殻剥きも今……」
「そうでなくて、もっと色んな、基礎的な仕事を教えて欲しいんです」
「……」
「バーナルさんから聞いてませんか……」
「聞いてるけど~……?」
「一体どのような義理があって?」
「我々がそんな事をしなければならないんデスか?」
三人は全くもって乗り気ではなさそうでした。
彼女たちは給料と引き換えに『蜘蛛』の世話をしているに過ぎません。無償の優しさまでは用意されていないのです。
「フィラン御嬢様のお付きになりたいんです」
「いや、別に君の気持ちを言われてもデスね」
「私達になんのメリットもないし~」
「そうよね、私達はあなたから何かいただけたりするのかしら?」
そりゃ渡せるものがあるならば渡したいところですが、『蜘蛛』は身ひとつですし、その体だってやせ細っていて、こうしてちょっと外に出るだけで息切れしている有り様です。
「わ、私がお付きになれた暁には、そのお給料から皆さんにお礼金を出します。いかがでしょうか」
「べっつにお金には困ってないしねェ~」
「
取り繕う隙のないクラィシヒとラプフェティの様子を見て、トカットも「という事だから、お諦めになった方がよろしいわね」と猫目を素っ気なく細めました。
三人は『蜘蛛』などその場にいないように背を向けて、シーツを干す作業に戻ってしまいました。
「それにしてもお嬢様はいつまでああして黴のようにお過ごしになるつもりかしら」
「昨晩も死んでしまいたいって部屋で叫んでいるのが聞こえてきまシタよ」
「放っておけばいいのよ~。そうお望みなんだもの。それに毎日そうしてただ叫んでいるだけよ。本気じゃないわ~」
「けどもうひと月もあの様子だもの。このままじゃあ、招集があっても学院に行かないなんて言い出しかねないんじゃ……、ちょっと」
テキパキとシーツを渡し、縄にかけ、干すの作業を繰り返していると、『蜘蛛』がその作業に割り込んきたものですから、トカットは瞠目しました。
さてどうしたものか、追い出してやろうか、三人は目配せ致しました。
『蜘蛛』は真剣な面持ちで洗いたてのシーツを縄にポイとかけてゆきます。背が高いおかげで、少なくとも一番小さなラプフェティよりは作業が早そうでした。皺無く干すことこそできてはいませんでしたが。
ウンとトカットは無言で頷きました。他二人も、頷き返しました。
また三人がぺちゃくちゃとお喋りを始めたのを見て、追い出されなかった事に『蜘蛛』は内心で安堵の息を零し、シーツをピンと張ってみせるクラィシヒの手元を必死に凝視するのでした。
◆◆◆
『蜘蛛』はこのようにして数週間、トカット、ラプフェティ、クラィシヒの三人の作業にひっついて、見様見真似で仕事を覚えてゆきました。
与えられた私室で休んでいる時も、時折バーナルが様子を見に来てくれました。
……しかし、フィラン御嬢様が顔を覗かせてくださる事はございませんでした。
「御嬢様は本当の本当に塞ぎ込んでしまわれたみたいね」
「仕方ないデスよ。だって今年の『ハラカイニャ』の数があれデスもん」
「いよいよ本気で落ち込んでしまったのね~」
使用人寮にある台所では今日も今日とて、使用人達の中でも一頭噂好きの三人が集まっておりました。
収穫されたばかりのオロイシの花びらを潰して絞り、オロイシの種からは油を抽出し、残った茎の筋を取りながら、三人は作業台に肩を並べてぺちゃくちゃとお喋りを続けております。
「他人事のように言ってる場合じゃないですよ。このままではお嬢様は本当に学院へ行かれないかもしれません」
「行きたくないなら行かなければいいじゃない~?」
「バカ言わないでクダサイよ。学院に行かなければ、あの方はどこにいることになりマスか? この屋敷デス」
「ああ~~それは……」
「それに、アストラル家の跡継ぎが学院に行かないなんて……ゆくゆくはお取り潰しにされてしまうかもしれないわ。ただでさえ『ハラカイニャ』のあの数。もしもこのまま忘れ去られれば……この土地は……」
「おおお~、こわいこわい……恐ァーーーーい!!!」
苦笑いを浮かべながら、瓶を取ろうと振り返るなりそこに真っ白な影が立っていたのでラプフェティは悲鳴をあげて飛び上がりました。
「気配を消して立つのはおやめなさいって言ってるでしょう!」
「そんなつもりはありませんが」
そこにいたのは『蜘蛛』でございます。
勝手に使用人見習いになってから数週間経っておりましたこの頃には、かなり見違えた姿になっておりました。最初は無理に動くせいで身体に負担がかかりすぎて辛い日も少なくありませんでしたが、体力もついてきて、肉付きもよくなりました。
食べるものが脂肪になる前に筋肉になるような動き方をしておりましたので、ひょろりと背に似合う手と足はすらりと細くて長く、”蜘蛛”は蜘蛛というよりナナフシのような出で立ちで御座います。
「殻剥きが終わったので」
「え? もう~?」
「だいぶ慣れてきました」
「あらすごいじゃな~い」
ズイと差し出されたザルの中にあるバラベリルナッツを確認し、クラィシヒは目を丸めました。
明らかに一日分ではないその量を覗き込み、トカットは猫目を細めました。クラィシヒは誤魔化すように笑うばかりです。
「あの……最近姿が見えないんですが、あの人はどこにいますか」
「お嬢様? 一昨日お帰りになられまシタが、それからすぐまたお部屋に引きこもってらっしゃいマスよ。ハラカイニャの数を知って塞ぎ込んでしまったんデス」
「まるで『つぼみの学園』にいらっしゃるんじゃないかってくらい屋敷は静かですね」
「学院に行こうが行くまいがこのまま静かなら構わないかも、なァ~んて」
「はあ……」
口々に喋る女中達の言葉に耳を傾けるも、『蜘蛛』はなんとも曖昧な音しか漏らせませんでした。
「ナッツをありがとう。もう自由にしてて良いわよ~」
「何か手伝います」
「いえいいわ。私達だけでのんびりやりますから」
「手伝います」
気ままにお喋りをしたかった三人は、譲らない『蜘蛛』に対し笑顔で「あら~そう~?」と努めて有難がった声を出して、茎の筋取りの作業を教えることに致しました。
先程までぺちゃくちゃお喋りをしていた三人も、混ざり込んだ異物のせいですっかり沈黙してしまいました。
しかし喋ることが大好きな彼女たちは、今にも話したそうにすぐにウズウズとしてきたようで御座います。
順調に作業が進んでいく中、沈黙を破ったのは意外にも、普段ほとんど必要なことしか喋らない『蜘蛛』で御座いました。
「その……ハラ……ハラペーニョ? みたいなのがなんとかって、なんなのですか?」
「ハラペーニョ? 何それ」
「ハラカイニャのことデスか?」
「知らないの~? アイタッ」
『蜘蛛』が口を開いた途端、三人はほぼ一斉に喋りだしました。
信じられないものを見るような目をしたクラィシヒのポニーテールを、トカットがくんっと叱るように引っ張ります。
「仕方ないですよ、ツクモさんは
「気にしないでクダサイね。私達だってここにお仕えしてなきゃ詳しくは知らなかったデスよ」
「でも耳にしたことくらいはあったはずよ~、アイタッ」
クラィシヒの高い位置にあるお尻をを今度はラプフェティが引っ叩きました。
「『ハラカイニャ』は『シズェーチャ』が始まる前に贈り物を送り合う文化のことよ。といっても基本的に貴族文化ですけどね」
「まずは下の地位のものがその土地で一年かけて作った名産品やなんかを贈る。そしてそのお返しに上の地位のものが調度品なんかを贈るってわけデス」
「お嬢様も毎年たくさん御学友から色んな名産品を頂いてたのよ~。なのに今年は……」
彼女らは口々に言い、最後には口にすらできないとばかりな大げさな表情を演出しながら揃って、人差し指と親指の隙間がほとんどない「ちょっぴり」といったジェスチャーをしてみせました。
「きっと皆、アストラル家よりマシレイ家のほうに乗り換えたのね~」
「全く現金な連中デス。お嬢様だって気にすることないデスのに……」
「仮初の友情は貴族社会の闇ね。その点では本当にお可哀そうなものよ」
使用人達はもはや『蜘蛛』に話すでもなく、また三人できゃいきゃいと喋りだしておりました。
「なるほど……お歳暮みたいなものか……」
「「「オセーボ?」」」
ぽつりと合点がいったように『蜘蛛』がつぶやいたその謎の言葉に、三人は食いつきます。しかし『蜘蛛』はすぐに話題を切り替えました。
「『つぼみの学園』とか『学院』は?」
「あんた本当に何も知らないのねぇ~」
「仕方ないデスよ。庶民にだって遠い天の国みたいな場所デスから」
「まあ、簡単に言えば学校ですよ。学校」
「学校」と『蜘蛛』は繰り返しました。
「ツクモさんと出逢った日に、フィランお嬢様は『つぼみの学園』をご卒業されたのですよ。そして次は順調に行けば『黒金学院』というわけです」
「それは別の学校なんですか?」
「そりゃそうよ~! いつまで経っても『つぼみ』にいるわけないじゃない!」
三人はあはははと笑いました。
『蜘蛛』は何故笑うのか分かりませんでしたが、どうやらとんでもなくおかしな事だったようです。
「私どもような一般市民にはよく分からない世界ですが……黒金学院はつぼみ学園とは全く違います。誰ももう子どもではいられない。学ぶことも、競うことも、今までとは比べ物にならないほど熾烈になる。だから皆、それに備えてつぼみの頃から切磋琢磨するのよ」
「だのにお嬢様ったら……つぼみ学園最後の日にあんな事になって……そりゃ学院にも行くのだって気も重くなりマスよね」
「そもそも学院の招集まで恐らくあと
「ご当主様がお許しになるものですか。あ、ツクモさん。その筋取りが終わったらこちらの花絞りを手伝ってくれますか? もう手がヒリヒリしてしまって……」
すっかり三人で喋りだした使用人の間で『蜘蛛』だけは、三人の話す内容の意味を理解し考察しつつ、黙々と花びらの入った布をぎゅうぎゅうと絞っておりました。あまり質問を重ねすぎては、変に警戒されてしまうかもしれませんからね。
指先に力を込めると桃色の汁がぽた、ぽた、と瓶の中に落下してゆきました。ぽた、ぽた、ぽた。
「だめだめ、もっと力を入れないと。ほらこうデスよ!」
「ラプフェティったら無茶言わないの~。こんなひょろひょろでどこにそんな力があるっていうのよ~」
「そうよ、ごめんなさいねぇ。ツクモさん手伝ってくれてありがとう、もう十分ですからね」
『蜘蛛』からものを取り上げ、勢いよく絞ってぶしゃーっと桃色の汁を出したラプフェティ、そのお尻を膝でつつくクラィシヒ、苦笑いを浮かべているトカット。
トカットは『蜘蛛』を追い出すために、役立たずにしかならないこの作業を任せてきたのだと気づき、『蜘蛛』はもう引き下がるしかありませんでした。あまりしつこすぎて嫌われてしまっては、次に縋る先もないものですから。
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