第2話 薔薇屋敷の憂鬱5 



 フィラン御嬢様おじょうさまがつぼみ学園から薔薇屋敷ばらやしきに戻られて一月ひとつきほどの時間が経っておりました。(正確には皆さんの思われる一月とこちらの一月は若干日数が異なるのですが、感覚としてはほぼ同じでしょうから分かりやすくこのような言葉を使わせていただきます)

 季節の移り変わりも御座いましたが、アストラル領地は気候の安定した春の土地で、ご卒業の時期は世界的に見れば所謂『冬』でこそありましたが、この年は雪に見舞われることもなく薄い外套を着込めば十分といった暖冬となりました。とはいえ茨薔薇ヶ丘いばばらがおかはオフシーズンで御座います。

 使用人達も順番に休暇を頂き(町人と親しい仲の者も多いですから、合わせて休暇が取れるようにという当主様のお心遣いだそうです)、どこも人手がいつもより足りないような日々が続いておりました。とはいえ、仕事量も減っておりますからさしたる問題は御座いません。


 フィラン御嬢様はあいも変わらず部屋にお引きこもりになる時間も多くはございましたが、少しずつその時間も、本当に僅かなものでこそ御座いましたが減ってゆきました。

 アストラルの領地の、しかもフィラン様のご家系が取り仕切るこの茨薔薇ヶ丘いばばらがおかの、更にこの薔薇屋敷の敷地だけにいるのならば、御嬢様を苦しめるような噂話や情報は早々入ってはきません。使用人たちも御嬢様の不機嫌は恐ろしいものですから、極力口を噤みました。

 となれば御嬢様のお心も穏やかとまでは言えずとも、痛みから目を逸らせる時間も多くなってゆきました。


 ――加え、フィラン御嬢様は時折『蜘蛛』の部屋にも足をお運びになられました。


「キィィ信ッじられない!! なんでこのアタシが!!! 悪者扱いされなきゃなんないのよ!!!」


 金切り声と共にけたたましく扉が開かれるのも、そう珍しい光景でもなくなってきていました。

 看護番だった使用人は御嬢様が鬼の形相でやってくるなり、慌てて頭を下げて部屋から逃げ出してゆきます。


「アタシはね!! 身元も知れない薄汚い人間に慈悲をくれて助けてやったのよ!! そうよね!!? アンタ、アタシに感謝してるわよね!!?」

「滅茶苦茶してます」

「そうよね!!? アタシにアンタ虐められてる!?」

「いえ別に」

「そうよね!!? じゃあ今すぐ町中にそう触れ回ってきなさい!!! アタシの名誉挽回のために!!!」

「まだ長距離を歩くのはちょっと……」

「あーもう!! 皆キライ!! 本当キライ!! 大嫌ァ~~~イ!!!」


 叫ぶだけ叫び、御嬢様は勢いよくベッドの傍に置いてある椅子に座りました。ぬくさの残るそこに顔を歪めつつ、フンスと鼻から息を吐き、ようやっと落ち着いた様子でベッドに座る『蜘蛛』を見ます。

『蜘蛛』は膝あたりには小さなボウルが三つほど置かれておりました。ひとつにはバラベリナッツの殻が、ひとつにはバラベリナッツの剥き身の実が、もうひとつにはまだ剥かれていないままのバラベリナッツが入っておりました。


「ハァ?」


 御嬢様は『蜘蛛』が細長い指で殻を剥こうとしているのを見て、これでもかと顔を顰められました。


「ちょっと……誰にやらされてるの? あのねェ、病人をコキ使ったなんて知れたらまたアタシが周りになんと言われるか」

「自主的にやってます。リハビリ代わりに。器具を握ってるより生産的じゃないですか」

「ハァ~~?  ……、あそう。まあいいわ。で、誰の仕事だったのよソレ、そいつからしっかり減給してやるわ」

「私が手伝わせてくださいと頼んだんです。それに本来その人がやるより、私がやるほうが時間がかかってると思います。足引っ張ってるくらいですから、減給なんてとんでもない」


『蜘蛛』は、奇妙な変わり者でした。

 御嬢様はこざっぱりした『蜘蛛』のふわふわした白い髪の毛を眺めました。拾った時には汚い毛玉のようだった髪は刈り上げショートになっています。

 拾われた時には泥まみれで絡まって毛玉だらけで御座いましたから、切らざるを得なかったわけですけれども、『蜘蛛』は更に短く整えて欲しいと要望したのです。

 衣服も御嬢様の好みとは正反対で、メイド服も着たがりませんでした。

「私は背が高いみたいなので似合わないですよ」などと言い、男性用の服を好みました。


 ――御嬢様はこの『蜘蛛』を拾った日、馭者の者達に着替えを押し付けようとしたものですが、馭者達が真っ青な顔で飛び出てきて耳打ちされた内容にたまげ、仕方なく御嬢様ご自身がこの『蜘蛛』の身体を拭いてやったものです。


「看護役の性別に希望はある?」と御嬢様はいつかのタイミングで『蜘蛛』に尋ねてみました。しかし蜘蛛はいつもはどこか眠たげな目を丸め「いいえ。……でもありがとうございます」としみじみとした面持ちでそう告げたのでした。


 とまあここまででしたらそう珍しくもないでしょうが、この『蜘蛛』の奇妙で変わった点というのは外見ではなく中身のほうに御座います。

 そも、この大陸に生きる者で『繋術けいじゅつ』を知らないというのが特異なのです。

 それに少しは賢そうな話し方をするかと思えば、文字も読めないのです。時々、意味不明な言葉も使います。


『蜘蛛』の看護役に入ることの多かった使用人のバーナルは(バーナルは主に薔薇屋敷の敷地内にある泉や湖、川などの管理を行っている三十代程の女性です。水質の専門家で、漁も得意なのです)、ゲケルセンに『蜘蛛』の身元を探るように指示されましたが……「よく分かりません。ただの乞食で、あんなに流暢に喋る者がありますでしょうか。しかし間者にしては隙だらけですし、物を知らないのも嘘をついているようには思えません」と難しそうな顔をしてこう報告するのです。

 それから「ただ、なのは確かでしょうね」と、またこう言うのです。

 ――ちなみにこの報告は、なんともまあわざとらしく御嬢様の前で行われました。

 ゲケルセンは御嬢様の朝食の場にわざわざバーナルを呼び出し、『蜘蛛』について報告させたので御座います。

「お聞きになりましたかフィラン御嬢様」とゲケルセンが言えば、御嬢様は「ええ、アストリズラの囀りが」と澄ましたお顔でおっしゃいます。

 ゲケルセンの額に青筋が浮かぶのにも動揺せず、バーナルは口を開きました。それはゲケルセンにとっては不幸なことで、彼女に味方する発言ではありませんでした。


「何事も責任は最後まで取る事です。途中で放棄してしまうのなら、手を差し伸べた事が罪でしょう。育てるも始末するも、始めた御嬢様がすべき事では?」


 このバーナルの発言が正しいか正しくないかはさておき、これをバーナルが口にするとがあってゲケルセンも御嬢様もなんとも気が重くなるのです。


「…………分かったわよ。なんにせよ私が拾ったんだから、何事も責任は取るわよ!! これで満足!?」


 しかしこの発言を御嬢様の口から引き出せた事はバーナルの功績でした。

 言質を取りましたので、ゲケルセンの小言もこの時より大幅に減ったのです。


 …………さて、話は戻りまして。

 バラベリナッツの殻剥きをしていた『蜘蛛』は、指先に摘んでいたナッツの殻をやっと剥き終わると、御嬢様のご用事に集中するために手を止めました。


「それで、今日は何をお怒りになってるんですか?」


『蜘蛛』に尋ねられると、御嬢様は「アッ」と思い出したように声をあげ、大きくて丸い瞳の目尻をまたギュッと吊り上げました。


「アンタのせいでアタシは大恥かいたのよ!!」

「なんでまた」


『蜘蛛』は御嬢様の怒鳴り声にも動揺せず、そう尋ねました。

貴族令嬢に釣り合いのとれる身分でもなし、使用人としてもまだ未採用であります。しかしかといって外に出ているわけでもないので、悪評を振りまく事も難しい筈です。

 それとも貧乏人を貴族が拾う事が恥になるのでしょうか。命を救う事が笑われることなのかと『蜘蛛』はそう見当違いなことを考えました。


「アタシが人間を虫扱いしてる極悪令嬢だって!!! だってアンタが言ったんじゃないのよ『蜘蛛』って!!!」


 ギャインと叫ぶフィラン御嬢様は、怒りと羞恥に涙を滲ませて真っ赤な顔で『蜘蛛』をこれでもかと睨みました。

 ……確かにひとりの人間を蜘蛛呼ばわりするのは、よくよく考えれば決して常識的ではありません。

 勿論、薔薇屋敷の使用人たちも最初は御嬢様が一人間を蜘蛛呼ばわりする事にドン引いていましたが、いつの間にかそれが日常となり、何せ『蜘蛛』本人も身元を探られても「助けて頂いた蜘蛛です」と意味不明な名乗りをするばかりでしたから、致し方ない事だったのかもしれません。

 しかしそのような事情は町では通用しませんので、いくら地域でお世話になっている貴族の娘が相手でも、『蜘蛛』と拾った人間のことを呼んでいる御嬢様に町人達も面白半分で批判せずにはいられなかったので御座いましょう。


「じゃあ何か適当に名前をつけてください。それならいいでしょ」

「ワタ。ホコリ」

「アッ、やっぱり自分で考えますね」


 真っ白でふわふわな頭のてっぺんを見て紡がれた単語に、『蜘蛛』はすぐに切り替えしました。『蜘蛛』という言葉は自分で口にしたので気に入っていますが、流石に綿や埃まで意気揚々とは受け入れられませんでした。微妙なラインがあるのです。


「アタシが馬鹿にされない立派な名前にしなさいよ」


 うーんと考えている『蜘蛛』に御嬢様はそう告げます。

『蜘蛛』は考えました。存外本人は『蜘蛛』という呼び名も嫌いではありませんでしたので、どうせなら音を残せやしないかとも思いました。


「クモ……クモリ……んーん、クモ……ツクモ……ああ、ツクモ……ぶっ」

「?」

「ぶふッ、ふくくく……ッ、すごい、最高にいい名前だァ……」


 細い肩が震えるほど笑い出した『蜘蛛』に御嬢様は理由が分からず、奇妙なものでも見るように拾い物を眺めております。

 いやまったく、こんなにピッタリな名前があろうかと。『蜘蛛』は我ながらよく思いついたものだと、それはもう気分が良かったのです。もうすっかりこれ以外の名前なぞ考えられませんでした。


です。私の名前はツクモ」

「クモに一音つけただけじゃないのよ!」

「いいんです。これ以上の名前はもうありませんよ」

「フーン。まあいいわ。じゃあ、ツクモ」


 御嬢様は名前のついた『蜘蛛』を見つめ、不遜な態度でそう呼びました。

 そのお声は、ツクモを初めてツクモたらしめるもので御座いました。

 だのでツクモはただ嬉しそうに微笑し「はい、フィラン御嬢様」と尊いお名前を呼び返したので御座います。


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