第2話 薔薇屋敷の憂鬱2

 薔薇屋敷の使用人達はその夜、御嬢様のご命令により広間に集められました。

 不機嫌の絶頂で帰宅された御嬢様と顔を合わせたくないために逃げ続けていた者達も仕方なくすごすごとやって来ております。

 一体なんなのか、御嬢様の拾い物は誰なのか、アルアはどうなっているのか、そんな話をざわざわと、その日屋敷にいた三十五人の使用人達は小声で話し合いました。

 しかし時間になるなりけたたましい音を立てて扉を開き登場した御嬢様に、皆はさっと口を噤みます。

 部屋の隅に控えているゲケルセンは、どうせろくな事になるまいという顔をしています。


「私が今日拾ってきた『蜘蛛』の世話を誰かに任せようと思うの」


 部屋に入るなり喋りだした御嬢様は、使用人達の前に立つと偉そうに腕を組んでそうおっしゃいました。

 全員の顔が引き攣ります。ゲケルセンが声を上げる前に御嬢様は付け足しました。


「勿論、お給料は出します。このアタシの財布から」


 ざわりと、使用人達が俄にどよめきました。

 何せフィラン御嬢様といえば御自分のお小遣いは全て御自身につぎ込んでばかりだったのです。

 お父君が家計の金銭管理については厳しくご教育されれておりましたので、手を出していけない金に手を出す……という事こそ御座いませんが、自由にして良い金に関しては本当に自由にお使いになる方なのです。気に入ったお洋服や化粧品、嗜好品ならなんでもです。それもこれも全部ご自分へのプレゼントで、その金を誰かのために使うなど聞いた事もありませんでした。


「それに皆、それぞれ仕事があるでしょうから交代制にします。自分の仕事から抜けられる時間帯にバイト感覚にでも入って頂戴よ。そうね、一時間でこれでどうかしら」


 御嬢様はそう言って指を二本お立てになりました。全く持って悪くない条件でございます。使用人たちはまたざわつきました。

 しかしざわつくのみで、誰も名乗りをあげません。御嬢様は形の良い眉を吊り上げ、ゆっくりと薬指もピンとお立てになりました。

 しかしそれでもざわつきが大きくなるのみなのです。

 けれども御嬢様も使用人の気持ちに予想がつかないわけではありませんでした。薔薇屋敷の使用人達は十二分な賃金を貰っているのです。金に困っている者はそういないでしょう。ご褒美程度の金は欲しいでしょうが、しかし十二分な賃金を貰うために仕事の量も時間もそこいらの町人よりは大きいですから、休暇と金を天秤にかければまだ休暇のほうに心が傾くのでしょう。


「じゃあ、アタシの世話をする時間をその分減らしていいから……」


 言い切る間もなく無数の手が勢いよくあがり、御嬢様は「お前達!!」と怒りの声をあげられるのでした。


◆◆◆


 さてその日から、薔薇屋敷に一匹の『厄介者』が増えました。

 増えましたって何故かっていえば、最初から別に厄介者がおりますからね。勿論使用人たちはそれが誰かなんて、冗談めかしてでも口が裂けても言えません。


 まずはどちらのお話から致しましょうか。

 といってもこれは御嬢様の物語ですから、拾い物の話はひとまず簡単にしておきましょう。

 では……『蜘蛛』、ですが。

 まず『蜘蛛』は薔薇屋敷のすぐ後ろに建てられた使用人寮の空き部屋に運ばれることとなりました。七繋貴しちけいきの使用人は花形ですから、空きが出たところですぐに人員は補充されます。しかし偶然……いえ、偶然という言葉は語弊がありますが、とにかく寮にはアルアの部屋がありましたから、そこが今度は『蜘蛛』の部屋となったのです。アルアがこの屋敷に帰ってくる事はもうないでしょうから。


 使用人たちは(特に下級使用人です)、大体一時間から三時間くらい好き好きに自分で時間を定めて『蜘蛛』の世話をしました。

 柔らかい食事を用意して口に運んでやったり、衣服を着替えさせてやったり、身体をタオルで拭いてやったり、排泄の処理などもしてやりました。

『蜘蛛』は全くおとなしいもので、痛みや苦しみの喘ぎ声は噛み殺すほどの気概もありましたし、感謝の言葉も忘れず、かといって必要最低限のことしか話さず、あとは黙々と自身の回復に努めるばかりで御座いました。

 自分が何者であるか尋ねられても口を割らないところはゲケルセン達を困らせこそしましたが、仕事に対して文句も言わず、礼の言葉を述べる。これだけで使用人たちはこの『蜘蛛』のことを、ただそこにいるだけで邪険にするような事はしなくなりました。何故って、もし本来の勤務をしていたらキィキィといろいろ八つ当たりをされていて、もっとうんざりとした目に遭う筈でしたからね。


 問題はフィラン御嬢様のほうで御座います。

 長年侍女として連れ添い、学園にまで連れていったアルアに裏切られ(アルア本ににその意思があったかはさておき)、大衆の前で恥をかいた事実は、じわじわと御嬢様の心とお体に蝕み続けておりました。

『蜘蛛』を拾った時にはまだ思考が別に逸れてマシだったようで御座いましたが、『蜘蛛』の世話を他人に任せてしまうと、御嬢様自身に思考の余裕が生まれてしまい、あの屈辱の日をひたすらに思い出してしまうのです。


「アタシなんてもう死んだほうがいいんだわ~ッ!!!」


 なんて金切り声が御嬢様の私室から聞こえてくるのなんて、日常茶飯事で御座いました。


「どうせアタシは意地悪な悪者よ!! 村娘をコキ使った魔女よ~~ッ!!」


 なんて風に泣きわめいてるかと思えば、


「あの小娘ェ~~!! 誰が今まで世話してやってきたと思ってるのよ!! 恩知らず!! 助けてやったこのアタシになんて仕打ちを!! アルア~~~!!」


 というように次の瞬間には悲劇の主人公から立派な悪役ヴィランのような絶叫が聞こえてくるのですから、全く情緒が安定しておりません。

 清掃係は『蜘蛛』の世話にばかり入りますし、御嬢様は近寄る者全てに「なんなのその目! アタシが悪いっていうの!?」と牙を剥きますので、ますます誰も御嬢様の私室には近寄らなくなってゆきました。

 いつもは清潔に保たれている御嬢様のお部屋は服はそこらに投げっぱなしだわ、お茶も飲まずにティーカップの中で冷めたままだわ、カーテンは閉められっぱなしでジメジメするわと、とても貴族令嬢の住処とは思えない有り様となってゆきました。

 いつもは御嬢様を嗜める役どころであったゲケルセンも、日に日に耳に届くを知ると、どうにも叱りつける事はできませんでした。

 かといって、御嬢様に「おかわいそうに」などと言って御覧なさいませ。「誰が哀れですって!?」と猛火の如く怒り狂われるのは目に見えております。

 ゲケルセンにできる事といえば、今は遠くの地にご出張なさっているフィラン御嬢様のお父君に、可哀想な御嬢様の近況を報告するくらいしかできなかったのです。


 お父君は哀れな御嬢様のために、マライグという人間を呼ぶようご指示くださいました。

 マライグというのは薔薇屋敷の元使用人で、今は屋敷での仕事は暇を貰ってのんびりとアストラル領地を旅して回っております。

 マライグは、御嬢様と『蜘蛛』が屋敷に帰ってきてから七日後の朝に薔薇屋敷へと、実に1573日ぶりに戻ってまいりました。

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