第10話 満ち足りぬ三日月
制服……ではなく小さなバッヂが届いたその日の夜、明平は部屋で20インチ大のテレビ画面を眺めていた。
「総理、前から申し上げている通り、これはおかしいんじゃないですか!? 『
質問に応じるようにして手を挙げた総理は、「石田内閣総理大臣」と呼ぶ議長の声とともに席を立った。
彼は壇上に上がるなり、固定されたマイクに口の高さを合わせるようにして姿勢を定めた。
「えー、
『検討ばっかりじゃないか!!』
『そうだ!!』
野党側の議員席からヤジが飛んでくる。
「総理! 結局のところ、この軍事的とも言っていい組織は、どうするおつもりですか!?」
先ほど質問をぶつけた白いジャケットの野党議員は、再び演壇から総理を問い詰めた。
その時だった。彼が颯爽と名乗りを上げたのは……
「大槻環境大臣」
気だるげにも聞こえる議長の声が、議会に響き渡る。
『総理に聞いてるんだぞー!』
彼はそこらのヤジには気も留めず、余裕の表情で演壇へと向かっていった。
そしてマイクに顔を近づけると、冷静でありながらも力を込めて語りだした。
「能力開発のような大きな問題は楽しく、クレイジーで、ユーモラスに取り組むべきだと考えています。」
一瞬、沈黙が訪れた。
が、フリーズしていた野党議員たちは程なくして元の調子を取り戻した。
『わ、訳が分からないぞー!!』
『そうだそうだ!!』
確かに、これは本当に訳が分からない。
だが、彼は周囲の反応に一切の動揺を見せず、こう返答した。
「何がユーモラスか分からないだなんて、そういう発言は野暮ですよ。」
もう、ヤジが飛ぶどころか与野党の両者が困惑し、会場は静まり返ってしまった。
論理的でないものを、論破することはできない。これこそが、彼独自の論争術なのである。
「そして第一に、超能力のおかげで超能力で出来る産業ができたのは超能力のおかげであって――
「はあ。」
テレビの電源を切った明平は、リモコン片手に小さくため息をついた。
「今日はもう寝るか……」
ベッドに入ろうとした彼は、その時また外で草むらを掻き分ける音を聞いた。
音の主が誰なのかはすでに検討がついていたので、彼はまた窓を開けてみた。
「ひゃっ!」
サッシが動く音に驚いた彼女は、あの時と同じようにかぼそい声を上げた。
その瞬間、月明かりに照らされる彼女の手のひらの上で、星屑のような輝きが舞い上がった。
「ごめん、びっくりしたか……て、え!? なんでそんなびしょびしょなんだ!?」
彼女のパジャマは、肘から先の袖が水滴が滴る程に濡れていた。あの輝きは水しぶきだったのだ。
「あ、え、いや、すいません、このくらい大丈夫ですから……。」
「タオル持ってくるから、待ってて。」
「い、いや、お気遣いなさらなくても……」
明平は彼女の言葉をよそに、部屋の奥へタオルを取りに行ってしまった。
――「それで、他の場所を探しましたが、どこも夜は暗くて……」
タオルで腕を拭きながら、彼女はそう言った。
どうやら彼女は夜にこっそり超能力の特訓をしているらしい。
最近始めたようだが、先日は明平に泥棒と間違えられ、二年生の先輩には不純異性交遊の疑惑をかけられてしまった。
その出来事を踏まえて代わりの場所を探してみたものの、この辺りは外灯が少なく、夜は真っ暗になってしまうそうだ。
「別に、ここで練習したっていいよ。遠くに行くのは危ないし。」
「そ、そうですか……? でも、睡眠の邪魔をしてしまうといけないですし……」
「そのくらいの物音なら大丈夫だよ。それに、元々ここを使ってたのは霞さんだからね。」
不安がっていた彼女の表情が、安堵に変わる。
「ありがとうございます……あ、くれぐれも、私がここで練習してることは、他の皆には内緒にしてください。お、おねがいしますよっ? ホントに、秘密ですからねっ」
小さな体でくせ毛を揺らしながら、上目遣いで念押ししてくる。
「お、おう、わかった、わかったよ……」
あまりにも必死な様子で言われたものだから、彼はその勢いに呑まれた。
しばらく、二人で夜風を浴びていた。
心地よい感触が、彼らを取り囲んで吹き抜けていく。
東京では鈍い輝きの月は、ここから見ると眩しかった。
霞はうつむき加減で、戸惑いを隠すように視線を泳がせていた。
ちょっと気まずくなってきたので、明平はまた新しい話題を出す。
「そういえば、この前もだけど、水を汲んでたよな。霞さんの能力って、水に関係するものなのか……」
彼は霞がどのような超能力を持っているのか気になった。
学校の首席である生徒会長の妹だ。きっと彼女も、非常に強力な力を持っているのだろう、と。
「今ここでやって見せろって、言うんですか……? 別にいいですけど、期待しないでくださいね……。」
彼女はそう言って、バケツの水に手の平をかざした。
そしてゆっくりと両手を上げていくと、球体になった大きな水の塊が宙に浮かび上がった。
「おお……。」
やはり超能力が使えない人間にとって目の前でそれを見せられることは、非常に感動的な体験である。
多少の歪がありながらも、水の球が満月に照り映える姿はまるで水晶玉のようだった。
ここまでは順調だった。が、力無く息を抜いた彼女は水球を落としてしまった。
『――。』
夜の静寂に音を立てた飛沫は、悲しげに彼女の足元を濡らしながら地の底へと沈んでいった。
「はあ、はあ……ここまでが、限界です……。」
「すごいなあ!」
彼女のやるせない表情に反して、明平は思わずそう叫んだ。
「ぜ、全然すごくなんかないです。D級ですよ、一番下ですよ? これじゃ弱すぎて……」
悔しそうにそう話す霞に、彼は言う。
「そんなことない。俺なんかよりも、強いよ。」
「な、慰めのつもりで言ってるんですよね。し、知ってますよ、私。あなたが全国に数人しかいない、予知能力者だってことを……」
姉から聞いたりでもしたのだろうか。
「えっ、あ、いや、俺の場合はかなり能力が弱くてさ。すぐ先の事しか予知できないし、何なら外すときもあるわけで。多分俺は同じD級でもかなり下の方だよ。」
さすがに本当のことまでは言えない。
「本当にD級ですか? 希少な能力っていうだけで、ワンランク上がりそうですけど。」
「実はまだ、結果は出てないんだ……。でも試験の時の先生の反応、微妙だったし……。」
「微妙」というより、「期待されていない」といったほうが正しい。
「ほら、そんなとこかと思いましたよ。どうせ、私より良い結果が出てるんでしょうね。――まあ、別にいいですけど。」
霞は頰を膨らませ、そっぽを向いた。
仏頂面に見えて、意外と表情豊かな子なのだ。
「怒らないでくれよ……そもそも、何でそんなに強さにこだわるんだ?」
「だ、だって、私も一応、北方奉行の一員なんですよ? いつかはお姉ちゃんたちも卒業してしまいます。弱いままで、ずっと甘えてたらダメじゃないですか……。」
「そう、だよな……いつかは俺たちが、三年生になるんだもんな。」
「それに……」
霞は付け加えて言う。
「それに、お姉ちゃんとの、約束があるから。頑張るって、約束したから……。」
「そっか、雪見先輩と、約束したのか。」
「――まあ、そんなところだと思ってくれればいいです。」
霞の表情は、月明かりも相まって何故だか寂しげに感じられた。
「今日の月は、眩しいですね。とっても、遠くにいるのに……」
明平に背を向け、月を見上げながら彼女はそう言った。光に包まれる後ろ姿は、今にも焼き切れてしまいそうなほどに小さく思えた。
「で、では、さようなら。明日、またここで練習させてもらいます。なるべく静かにしますので……」
そう言って彼女はバケツを抱え、寮の玄関の方に走っていってしまった。
誰もいなくなった庭に夜風が吹き抜け、生い茂った雑草が靡いている。
わずかばかりの寂しさを胸に空を見上げると、満月は彼の眼差しに応えるかのように一層眩い輝きを放った。
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