第8話 妹の方

 泥棒!と叫んで窓から鬼の形相を見せた彼は、目の前で怯える小柄な少女を見た。

 見覚えのあるその子はピンク色のパジャマ姿で、普段より一層幼く見える。

「ごめんなさいッ! 違うんです、違うんですッ……。」

 慌てふためきながら首を左右に振るので、彼女の癖っ毛がふわふわと揺れる。その様子を見て、明平はあっと声を上げた。

「雪見じゃないか。妹の方の。」

 カラカラと音を立てて掃き出し窓を開け、全身を乗り出す。

「あっ、ああっ、スミマセン、すみません……妹の方でゴメンナサイ、弱い方でごめんなさいッ!」

 早口でそう言った雪見霞は、猛ダッシュで寮の入口へと走っていってしまった。

「何だったんだ……? まあ、泥棒じゃなくて良かったけど……。」

 ほっと胸をなでおろす明平は、庭に青色のポリバケツが置かれていることに気づいた。

「あの人の忘れ物か? でも、なんでバケツ?」

 水が満タンに入っていたので風に飛ばされる心配はなかったが、このまま外に放置しておく気にもなれない。彼はこの10Lバケツを預かっておくことにした。

「ボウフラが湧くと良くないからな。」

 どうやら彼の懸念事項はそれのようだ。

「重っ……これを運ぶのは結構キツかっただろうな。」

 彼女の苦労に同情しながらも、取り敢えず水は庭木の根本に捨てておいた。

 彼は玄関にバケツを置き、ベッドに入った。

 右肩はまだ10Lの重さを覚えていた。




 翌日の放課後も、生徒会室では文化祭の話題で持ち切りだった。

「どんな店にするのがいいと思うー? ――じゃあムロランの意見から!」

「急にどうしたんだ?」 

 氷室は困り顔で氷華を見た。

「まずは三年生から、ビシッと意見を言って後輩をリードしなきゃ。」

「急に言われてもな……。」

 彼女は小難しい顔をして黙り込んでしまった。

「ムロランはまだまだだねえ。それじゃあまずはあたしから。」

「なぜ先に言ってくれない……。」

「まあまあ。――私はね、アイスクリーム屋がいいと思う。」

「いいですね! 暑い日ならとても人気が出そうです!」

 賛同の声を上げる天降を、氷華が食い気味に褒めちぎる。

「そう! そうなんだよ! 北国祭きたぐにさいは六月にあるからねー。」

「キタグニ……?」

 不思議そうな表情を浮かべる氷室に、氷華が答える。

「北国大の文化祭の名前だよ。このくらいは知っておこうね、ムロラン。」

「わ、わかった……。」

「で、アイスクリームにする理由はもう一つあって……。それは当然、私の能力で温度管理ができるからだよー。」

「確かに、それなら冷凍庫を用意しなくて住むのでいいですね。」

 明平もそう言うと、いよいよ氷華は上機嫌になった。

「そうでしょそうでしょー。それに、暑い日に熱いものを作るのはしんどいからねー。たこ焼きとかは大変だと思って。」

「確かにそうだな。だが、それならかき氷の方がいいのでは? 温度管理も楽だろう。」

「それも考えたけど、他の店と被ると思って。――温度管理は心配いらないよ。毎年、数多のアイスを冷やしてきたあたしだよ?」

「確かに……お前はアイスを六本同時に開けて、能力で冷やしながら食っていたことがあるな。」

 超能力の無駄遣いである。

「他には意見なーい? 君たちはー?」

 向こう側で集まって作業している三人に、彼女がそう訊ねた。

もえは何でもいいよ〜。」

「小牧も、かいちょーがやりたいものならそれでいいのです!」

 霞も小さく首を縦に振った。

「よーし、じゃあアイスクリーム屋で決まりだねー!」

 氷華の清々しい声と同時に部活動終了の予鈴が、夕日に染まる生徒会室に響き渡った。




 下校するときも、生徒会の五人と転校生の二人は一緒だ。

 明平は女子たちの会話になかなか入っていけないので、いつも適当に相槌を打つことくらいしかできない。

 だが今日は違う。一対一で話せる相手がいるからだ。

「あの、霞さん……。」

 生徒会長の妹、雪見霞は姉とは対照的な性格で、生徒会では積極的に会話をするようなタイプではない。

 それは下校時でも例外ではなく、姉の後ろを静かに着いて行っている様子だったので、話しかけるのは難しくなかった。

「な、何ですか……?」

 彼女は少々驚いた様子で振り返った。

「昨日の夜、忘れ物したよね? 預かってあるんだけど……。」

「あ、あわわっ、す、すみませんっ、外に出しておいてくれれば、取りに行きますので……。」

「夜!? 夜に何をしていたの!? 萌、すごい気になるんだけど〜っ!!」

 前の方で聞き耳を立てていた波留が、わざとらしく騒ぎ立てた。

「ち、違うんです、私は……。」

「ミダラなのです、ヤラシイのですっ。ナニをどうシたのか、小牧にも白状するのですっ!」

 悪ノリなのか真剣なのかは分からないが、冴苫も鼻息を荒くして騒ぎ立てた。

「あ、明平君、転校して早々、まさか、そんな……。」

 流れ弾を食らった天降が、顔を赤らめた。

 明平は必死に否定しようとする。

「違いますって、俺はそんな……。」

「なーんのはーなしぃー?」

「どうした? 急に騒ぎ出して。」

 氷華や氷室まで話に割り込んできた。

「ち、違いますっ! その、えっと……。」

「……ああー、そういえば言ってたねえ。水やりに使ったジョーロを忘れたって。」

 氷華が助け舟を出す。

 さすが、生徒会長になれるだけの器量がある。

「そっ、そうなんですっ、庭に置いていってしまったのでっ。」

 霞は顔の火照りが収まらないながらも、ホッとした表情でそう言った。

 不純異性交遊疑惑が晴れると、先程までの盛り上がりが一瞬で冷めてしまった。

「なーんだ、つまんないの〜。」

「あけ×ゆきの供給は姉妹どちらも無いのですか……。残念なのです。」

 明平をからかうように二人がそう言った。

 「あけ×ゆき」と「もえ×こま」のどちらが先に供給されることになるのかは、まだ誰も知らない……。




「もう、ここでは練習できないな……」

 元気のない声でそう呟く霞に、明平が窓越しに話しかける。

「何ができないって?」

「へあああああっ!」

 今まで、彼は見たことがなかった。彼女がこれほど表情豊かに驚く様子を……。


――「もう、なんなんですかっ、話しかけるなら窓を開けてくださいよっ!」

「いやあ、ごめんごめん。」

「そもそも、どうして待ち伏せなんかするんですかっ! 外に置いておけばいいって言ったのに……。」

「心配だったからね。暗いから転んだりするんじゃないかって。」

「もう、子供みたいな扱いしないでくださいよ!」

 そう言いながらも、彼女は少し笑っていた。

 しかしこのパジャマ姿だと、どう見ても子供っぽい印象がつきまとう。

「ごめんごめん。――でも、『もうここでできない』って何だよ。騒がしくするとかじゃなきゃ、遠慮しなくていいぞ。」

「あ、い、いや、明平さんは気にしなくていいんですっ。で、ではまた明日っ。」

 うつむき加減でそう言い放った霞は、逃げるように帰ってしまった。

「何だったんだ……?」

 中途半端に開けた窓から、夜風が吹き込む。

 今日も涼しい夜だった。


「そういえば、明日は新しい制服が届くって、雪見先輩が言ってたな。」

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