第2話 学食の女傑達

「あら? 今日は来ないのかと思ってたわよ」


 午後三時半である。

 真知子が早番で上がった後の学食である。


「何? マチコちゃんと喧嘩でもしたわけ?」


 こっそりと人目を忍んで――というか、厳密には真知子の目を、だが――やって来た恭太に、厨房内のおばちゃん達が騒ぎ出す。


「マチコちゃん、ちょっと気にしてたわよ?」

「えっ、マジすか? なんて? なんて言ってました?!」


 カウンター向かって食い気味になる恭太に、かつての彼の姿を知り尽くしているおばちゃん達は皆、にまにまと笑みを浮かべた。


「いや? 『今日は来ないみたいですね』って呟いてただけだけど」

「他には!? なんかこう……ないんすか! こう、ちょっと泣いてたとか、寂しそうだったとか、そういうのは!」

「ないわね。なかったわよね?」


 と、学食のボスである安原が振ると、厨房内の全員がそろって頷く。


「ちぇー、なぁんだぁ。ちょっと期待しちゃうじゃないですか、気にしてたとか言われたら!」

「気にはしてたって。ねぇ?」

「そうそう、気にはしてたわよ? だって毎日必ず来てたし、ねぇ」

「そぉよぉ。忙しいんですかね、って言ってたもの」

「そうそう、言ってた言ってた。だからあたしらが『そういう日もあるわよ』ってフォローしといたってわけ」

「感謝してよぉ~?」

「それだけですか? それフォローって言います?」


 恭太が首を傾げながら食券を手渡すと、「そりゃそうよ。これであたしらが『別の女から差し入れでももらってるんじゃない?』なんて言ってご覧なさい」と、安原がにやりと笑う。


「マチコちゃんのことだから、まぁ、本気で受け取るわねぇ」


 と割り込んできたのは小林である。


「それで、『やっぱり私みたいなおばさんじゃ』ってしょんぼりしちゃうわよ」

「あーもー目に浮かぶわぁー」


 橋本と真壁がそこに乗っかると、恭太の方でも容易に想像出来たのだろう、さぁっと青ざめて「ありがとうございます! 皆さん!」と深く頭を下げた。


 自分達に向けられた、艶のある頭頂部を見て、橋本がポツリと「ウチの旦那とはやっぱり艶とハリが違うわ」と呟く。それを受けて、「ね。白南風君、ハゲとは無縁そうな髪質してるわよね」と真壁が感心したように相槌を打った。


 安原と小林は顔を突き合わせて、「あの『白南風恭太』があたしらにここまで頭を下げるなんてねぇ」、「それ以前に、こんな必死な『白南風恭太』なんて見たことないわよ」と眉を下げる。


 実際、そうだったのだ。頭を下げないわけではないが、それはいつも会釈レベルの軽いものだった。深く詫びねばならないようなこともなかったし、これほどの感謝の意を伝えることもなかった。人付き合いを極力避け、当たり障りのない関わりを心がけてきたのである。己の外見見てくれが優れているのはわかっていたし、成績にしたって教授のお墨付きだ。色々と要領が良いのも自覚している。ここに至るまで、(人間関係を除けば)ほぼほぼ楽勝の人生だったのだ。こんなに深く頭を下げるような機会なんてなかった。


 それに、小林の言う通り、一人の女にここまで必死になることだってなかった。女は黙ってでも寄ってきて、こっちがどんなにつれない態度をとっても、ぞんざいに扱っても、それでも良いと縋ってきた。焦るのはいつも女の方で、彼はそれを冷めた目で見ているだけだったのだ。


 それがいまや。


 たった一人の――しかも世間一般的にはどうやら『おばさん』カテゴリである三十二歳の――女性の心を繋ぎ止めるのにここまで必死になっている。


 いつもの自分じゃないのはわかってる。恋愛小説や映画などでこのような状況に陥っているヒーローの姿を見て、ここまで入れ込めるものかと羨ましく思いつつも、自分には無縁だろうと諦めていた。きっと自分は、そんな感情を持ち合わせていないのだろうと。


 けれどどうやらそれはただ単に『出会っていなかった』だけなのだと思い知らされた。


 頭を下げたままの恭太を見て、カウンター担当の安原と小林が苦笑する。


「とりあえず、A定ね?」

「あいよ、A定入りまーす」


 その言葉で厨房は再び動き出した。


「すぐ出来るからちょっと待ってな」


 うす、と返事をして頭を上げる。

 それで、と小林が身を乗り出した。


「この時間狙ってきたのは、忙しかったから?」


 何もかもお見通し、とばかりに流し目を送られて。


 恭太は。


「すみません。実はマチコさんに内緒で相談に乗っていただきたくて。おばちゃん達の知恵をお借りしたく」


 再び頭を下げた。

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