サワダマチコのホワイトデー

宇部 松清

第1話 モテ男の苦悩

 白南風しらはえ恭太きょうたは悩んでいた。


 三月である。

 

 一月前のものと比べると正直盛り上がりに欠ける『イベント』が迫っているのである。


 ホワイトデーである。

 バレンタインにもらったものを数倍にして――というのはいつから決まったことなのだろう――返すことでおなじみのイベントである。

 一説によれば、その『お返し』にも様々な意味が込められていたりもし、何も考えずに見た目の華やかさ、可愛さのみで選んでしまうと後々面倒なことにもなるらしい。恭太の相手がその意味まで気にするタイプかどうかはわからないが、下手なことは避けたい。


 何せ、恭太の相手――沢田さわだ真知子まちこ――は、例えるならば、何もないところで転ぶ女。何なら、膝を擦りむく程度ではなく、骨の一本二本を折るレベルの転倒をする女性である。なのに本人はそれでも擦りむいた程度と思い込むから質が悪い。こんなのただの掠り傷と言い聞かせるが、実はしっかり色々傷ついているのだ。それで、適切な処置を怠ったばかりに骨がおかしな位置でくっついてしまい、矯正に時間がかかる。あくまでも例えたが、そういう女性なのだ。


 何もないところ、あったとしても僅かな、ほんの僅かな段差で転倒してしまう。運動能力に問題があるのだろう。こと、恋愛の分野において。


 事故のようなあの出来事がなければ、きっと生涯関わることはなかっただろう。恭太はそう思っている。


 いや、関わってはいたのだ。何せ彼女は恭太の通う大学の学食で働いている、いわゆる『学食のおばちゃん』なのである。でも、それだけ。彼の人生における、名もなきエキストラ枠。そのはずだった。けれど、その、によって、引き合わされたのだ。それもほぼほぼ、恭太が巻き込んだ形で。


 第一印象は最悪だっただろう。過去の自分を思い出すと、さすがの彼でも「あれはなかった」と己を省みるほどに。


 だが仮に、真正面から、正々堂々と出会っていたとして、いまの関係に至っただろうか。とも考える。エキストラ枠の女と、果たして恋に落ちただろうか、と。


 恐らくは、彼女の魅力に気づくこともなく、やはりエキストラの一人として素通りしたはずだ。きっと彼女の方でも。多少引っ掛かったとしても、顔の良い男性だな、とそれだけの評価で終わったに違いない。顔の良さだけで落ちるような、その辺の女とは違うのである。そこもまた、恭太には好ましく思えた。


 自分でも驚くくらいに、彼女に落ちている。


 正直に言えば、だ。


 真知子よりも美人だったり、スタイルの良い女性を抱いたことは何度もある。自分が過去にしてきたことをなかったことには出来ない。事実として、それはある。ただ、一つ言い訳が許されるならば、それはすべて身体だけの関係であり、一人として『白南風恭太の彼女』は存在しない。向こうから誘ってきたから応じただけ。恭太の方ではその認識である。


 話が逸れたが。


 真知子はそれらの女性と比べてものすごく美人であるとか、モデル級にスタイルが良いわけではない。声が流行りの声優並みに可愛らしいというわけでもない。けれども。

 その一挙手一投足が彼の心を擽り、その少々ぎこちない笑みが、彼を高揚させる。未だに慣れない名前呼びや、どうしても取れない敬語などに、『萌え』とやらを感じてしまうのである。


 まさか自分がこれほどまでに一人の女性に執着すると思わなかった。女を落とすのなんて簡単と思っていたはずなのに、先に落ちたのは自分だった。


 初手の悪印象をどうにかせねばと、彼なりに手は尽くした。ほぼほぼ空回りだったが、それでも、僅かに引っ掛かってくれたらしい。糸が絡まった程度の引っ掛かりだったが、逃すまいと必死に頭を働かせた。それもまた空回ったが、また少し引っ掛かった。それの繰り返しだったと思う。かすかな引っ掛かりを必死に掴んで、どうにか次に繋げようと焦って、また失敗して。他の女なら難なく一本釣り出来ただろうが、真知子はなかなか落ちなかった。それがまた彼を夢中にさせた。


 それでいま、何とか手に入れた彼女を彼はもう手放せないでいる。


 白南風恭太が本命を作ったらしい、という噂はあっという間に広まった。恭太の方では特に隠すでもなく真知子への好意をだだ漏れにさせていたが、「まさかこんな冴えないおばちゃんのはずがない」と思われたのだろう。疑いの目が真知子に向けられることはなかった。何せ普段から彼は学食のおばちゃんと気安く交流しているのだ。


 会おうと思えば毎日会え、百パーセントではなくとも、彼女が作った料理も食べられる。なんて最高の職場だろうか。それを噛み締めつつ、真知子の働きぶりが見える席に座って遅い昼食を取る恭太である。


 少々長くなったが、それで、いま、その遅い昼食を取りながら、白南風恭太は頭を悩ませているのである。


 ホワイトデーに何を贈れば、彼女は喜ぶだろうか、と。

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