第11話 拝啓、傘を差してくれた貴方へ
「あの、羽乃 美織さんってどこにいる?」
「…今日美織の番なんだ。」
一瞬不安そうな顔をしたあと、静かに言った。
「美織、今休学中なんです。…成瀬先生のことがあってから来れなくなっちゃってて。」
「そうなんだ…。」
「…ちょっと待ってて下さい。」
徐ろに携帯を取り出しどこかへ連絡する。
「美織、出て来れそうって。今からここ来ます。」
「急だったのに大丈夫かな…、ごめんね。」
「成瀬先生の言葉なら美織元気出ると思うんで、…助けてあげてください。大切な友人なので。」
「うん、ちゃんと届ける。」
助けられるかは分からなかったが俺に出来ることを精一杯やろうと思った。
「…星名さん…ですか、……羽乃です。」
「羽乃さん…!わざわざ来てくれてありがとう。」
甲斐崎さんが言っていた以上に状況は酷かった。人と話すことを怖がっているようだった。
「…話は凪から少し聞きました。成瀬先生の…言葉を届けて貰えると。」
「うん、ここ座って。…はい、これ。」
「“顔が見えない貴方へ”…私のことか、。」
ふっとから笑いをして動画を読み込む。
少し不安になった。
2年前の成瀬の言葉が、今のこの子に届くのかと。
助けることができるのかと。
『羽乃さん、久しぶり。成瀬です。』
「…先生。」
晴れ続きだった病室の窓には激しい雨粒が打ち付けていた。
『甲斐崎さんに最近相談されました。羽乃さんが僕が居なくなった時大丈夫かなって。
今、元気にしていますか?ちゃんと笑えていますか?
独りになっていませんか?』
「…なっちゃいました、。」
羽乃さんは相貌失認症を抱えている。
人の顔が判断できず、髪色や特徴的なものでなければ区分けが難しいそうだ。
『今、辛いですか?』
「…もう、何も分かんないです。
…私は成瀬先生じゃなきゃ…駄目だったんです。先生の光だけはどこにいても分かったのに…。」
苦しそうに言った。
唯一分かっていた人を失い、羽乃さんは追い込まれているようだった。
『羽乃さん、』
「…。」
真っ直ぐと羽乃さんの目を見つめた。
お願いです、
『どんな事があっても下を向かないで下さい。
君を助けたい人、救おうとしている人の声を、聞いて下さい。』
「…、ッ。」
成瀬がふぅ、と息を整える。
少ししんどそうで心配になった。
『僕は“やまない雨はない”という言葉が、少し苦手です。』
『やまない雨はなくたって、生きている間ずっと降り続いているかもしれない。止むことを信じることができないほど、苦しい状況に立たされているかもしれない。
傘を差し伸べてくれる人がいないかもしれないのに、無責任な言葉だと思うから。』
“無責任”という少し尖った言葉が成瀬らしくないと思った。
『でも、そう思った時、違うなって気づきました。』
『雨が止むのを待たなくてもいいや、って。』
激しく打付ける雨音が心做しか弱まった気がした。
『雨の降る中晴れた空を楽しみにする気持ちや、可愛い長靴を履いて出かけてみるとか、
雨の中だったから出会えた人も沢山居たなって、思いました。』
焦らなくて、大丈夫。
『自分で傘を差す勇気も、傘を刺さず雨とともに生きる勇気も、きっとその後に湧くものです。』
成瀬は多分、雨の中で生きることを選んでいた。
病気という雨の中、自分と同じように苦しむ人に傘を差し続けていた。
『もし、それでも雨が続く日々に耐えきれなくなってしまう時は。
手を伸ばしてみて。
“助けて”って、“怖い”って声に出してみて下さい。』
いつも通りの温かい笑顔。
どこか悲しさを隠す、愛に溢れた言葉。
『自分独りでずっと雨の中にいるのは、とても寂しいですから。』
「…。」
成瀬の姿と重なった。
「傘を差してくれたのは…先生だった…。」
スカートの上でぎゅっと握りしめられた手の上に涙がこぼれた。
『羽乃さん、』
「…。」
『僕が学校で倒れてしまった時、目が覚めるまでそばにいてありがとう。本当に嬉しかったです。
何も見えない激しい雨の中で、傘を差してくれてたような、そんな気がした。本当にありがとうございました。』
うっすらと光る目を隠すようにぎゅっと閉じた。
それと、
『“好き”を伝えてくれて、本当に嬉しかった。…声に出すことが出来なかった僕の“助けて”を見てくれてありがとう。』
「…ッ。」
『羽乃さんは独りじゃない。きっと、大丈夫だから。…またね、。』
雨音を残して動画は終了した。
「…やっぱり綺麗だなぁ、。ずっと、見てたかった…。」
羽乃さんはしばらくの間涙を止めることができないでいた。
「…美織は独りじゃないよ。」
甲斐崎さんが顔を覗かせた。
「凪…ありがとう。」
甲斐崎さんがそっと羽乃さんを抱きしめた。
2人とも泣いていたけど、温かい笑顔を浮かべていた。
「成瀬、どんな人だった?」
「…成瀬先生は、、」
「傘みたいな人、ですね。」
「人を助けるために雨に濡れて、そっと虹の架かる空の下へ背中を押してくれるような。」
「そっか…。」
〝涙じゃない、雨で濡れちゃったの〟
赤らんだ目元を隠すように広がる成瀬の笑顔を思い出した。
「星名さん、また来て下さい。」
「うん、ありがとう…!」
2人を置いて、静かに部屋を出る。
“羽乃さんは独りじゃない”、。
「君は独りだったの、?綾人。」
誰もいない廊下で本を片手に呟いていた。
俺が忘れていなければ、独りになっていなかったのかもしれないと思い胸が痛む。
「俺じゃ救えないのかな、。」
そんな言葉を放ち俺もまた独り、立ち尽くしていた。
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【人物まとめ】
星名 皐月…若年性アルツハイマーを発症
成瀬 綾人…皐月に遺言を託す
羽乃 美織…人の顔が認識できない
甲斐崎 凪…耳が聞こえない子
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