第9話 拝啓、救いをくれた貴方へ

「なんだこれ。」


朝目が覚めて、身支度をして、おもむろに1冊の本を持つ。


『この本を、僕の声を、届けて下さい。』


その一文を読みはっと我に返る。


俺は届けていた。

成瀬 綾人という人間の言葉遺言を。


「…お願いだから、忘れないでくれ。」


悔しさと思い出した記憶に安堵のため息をついた。


これまで渡してきた言葉に、色んな人が心を動かされていた。

忘れないようにと記した日記をぱらぱらとめくる。


成瀬 綾人は、絶対に忘れては駄目な人だった。


せめて、君が生きてきた間どんな言葉を残したのか。それだけは覚えていたい。



「…今日も渡すね。」


外の中庭にある桜に微笑みかける。


桜が咲いていた日々を、俺はいつまで覚えていられるのだろうか。








「紫宮 奈那さんですか?」

「はい…誰ですか?」


成瀬の幼なじみである藍原さんの結婚式から三日、〝目の見えない子〟へメッセージを渡しに来た。


「星名と言います。成瀬 綾人さんから紫宮さんへメッセージを預かっていたので、届けに来ました。」

「…目の見えない貴方へ。」

「え?」


見えてないはずなのに本に書かれたメッセージをさらっと読み上げた。


「目、だけ少し見えるようになったんです。成瀬先生が亡くなってから少し後に。」

「そうだったんですか…。」

「それ、見せて頂いても?」

高校生とは思えない落ち着いた様子と育ちの良さそうな口調が綺麗だと思った。


「再生するね。」

僕の言葉にこくりと小さくうなづいた。



『お久しぶりです、紫宮さん。成瀬です。』

「…綺麗。」

目を見開いてそう呟く。


『紫宮さんには言わなきゃいけないことがあって、』

「…?」



『僕は君に2つ、をついていました。』



伏せた目にまつ毛の影がかかる。

全てが綺麗だった。



『いつか、見えてないことが怖いと言っていましたね。人は見えてるのに、って。』

「…はい。」

『その時、紫宮さんは僕に怖いものがあるか聞きました。』


口角は上がったまま続ける。


『居なくなることが決まって10年という月日がすぎて、いつ居なくなるか分からないこと、…みんなと会えなくなってしまうことが怖いって言った。』



成瀬らしい、答えだと思った。



『だけど本当は、』



綺麗な瞳がゆっくりとこちらを向く。






『僕の手の届かないところで悲しんでる子を助けられないことが怖い。


これから先嬉しさや楽しさ、喜び、悲しみ、怒り、苦しみ…そんな色んな感情を分かち合えないことが、たまらなく怖かった。』



怖い、なんて言葉では表せないような悲しみがあった。

手の届かないところで、、君は悲しんでいるようだった。


でもね、と言葉を続ける。


『“怖い”ってきっと希望なんだと思います。』

「…希望?」



『それぞれ違う考えや思いを持った人が同じ世界に住んでる。それぞれ違う追いかけたい夢があって、大切な人がいて。

違う景色を見ている人達が同じ世界を、同じ時間を生きています。


見えてない怖さはきっと、世界から離れていかないための希望なんじゃないかな。』


「希望…ですね。きっと。」


目から涙が溢れた。


成瀬の言葉はいつも胸に響く。

高いところに掲げられたような言葉ではなく、横に来てそっと手を差し伸べてくれるような言葉。

胸にじんわりと染み渡る温かさがあった。



『僕の中にある怖さは、明日を信じる希望です。ずっと、信じてます。』


最期まで闘っていたと、しみじみ感じた。

信じることを諦めていなかった。



それと、




『みーことは仲良く過ごすので、安心して下さいね。』


「…、。」


はっとした顔で言葉を詰まらせる。

みーこは、この園に住んでいた猫。三年ほど前、老衰で息を引き取ったと聞いた。


『昨日お花を手向けに行かせてもらいました。

みーこにも沢山救われましたから、ちゃんとお礼を言いたくて。』


「…そっか。」



『みーこの希望はきっと、紫宮さんだったんじゃないかな。


家族と離れた怖さが君と生きていくことの希望になったと思います。』



『それに、助けられたのはみーこだけではないよ。

僕も、園の人達も、みーこにたくさん元気もらったから。


ありがとう、救ってくれて。ありがとうございました。』



真っ直ぐと目を見つめた。



『どうか希望を、世界と繋がり続けることを、諦めないで下さい。またね、。』



動画はそこで切れた。



「あんなに綺麗な人だったなんて、知らなかったな…。」

愛おしそうに画面を見つめた。


「もう1つの嘘、何だったんだろ。」

「あぁ、それは大丈夫。」


紫宮さんはいいんです、と嬉しそうに笑っていた。


「成瀬、どんな人だった?」

お馴染みの質問。

聞いてみたかった。様々な君の姿を。




「青空、みたいな人ですね。」




「みんなが温かくなるような顔をしてるけど、、どこか独りで寂しそうだったので。」

「寂しそう…。」



成瀬のことを聞く度、痛いほど怖かった。


あたたかい顔を知っている人、

優しさを知っている人、

楽しさを知っている人、

闘ってきた有志を知っている人、




だけど誰も、苦しさを知らない。





「星名さん、ありがとうございました。もう授業なので行きますね。」

「あ、うん。こちらこそありがとう。」


ぼーっとしていた俺を置いて足早に教室を出て行ってしまった。




「星名さん、“希望言葉”を届けてくれて本当にありがとうございました。」


「…うん!」

深々と頭を下げて、教室を去っていった。


心がふわっと暖かくなった。




“希望をくれてありがとう”



かつて成瀬にも言われた言葉だった。


いつ言ったのか、どうして言ったのかも覚えていないけど、その言葉とともに澄んだ青空を思い出していた。



“忘れられてしまう怖さが、きっと僕の希望になるから”



そんなことを、言われた気がした。




✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

【人物まとめ】

星名 皐月…若年性アルツハイマーを発症

成瀬 綾人…皐月に遺言を託す

紫宮 奈那…目が見えない、みーこを拾った

みーこ…園に住む猫

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