第5話 拝啓、きっかけをくれた貴方へ

「次に渡すのもこの園の人?」

「うん、甲斐崎さんって子なんだけど。」


三人目のメッセージには“耳の聞こえない子”と書かれていた。


「凪なら教室いると思う。呼んでくる?」

「あ、うん。お願いします。」


軽く濡れた頬を再度拭い部屋を出て行った。




「…星名さんですか?」


おそらく甲斐崎さんであろう子が顔をのぞかせた。

「甲斐崎です。大和は先に教室戻ってるって言ってました。」

「そっか、ありがとう。」

耳が聞こえていないと言っていたが文字起こしの機能を使って器用に意思疎通を図っていることに驚きを覚える。


「改めて、星名です。成瀬 綾人さんの言葉遺言を届けに来ました。」


「…ありがとうございます、甲斐崎 凪です。」


軽く頭を下げて挨拶を済ませた。


「…“耳の聞こえない貴方へ”。先生の字だ、懐かし。」


嬉しそうに口角を上げた。

「そのコード読み取ってみて。」

「…はい。」

少し緊張した素振りを見せる。

再生ボタンを押そうとする手は震えているように見えた。



『甲斐崎さん、久しぶり。成瀬です。』


話しながら手話で伝える。

一つ一つの動きが丁寧で綺麗だった。


『甲斐崎さんには話したいことが沢山あったんだ。』

そんな言葉から動画は始まった。


『初めて話した時、色んな話したよね。病気のこととか、耳のこととか、僕の初恋の人のこととか。』


「覚えてたんだ…。」

嬉しそうに小さく笑った。



『嫌な顔ひとつせず楽しそうに話を聞いてくれて本当に優しい子だなって思ってた。

沢山お話してくれてありがとうございました。とっても楽しかった。』


「…こちらこそ。」


軽く一礼をして言う。




『でも…ほんとはずっと心配だった。』


「心配…なんで?」



『今までたくさんの子の話を聞いてきたけど…甲斐崎さんだけはどこか掴めないところがあったんだ。

心の底で何か抱え込んでるような、そんな感じ。』







聞きました。』


「…。」



口角を上げながら目を細めて言う。

その目はどこか遠くを見据えているように感じた。


『病気…だったんですね。』


悲しそうな顔。


『勝手にごめんね。先生たちが話してるの偶然聞いてしまって。』


「言ってくれたら良かったのに…。」


『病気でだんだん聞こえなくなっていったって聞きました。』


甲斐崎さんがこくりと頷いた。



『凄く、怖かったんだろうなって思った。みんなの声が、音楽が、生活の音が、自然の音が、聞こえなくなって…独りになってしまうような怖さがあるのかなって。』


もしかすると成瀬も同じような気持ちを感じていたのかもしれない、と思った。

死に近づいて独りになる怖さを甲斐崎さんに重ねた部分があるように感じた。


「…なんでも分かっちゃうんだなぁ。」


寂しそうにぽつりと言った。



『甲斐崎さんは本当に強い人だよ。優しい強さがある。

だけど、怖いことは怖いって言っていい。

嫌なことは無理してしなくていい。


助けてって言っていいんだよ。』



僕は生きてる間に助けてあげられなかったから、とバツの悪そうな顔をした。




『四つ葉園にも助けてくれる子沢山いると思う。甲斐崎さんの味方も、寄り添って話を聞いてくれる子もいる。


君の優しさは、巡ってちゃんと帰ってくるから。どうか1人で抱え込まないで。』



『分かってくれないとか、迷惑とかそういうことではなくて。

ちゃんと愛されてるんだって知って欲しいんだ。』





甲斐崎さんの瞳から一筋涙が流れた。






『あと、本当は直接言いたかったんだけど、』




『―――。』


「…ははっ。」



手話のみのメッセージだったため俺には何を言っていたのかよく分からなかった。


『甲斐崎さんと話してなかったら彼女に会うことはなかったと思う。だから本当にありがとう。』


「…良かった。」


『僕は直接言えなかったけどちゃんと伝えました。いつか甲斐崎さんにも会わせてあげたいな。』


『大切な思い出と、きっかけをありがとう。またね、』


動画はそこで終了した。






「先生も頑張ったんですね…。報告したかったな、ちゃんと。」


暗くなった画面をそっと指でなぞって言った。



最後に何を言ったのかは聞かない事にした。

きっと二人だけの思い出だから。この先も色褪せることなく持っていて欲しいと思った。






「もっと続くと思ってた。」

「え?」


不意に甲斐崎さんが言った。




「ずっと楽しそうに話聞いてくれて、他の人には話してこなかったような話も沢山して、あったかい言葉がいつもすぐ側にあって…、

そんな日々が…もっと続くと思ってた…。」


大粒の涙が頬を伝う。


「成瀬先生と居た私、死んじゃったんだ…。」


心がきゅっとした。

悲しみにくれる彼女を助けるにはどんな言葉をかけたらいいのだろう。


こんな時、成瀬なら、





「…違う。」



違う、成瀬の言葉を模倣する必要なんてない。



〝かっこいい言葉じゃなくて、皐月の言葉が好きなの〟


いつか成瀬に言われた言葉。


断片的な記憶とほのかな温かさに包まれたような気がした。





「甲斐崎さんは今、生きてる。」


椅子に座る甲斐崎さんに目線を合わせてしゃがむ。

びっくりしたように目線をそらせた。

「…だけど先生は、」


居なくなったけど、






「思い出や言葉を貰った甲斐崎さんが生きてる。


空いた穴は無理に埋めようとしなくていい。

失ったものの代わりなんてないんだから。



それに、きっと




それさえも、成瀬と生きてきた思い出になるから。」




この先どうしようもなく辛くて悲しみにくれる時は、


「戻りたいって思えるくらい大切な思い出だったなって、笑ってればいい。」



「…笑ってればいい、か。」


「あ、ごめん。色々無責任なこと…。」


1人調子よく口走ってしまった。


「笑ってればいいって言葉、好きです。」

「ありがとう…?」


甲斐崎さんと会って初めて見た笑顔。

小さな花がふんわり咲くような笑顔だった。



この子の見てきた成瀬はどんな姿だったんだろう。



「成瀬さん、どんな人だった?」


俺の質問に少し考えたあとふふっと笑って静かに答えた。





「…初恋みたいな人ですね。」

「初恋?」



「これからどんな風に生きても忘れられない人。…幸せに生きててほしいって、出会えて良かったって、心の底から思えた人だから。」


出会えて良かった。


成瀬の言葉や存在の重さが感じられた。



「星名さんにも、先生のこと思い出してほしいな。」

「うん…。」




思い出したい。


出会えて良かったと、きっと思えた君のことを。






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【人物まとめ】

星名 皐月…若年性アルツハイマーを発症

成瀬 綾人…皐月に遺言を託す

甲斐崎 凪…耳が聞こえない子

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