第1話 拝啓、助け続けてくれた貴方へ
「俺は君のこと、忘れてしまう。」
『いいよ。』
「なんで…忘れるんだよ?」
『いいよ。』
「俺は忘れたくない…。」
『いいよ、』
「だって――――」
「…成瀬…綾人。」
綺麗に笑う少年の夢を見た。
相手は頑なに「いいよ」と言い続ける。
最後の「だって、」の後が気になったが夢の話だからと気にとめなかった。
今日から君の残した
なぜ成瀬 綾人が俺にこの本を託したのかは、まだよく分かっていない。
だけどきっと誰かにとって大切な言葉になると、そんなことを思いながらページをめくった。
「この名前…知ってる。」
『和月 悠里様』
メモと同様、綺麗な字だった。
「なんで和月先生の名前…?」
和月先生はこの病院の医院長。
若いながら患者や職員からの信頼は厚く評判の先生だ。
俺の元にも何度か訪ねてきてくれた。
「医院長室は…ここか。」
俺の病室から医院長室まではそう遠くなく、ものの三分ほどで到着した。
「星名さん、どうされましたか?」
「和月先生…お話があって、」
丁度業務を終わらせた和月先生が後ろから顔を覗かせた。
「呼ばれたらすぐ行ったのに、わざわざありがとうございます。」
「いえ、」
患者思いの優しい人だった。
「あの、成瀬 綾人…さん。知ってますか?」
「…綾人くんの名前、なんで?」
名前を口にした途端目を見開いて驚いていた。
「実はこんなものを預かってたみたいで。」
本を和月先生の方に向け説明する。
「彼からの
「…そうだったんだ。」
切なく微笑んだ。
愛しそうな辛そうな、そんな顔だった。
「最初のページ、開いてみてください。」
俺の呼び掛けに和月先生はゆっくりと開く。
そこにあるQRコードを読み取り動画を再生した。
『和月さん、お久しぶりです。綾人です。』
「…綾人くんだ。」
姿が映って一言話しただけでも和月さんの目には涙が溜まっていた。
和月先生の中で成瀬はどれほど大きな存在だったのだろう。
『この動画を見るのが何年後になってしまうか分からないので、一つだけ確認させて下さい。
和月さんに欲しいものあるか聞いたの、覚えてますか?』
「…覚えてるよ。」
『和月さんに持っていて欲しいもの、最後まですっごく悩んで時間もかかっちゃったんですけど。』
「そんなの良かったのに…。」
困り顔をしながら嬉しそうな和月先生が可愛らしかった。
『僕が居なくなって、それから何年もたって、みんなが僕を忘れていって、そんなことがこれから先あるのかなーって。』
目を伏せて言う。
『だけどそう思った時、』
『和月さんには…忘れて欲しくないなって、』
『だから、』
「僕が貴方に持っていて欲しいものは、僕が生きていた証です。」
『どうか、僕のことを…忘れないで下さい。』
動画の中の成瀬は綺麗な西日に照らされ、それと同時にきらきらとした光が顔を伝っていた。
“僕との記憶と心を持っていて下さい。”
QRコードの下に書かれたその文の意味が少し分かったような気がする。
『ありがとう、和月さん。またね。』
「…何でその言葉……。」
そこで動画は切れた。
「何で…またね?」
「…僕が言ったんです。綾人くんが息を引き取る直前に。」
偶然だとは思いたくない、人知れずそう思った。
和月先生は暗くなった画面を呆然と見つめている。
「大切な人だったんですね。」
「…はい、とっても。綾人くんは僕が医者になって最初に担当した患者さんで、十年間一緒に生きてきました。」
十年という月日が成瀬の病状の重さを感じさせた。
「俺、成瀬 綾人さんの事忘れてしまっているんです。…忘れて欲しくないと、言っていたのに。」
申し訳なさと不甲斐なさが胸に込み上げた。
「綾人くんの
軽く頭を下げ、優しく微笑む。
成瀬 綾人は俺の中でさらに不思議な存在となった。
生きていた頃どれほど愛されてきたのか、居なくなる時どれほど惜しまれたか、。
居なくなったあとでも人の心を温かくする、本当に不思議な存在。
「彼はどんな人だったんですか…?」
恐る恐る聞く。
忘れてしまった記憶を呼び起こすことは難しいかもしれないけど、これからもう一度知っていこうと思った。
「しゃぼん玉みたいな人かな。」
「しゃぼん玉?」
「どんな風景に染まっていても芯があって、なくなるその瞬間まで綺麗な…そんな人。」
たくさんの思い出や経験が感じられた。
「星名さんにこの本を託したってことは、…きっと大切な人だったんですね。」
どうして忘れてしまったのだろう。
握りしめた手の力が強くなった。
いつかきっと、思い出せますように。
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【人物まとめ】
星名 皐月…若年性アルツハイマーを発症
成瀬 綾人…皐月に遺言を託す
和月 悠里…成瀬の主治医、医院長
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