第21話 目の見えない子、温かい子
「ふぅ…。」
事務業務を終わらせフリースペースで息をつく。
最近買ったひよこのマグカップがコーヒーを一段と美味しく感じさせた。
「…いい匂い。誰?」
声がする方向を振り返ると一人の生徒が立っていた。
「職員の成瀬です。」
「成瀬 綾人先生?」
「うん。」
彼女の名前は
数回授業で話したことがあったのだが車椅子生活になってから会うのは初めてだった。
「成瀬先生、車椅子になったって…本当ですか?」
「うん、足動かなくなっちゃったので。」
クラスの誰かから聞いたのだろうか。
「…そうなんですか。」
悲しそうに言った。
「あまり不自由は感じていませんよ、まだまだ元気です。」
僕がそう言うとそっか、と口角を上げた。
「どの席に座っていますか?」
「赤色の星の席です。」
この園では机や椅子にそれぞれ違うマークや色が着いている。
可愛らしいデザインと共に目印として生活のサポートをおこなっている万能品だ。
「隣、お邪魔します。」
器用に白杖を動かしながら僕の右の席に座った。
「みーこ、最近来てますか?」
紫宮さんが静かに言った。
『みーこ』というのはこの園で飼われている猫のこと。園に来て直ぐに職員の方に紹介してもらった。
「昨日は僕の膝の上で日向ぼっこしてました。」
「みーこ、成瀬先生の事大好きですもんね。」
何故かは分からないがみーこはよく僕のところに来てくれた。
車椅子生活になってから膝の上に乗って三十分ほど昼寝をする日もあり生徒がよく写真を撮りに来た。
「みーこ、幸せそうで良かった。」
にこにこしながら言う紫宮さんからは安心した様子が感じられた。
「何か気にかかることがあった?」
僕が聞くとこくりと頷いた。
「ちゃんと幸せかなって。」
含みのある言い方だった。
「みーこ、本当はここら辺の猫じゃなかったんです。」
「…?」
「何年か前に県外にある祖母の家の近くで轢かれていたのを見つけて、祖母には面倒が見られないからと園長先生に頼んでここで飼わせてもらうことになったんです。」
「そうだったんですか。」
初めて聞いた話だった。
「最近よく考えるんです。みーこにも家族がいて、家があって、本当の名前があったのかなって。
私は奪ってしまったんですかね…。」
悲しそうに言った。
「どんな形であれ、助けたことに間違いはないと思いますよ。」
「…どうしてですか?」
「本当の家族に会うことも、本当の家に帰ることも、本当の名前でもう一度誰かに呼んでもらうことも、紫宮さんが助けた命があるからできることです。」
『命さえあれば何でもできる』。
大袈裟に聞こえるこの言葉をしみじみ感じさせられてきた。
「奪ってなんかいない、未来を作ったんです。みーこもきっと感謝してるんじゃないかな。」
「喜んで…ますかね。」
強ばっていた頬が徐々に緩んだ。
「あ、みーこ。」
偶然にもみーこがごろごろ喉を鳴らしながらフリースペースに入ってきた。
「あはは、元気そうで良かった。」
吹き出して笑った紫宮さんがなんだか可愛らしいなと思った。
「私そろそろ授業行きますね。成瀬先生、ありがとうございました。みーこ、またね。」
軽くみーこを撫でてから部屋を出ていった。
「僕、何にも持ってないですよ?」
膝の上にどっしり座るみーこを撫でながら言った。
僕としては嬉しい限りなのだがみーこの気持ちがよく分からない。
鞄から携帯を取り出し、調べる事にした。
「…これか。」
正直驚いた。
正確な知識も猫を飼った経験もなく、この意味が本当かは定かではなかったが、謎の確信があった。
「みーこには分かっちゃうんだね…。」
ゆっくり背中を撫でると寂しそうに、にゃあと鳴いた。
【人の死期が分かる】
「僕も寂しいな、みーこ。」
膝の上にある温かさと僕自身の冷たさを感じてじんわりと涙が滲むのが分かった。
怖かった。
本当に冷たくなるかも、
こんな温かさを感じられなくなるかもと。
怖い。
死にたくない。
だけど僕は、死ぬしかない。
「…あったかいね、みーこは。」
僕は冷たい、
心も、身体も。
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【人物まとめ】
成瀬 綾人…僕、病気、余命ゼロ日
紫宮 奈那…目が見えない、みーこを拾った
みーこ…園に住む猫
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