第10話 カクヨム荘は、開かれてる。


 「あの時、ぬしが打ち込んだ左脇への打撃。あれは本当に効いた。あれほど呻いたのはアメンホテプ二世との対戦のとき以来であったろうの」

 「なにを言う。貴様の渾身の回し蹴りを受けたこの左腕、痺れてしばらくはつかいものにならなかったのだぞ。流石なり、武闘神いくさがみ、というところだ」


 僕は身体をちょっと膨らませ、頭のうえを平らにして、おおきなジョッキをふたつ運んでいる。

 鳥尾巻次郎とりお まきじろうさん、つまり鳥尾巻とりおかんさんと、鷹の頭の古代エジプトの神さま、ホルスさん……みかみさんが互いに、肩を組んで笑っているところへ運んでいるのだ。


 「ねえ、いちくん。あとで揚げ物、手伝ってくれないかなあ」


 山盛りの料理の大皿を運んでいる西島誠にししま まことさん……しまこさんが、床でおもいおもいにくつろいでいるあやかしさんたちの間を縫って歩きながら、大声で僕に呼びかけた。あんまり広間がにぎやかだから、声が届きにくい。

 僕は右のほうにぴろんと長い突起を作って振ってみせた。


 「はあい」

 「はやくしないと、冬莉とうりさんのあれ、はじまっちゃうからね」


 そうだった。急がなきゃ。

 焦って動いた僕は、ジョッキをどっかんと、盛大に転がした。


 ここは、カクヨム荘、別邸。

 そう呼んでくれて構わないよ、と、加須かぞさま……本名は千花せんげさま、っていうふよふよの古代の精霊さんらしいんだけど、屋敷の主である美しいそのひとが、そう言ってくれたのだ。


 僕が明神さまの守り狐の兄弟、かいりさんと結音ゆいねさんに連れられてこの屋敷に初めてきた日から、もう半月。


 あの日、僕が攫われたと思った鳥尾巻さんと影彦かげひこさん……ぴこさん、そうしてしまこさんが救けにきてくれて、屋敷のあやかしのみんなと乱闘みたいになっちゃった。

 でも、しまこさんのちから……ええと、なんだっけ、記述した文字に宿る意味を具象化して空間と魂に干渉する異能……だったかな、うん、ちゃんと覚えてた、とにかくそのちからによって、みんなは我にかえったんだ。

 

 僕と加須さまの説明で、鳥尾巻さんたちは納得した。加須さまたちはけっして悪い存在じゃなくて、むしろ、人間……カクヨム荘のみんなと協力したいと願っていること、そして、古い時代にかたちを失って時間と空間の隙間で苦しんでるあやかしさんたちを、古代の歌で救いたいと考えていること。

 文字と歌のちからを持つしまこさんは、大きな笑顔を浮かべて、うん、いいよ、喜んで、って引き受けてくれたんだ。


 その日の夜。

 月の綺麗な晩だった。

 しまこさんはカクヨム荘に戻って着替えてきた。とってもきれいな、真っ白の着物姿。庭の真ん中に進み出て、立つ。その横に加須さまが、やっぱり白い着物で降り立った。

 月明かりの下、ふたつの大きな白い花が咲いたみたい。


 しゃん、と、音が鳴る。壱霧いちむさんが神楽鈴を振ったのだ。

 と、座敷の奥から人影が前に進み出る。肩の下までの髪も、ひとみも、透きとおるような薄い蒼。男のひとか、女の人かわからない。加須さまは、このあやかしさんのことを、あまくにさん、と呼んでいた。普段はひとの夢のなかを渡って暮らしているらしい。

 あまくにさんは、巫女のような神主のような、白と紺でつくられた着物をすりりと畳に擦りながら庭に面した縁に立った。胸に手をあて、月を見上げる。すう、と息を吸って、しずかに、しずかに、詠唱を送り出した。


 その声に合わせるように、しまこさんと加須さまが、腕を上げる。おおきく振り、くるりと身体をまわして、胸を抱くようにする。両手を左右に開き、星と月しかない空に、おおきくおおきく、広げてみせる。

 ふたりの舞いは、いちども合わせたこともないだろうに、ぴったりと重なるように、同期していた。

 舞いながら、しまこさんが小さく、声を出す。なにかの古い言葉に聞こえた。節に載せて歌うように、誰かに言い聞かせるように、地上と空を声で染めようとするように、優しくて柔らかな声を、ゆっくりと送り続ける。


 僕にはむずかしくてわからない。

 でも、気がついたら、ぽろぽろと泣いてた。

 まわりのみんな、あやかしさんたちも、同じらしかった。


 と、空がくくっと、少し歪んだように見えた。

 歪んだところがうっすらと光り、渦をつくった。

 渦はやがてはっきりとした明るい穴のようなものとなり、そこから、なにかがたくさん、降りてきた。


 形も色も大きさもさまざまな、たくさんのあやかしさん。

 動物のようなひともいるし、人間のかたちのひともいる。きらきらした霧みたいなひともいる。みんなみんな、ふわりと庭に降り立って、不思議そうな表情で周囲をみまわし、それから僕たちを見つけて、びっくりしたり、笑顔をつくったり。

 

 結音さんが走り出した。きつねのかたちのあやかしさんのところに走り、まだぽかんとしてるその身体を、きゅうと抱きしめた。きつねさんはこんこんって少しむせてから、照れながらなにか言っている。お名前……こんたさん、って読み取れた。


 浬さんは、なにか空中をみながら走ってる。手を前に差し出しながら。庭のすみのほう、やっぱり上を見上げて、両手のひらを揃えて待っている。目線がだんだん、下がってくる。そうして手のひらを大事そうに見つめて、にっこりと笑いかける。

 僕はぴょんぴょんと移動して、浬さんによじ登り、肩に乗った。やっと手のひらが見える。とっても小さな、といってもいまの僕とそう大きさは変わらないけれど、なにか西洋風のぴしっとした黒い服を着て、杖のようなものを持っている、素敵なおじさま。

 わたしの名はね、と、そのひとは手のひらで胸を張った。綴。みんなのいのちをきらきらの言葉で綴るからね、って、笑ってみせた。


 屋敷からあやかしさんたちが一斉に走り出し、庭のあちこちで、降りてきたあやかしさんたちと抱き合ったり、肩を叩いたり、いっしょに泣いたり。


 加須さまがいう、時間と空間のはざまで苦しんでいたあやかしさんたち。数は数えきれないくらいだったけれど、みな、加須さまにふわりと手をかざされ、力を分け与えてもらうと、なんども頭をさげ、手を振り、飛んだり歩いたり、あるいはふわっと消えたりして、順番に出て行った。


 それでも、この屋敷に残りたいって希望するひとたちもかなりたくさんいて、みんなで相談することになったんだ。

 カクヨム荘の三人も、成り行きから相談の輪に加わった。

 屋敷は、広い。でも、みんなで住むとなると、もう少し……ちょうど、一軒家くらいの大きさの建物がもうひとつ、必要だ。加須さまがそう説明して、みんなは、ううん、って首を捻った。僕もまるい身体をむにゅりと捻った。


 そのとき、鳥尾巻さんが言ったんだ。

 俺んとこ、来ないか。


 しまこさんとぴこさんは、ぎょっとした表情で鳥尾巻さんに振り向く。

 あ、いや、そういう意味ではない、と鳥尾巻さんは手のひらを前に示し、カクヨム荘はまだ余裕がある、それほど大きくない怪異もののけの類なら、十分引き受けられるのではないかと思ってな、と、鳥尾巻さんにしては珍しく、あたまの後ろを掻いて照れてみせた。


 加須さまは、がたんと立ち上がって、つかつかと鳥尾巻さんに歩み寄り、膝をついてがっしとその手をとった。目が潤んでいるように見えた。

 ありがとうございます、それでは、こうしませんか、と、加須さまは話し出した。

 空間を繋げる異能をもっているあやかしさんがいる。そのちからで、この屋敷とそちらの家とをつなげて、自由に行き来ができるようにする。


 その提案に、鳥尾巻さんも、しまこさんもぴこさんも、そうして僕も、もちろん頷いた。

 そのときに加須さまは、言ったんだ。

 ここは、あなたたちの家、カクヨム荘の別邸として使ってくれて良い、あなたたちがこれと見込んだひとであれば、あやかしを認めて受け入れてくれる人間であれば、ぜひ、ここを訪ねさせてほしい。


 人間と、あやかし。

 物書きと、夢や空想を棲家とする存在。


 その交流が、こうして、賑やかにはじまったんだ。


 

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