最終話 カクヨム荘は、いつもある。


 「……曲者くせもの!」


 影彦ぴこさんが水平に撃った苦無くないが、カクヨム荘別邸、つまり加須かぞさまの屋敷の大きな厨房の横に備え付けられた広いテーブルに、つたたたたっと綺麗に並んで刺さった。


 「ぴゃっ」


 誰かの声。どすんとひっくり返る音。

 僕は厨房のカウンターからテーブルにぴょんと飛び移った。

 

 「あれ、典雅のりかさんだ」

 「そうだよう」


 福山 典雅ふくやま のりかさんはテーブルの横でひっくり返された亀さんみたいなかっこうになってる。お腹におおきなお酒の瓶を三本ほど抱えている。それを両肘、両膝で守ろうとしているので亀さん状態なのだ。

 たぶん、テーブルの上に並んでた瓶をそおっと失敬しようとして、ぴこさんに見つかっちゃったんだと思う。


 「なに、してんの……?」


 ぴこさんが左手の指に挟んでいた苦無をエプロンの内側に戻して、右手のフライパンをコンロに置き、火を消してテーブルのところに歩いてきた。典雅さんは、へへへ、と、怪しい笑顔を返してみせる。


 「……お酒……カクヨム荘あっちのほう、足りなくなっちゃって……」

 「え? だって、鳥尾巻とりおかんさん、車のトランクいっぱいくらい、買ってきてくれてたはずだよ」

 「……のんじゃった」

 「ええええ」

 「違うの! わたしだけじゃないの! なぜか淀川 大よどかわ ひろみさんと月森つきもり編集長さんも来ちゃってて」

 「ああ……エス専門誌、百合と鞭の……」

 

 ぴこさんと僕は目を見合わせて眉尻を下げた。僕は眉、ないけど。


 そのとき、空いたお皿を手に厨房のほうに戻ってきた西島 誠にししま まことさん……しまこさんが、ころんと転がって手足を縮めている典雅さんをみつけてとても嬉しそうな表情をつくった。


 「あ、おおきなダイオウグソクムシ」

 「ちがうもん! そしてなにそのピンポイントに深掘りした例え!」

 「淀川さんとか、来てた? 僕、声かけておいたんだけど」

 「あ、呼んだの、しまこさんかあ……」

 「多い方が楽しいでしょ。せっかくの晴れの日なんだから」


 しまこさんがへへっと笑ったちょうどそのとき、玄関のほうから呼ばわう声が聞こえた。はあい、と、しまこさんが走ってゆく。すぐに戻ってきた。目を大きく見開いてる。


 「なんか……すごい大勢のあやかしさんたち、きてるんだけど」

 「え」

 「ああ、わたしがみなに、連絡をとりました」


 たくさんの空き皿を載せたお盆を持って、広間のほうからやってきた加須かぞさまが、いたずらを見つけられた子どもみたいな表情を浮かべてみせた。長い白銀の髪を後ろで縛っている。座っていていいですよって言ったのに、こうやってなんでも動いてくれちゃうのだ。


 「先日、しまこさんに救っていただいた者たちです。どうしても今日の晴れの日を、一緒に祝いたくて」


 その言葉が終わるか終わらないうちに、廊下をどどどと大勢がやってくる足音が響いた。ぴょんぴょんと広間を覗きにいくと、すごい数の大小さまざまなあやかしさんたちが、ここに住んでるあやかしさんたち、かいりさんや結音ゆいねさんたちと合流して、みんな抱き合ったり歓声をあげたり、手をあわせてみたり。


 山田とりさんと幸まるさんは、すごく綺麗な蒼みがかった艶のカラスさんとぱたぱた、部屋中を飛び回って喜んでた。そばにいた壱霧いちむさんが、カラスさんのお名前、水松すいまつさんだよって教えてくれた。

 と、がしゃがしゃと鉄の触れ合う音。西洋の騎士さんなのかな。金髪で、青い目のひとが入ってくる。あやかしさん……なんだろうなあ。半分、透けてるし。結音さんがそばに寄って、外国語で話しかけてる。お名前だけは僕にも、ケイン・ララ・アキコディアさん、って聴き取れた。

 天井の梁のうえにいたハヅキさんが、にゃっ、と大きな声を出して、ぽおんと飛んだ。広間に入ってきた少年に飛びかかったんだ。少年はびっくりしたようだったけど、ハヅキさんをぎゅうと抱きしめる。よく見れば、ねこのような耳、金色にひかる縦に長い瞳。ハヅキさんが、ふむふむ、ふむふむ、って呼んでるけど、お名前、なのかな。


 豆モードになってる豆ははこさんが、ぽんぽんと、広間の中央でふわりと白の裾を広げて座っているあまくにさんの肩に乗る。その隣には浬さん。ふたりで、周りのたくさんの小さなあやかしさんたちをあやしてくれてる。

 庭に面したひらけた廊下のそばに腰を下ろして、たくさんの空ジョッキに囲まれているのは、鳥尾 巻二郎とりお まきじろうさん……鳥尾巻さんと、ホルスさん……この屋敷では、みかみさんと呼ばれている、いくさの神さま。


 厨房でごはんしたくを頑張ってるのは、ぴこさん、しまこさん、そうして、僕。


 「いやあ……こりゃ、すごいことになっちゃったね」


 隣から顔を出したぴこさんが呟いた。


 「広間に入りきらないひとたち、庭とか天井裏とかにいるみたいだよ」


 しまこさんも手を拭きながらやってきて、横から声を出す。

 と、向こうの方でちらとこちらを見た鳥尾巻さんが、肩をすくめてみせた。部屋の一隅を指差す。指差したのは、壁。巨大なモニターが据え付けられてる。縦はしまこさんくらい、横幅は鳥尾巻さんがいっぱいに手を広げても届かないくらい。テレビも映画も映せるようなやつで、今朝、鳥尾巻さんがひとりで運んできて、設置したんだ。

 ちなみにカクヨム荘にも、同じものがある。どちらも今日のために、鳥尾巻さんがどこからか持ってきたのだ。ぴこさんに、どうしたのこれ、と言われて、ざいだんがなんとかって、なにか難しいお話をしてた。


 鳥尾巻さんが立ち上がってやってきた。両手に合計三十個ほどの空のジョッキを持ってる。ちからもすごいけど、どうやってバランスとってるんだろう。


 「できれば全員で、この広間で観たい、と思っていたが……難しそうだな」

 「もういっぱいいっぱいだもんね」

 「じゃあ、僕たちと、あやかしさんの一部はカクヨム荘に移動しようか」

 「お料理とか運ばなきゃ」

 

 加須さまが、ではみなにはわたしが説明しておきます、と広間の真ん中に歩いていき、端正な立ち姿で立った。横にいるのはあまくにさん、そうして浬さん、結音さん。まわりに集まる広間いっぱいのあやかしさんたち。なんだか神々しいなあって思っちゃった。


 こちらはみんなでお盆やらトレイやらにお酒と料理を載せて持つ。鳥尾巻さんはなにか巨大な板……たぶん、雨戸ってやつだとおもうけど、それにものすごい量のお酒やら料理やらのせて肩に担いだ。


 廊下をゆくと、突き当たりはとうぜん、壁になってる。

 でもその壁、なにか揺れてみえるんだ。わずかに紫色のあわい光も帯びている。

 僕たちは廊下をそのまま進んで、ためらわずに突き当たりに身体をあてた。

 ぷるん。

 寒天みたいな、ゼリーみたいなものに身体をつっこんだみたいな感触。ちなみに僕もゼリーっぽいけど、混ざりはしない。


 ぽん、と抜けると、そこはカクヨム荘。

 僕たちの家だ。

 廊下の隅につくられた、カクヨム荘別邸、加須さまの屋敷とのポータル位相空間転移口から出た僕たちは、いきなりの爆音にみなで顔を顰めた。耳を抑える。僕も左右の突起を伸ばして、適当にあたまのあたりに当ててみせる。


 「な、なんだこりゃ」

 「もしかして……」


 リビングの扉をあけると、どん、と、ぎらぎらした音の波。どこから持ち込んだのか、大きな音を出す装置と、壁の例のモニタが繋がっているみたい。

 いつのまにか天井に据えつけられた、くるくるまわる照明が、どぎつい桃色や青色の光を放ってる。銀色にひかる鏡みたいな球もたくさんぶら下がってる。なにこれ。

 そして、モニタに映し出されている映像は、薄着の男女が踊ってるやつ。その服装は、いまモニタの前でどんと足を組んで座っている月森編集長さんと、その横で鞭みたいなのを持って立っている淀川さんとだいたい同じ。黒いぴかぴかの革でところどころ隠している以外は、ほとんど、網。全身、網。僕はなにかの罠にかかったライオンを連想した。

 

 「あらあ、遅かったじゃない」


 顎に人差し指をあて、顔を斜めにして、驚くほどおおきな目を薄めて僕たちを見遣った淀川さん。激しいまでのピンク色のツインテールが揺れる。すっごい高いヒールは、たぶん、先端が床にぶすぶす刺さるやつ。

 

 「貴様。なんのつもりだ」

 「なんのつもりもなにも、わたしたちの出版社まで絡ませてもらうことになって、上も喜んでるのよ。わたしも編集長も、個人的に嬉しい。だから、これは……」


 月森編集長さんが、ゆらりと立ち上がる。すごい綺麗なひと。おひげ、生えてるけど。その編集長さんが、ふうと息を吐く。びっ、と、手を左右に広げる。淀川さんがその前に片膝をつく。手を、上下にすっと伸ばす。


 「……わたしたちからの、お祝いよっ!」


 一瞬、暗転。

 そして光と音楽とが爆裂した。

 ぎらぎら照り返す光を受けて、ふたりの獣が闇に舞う。

 夜も、星も、喰らい尽くす。そこにあるのはただ、革と網と、鞭とが紡ぐ、この矛盾おおき世界の象徴。宿酔いにも似た熱狂のなかで、閉じられ、また開かれる瞳は僕たちを射竦め、縛り、生命の昏い側面の再認識を強要し……。


 ぷち。


 「やめろ」


 鳥尾巻さんが装置のコンセントを抜いた。ぱちりと壁のスイッチを押す。柔らかな白い光が部屋をみたし、なんかばってんみたいな形に組み合わさった黒革あみあみのふたりが浮き上がった。

 ふたりとも特になにも喋らず、いそいそと、かつちんまりと、椅子に座った。


 僕たちは運び込んだ料理をくばり、あたりを片付け、椅子とかソファを並べ直した。テーブルの上には、さっき追加で届いた竹部ワイナリーのワインと、蜂蜜ひみつ堂のスイーツもたくさん並んでいる。

 そうしていると、廊下の向こうからざわざわとたくさんの何かが近づいてきた。扉の前でとまる。

 扉を開けたのは、浬さん。その肩には山田とりさんがとまってた。


 「わあ……これが、カクヨム荘」

 「あ、来たね。いらっしゃい」

 「お邪魔します。あやかしさん、二百人くらいいるけど、小さい子たちばっかりだから大丈夫かなと思って」

 「うんうん、大丈夫じゃないかな」


 しまこさんがテーブルを手のひらで示すと、廊下から押し合いへしあいしながら、たくさんのいろんなあやかしさんが雪崩れ込んできた。

 小さなひとは、お皿に盛った料理のまわりに並んでもらって。中くらいのひとは、大きなひとの膝に乗ってもらって。大きなひとは、椅子に座って。

 そうして、テーブルを囲んで、みんながモニタの見える位置に落ち着いた。

 僕は、部屋の照明スイッチにくっついてる。すぐに消せるようにだ。


 「……そろそろ、だな」


 鳥尾巻さんが皆を見渡す。

 しまこさん、ぴこさん、典雅さん。たくさんのあやかしさん。

 いま、ポータルの向こう、カクヨム荘別邸でも、加須さまを中心にみんなで同じようにモニタを見ているはずだ。


 記念すべき日。

 カクヨム荘の、そうして、あやかしさんたちの。

 

 僕たちの夢の、もうひとつの、誕生日。


 鳥尾巻さんが僕に頷いてみせた。

 ぱちり、とスイッチを押す。部屋が暗くなる。

 同時に鳥尾巻さんがリモコンを操作して、モニタを点けた。


 画面は、ちょうど丹羽 冬莉にわ とうりさんが大写しになったところ。

 たくさんの人たちに囲まれてる。金髪のひとが多い。どこかの外国なのかな。冬莉さんの背後に書いてある文字も、僕には読めない、外国のことば。カメラの照明光がぱしゃぱしゃと、眩しく焚かれている。


 わあっと、あやかしのみんなの歓声があがる。

 しいっ、と浬さんが指を口に当てると、みんな静かになって、モニタを見つめる。


 『……それでは、主演の丹羽さんにお話を伺ってまいりましょう。丹羽さん、ここからは日本語でかまいませんので』

 『ああ、はい、よろしくお願いします』

 『今回、ハリウッドの大御所であるケイ・カツタ監督の突然の新作制作発表、そして主演起用となったわけですが、いまのお気持ちを』

 『ええ、とても光栄です。でも、驚いてはいません』

 『と、おっしゃいますと』

 『監督とは前作、機械めか仕掛けのウィッチまじょのときにご一緒させていただいて、それからときどき連絡をとっていたんです。そのなかで、いずれ日本を舞台に、かたちのある世界、ない世界、どちらにもしっかり光をあてた作品を創りたいって伺っていまして』

 『ほう』

 『僕のなかにも、こう、なんだろう。伝えたいものがあったんですが、だけどしっかり形にしてお伝えすることができないでいました。僕は俳優のかたわら、小説も書いているんですが、そこでもいつも、同じようなもどかしさを感じていたんです。よい文章、美しいことばとかじゃない、目に見えない世界を大事にしなさいとか、生命は重いんですよとか、そんなことでもなくて……』

 『……』

 『ただ、ただ、在る、存在する。そのことの暖かさ、重さ、切なさ、愛おしさ。僕にはそれが、なにより大事に思えたんです。だから、読んでくれるひと、観てくれるひとのその胸に、僕と同じ温度を置いていきたい、そう思っていたんですが……難しくて。ははは。でも……』

 『……でも?』

 『……とある出来事で、最近、僕には、かたちのない友人ができました。たくさんの友人たちです。彼らと触れて、話して、感じているうちに、なにかが形になってきて。ある夜に、指の動くままに、短編を書いたんです。それを翌朝にメールでカツタ監督にお送りしたら、三日後には制作決定っていう連絡が来ました』

 『それが今回の作品、<ゆりかごの森>の原案だったわけですね。物書きと、その物語のなかで生きるあやかしたちの交流の物語』

 『ええ、ですが、先ほども申し上げたように、僕にはわかっていました。監督を動かしたのは、たしかに僕のことば、僕の文字です。でも、きっとそこに、おおきな温度、とおくの世界が宿ったんだと思います。みんなの、ちからによって。僕のまわりの、みんなの想いによって』

 『……美しいエピソードです。ところで、かたちのない友人、というのは比喩と思いますが、カツタ監督も丹羽さんのご友人について言及しておられました。驚いた、とのことです。どんなご友人なのでしょう』

 『あははは、そうですね。監督からウェブ会議で、君が描いたこのあやかし、これは、モデルがいるんだろう、ちょっと見せてくれって言われて。まさか信じてくれるとも思わなかったし、ましてや友人たちみんなを、映画に起用してくれることになるとは思いませんでした……ああ、あの時のウェブ会議の画面、スマートフォンにとってあった……ほら、これです』


 画面に大写しになったのは、薄く透きとおった、ちょっと青みがかった黒い、ゼリーみたいなあやかし。

 カメラに向かって、なんだこれ、って感じにきゅっと顔を近づけてる。

 あはは、へんなあやかしがいるもんだなあって笑いながら、僕はマグカップの縁に乗っかって、中のミルクを飲もうと思って身体を伸ばしてた。

 

 『な、俺のいち


 モニタのなかで片目をつむってみせた冬莉さんの顔を見ながら、僕は、ぼっちょんとミルクのなかに落下した。



 <了>

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