第8話 カクヨム荘が、噂になってた。


 「じゃあ、行くよ。びっくりしないでね」


 僕を左の手のひらに載せたまま、濃い緑の髪の結音ゆいねというひとが右手の人差し指と中指を揃えて唇にあてる。ふう、って小さく息を吹きかける。

 すると、もう木立のなかにいた。ものすっごくびっくりした。なにこれ。

 呆然としてると、目の前の空間が歪んで、紅い髪のかいりというひと、そうして他のあやかしたちが浮き出るように現れた。


 「あれ、君ははじめてかい。次元転移」


 びっくりしたまま固まってる僕に、浬……さん、は、笑いかけてきた。


 「そっか、ずうっと独りで暮らしてきたんだね。君もいろいろ、教えてもらうといい。加須かぞさまはなんでもご存じだから」

 「浬。まずは休ませないと。この子だって疲れているだろう、人間にいろいろと酷い目に遭わされて来たんだろうし」

 「ああ、そうだな……ねえ、君、名前はあるの?」


 じっと覗き込む二人に、僕はしばらく迷ってから、ちいさく、返した。


 「……い、ち」

 「いちくん、かあ」

 「……あと……酷い目に、遭わされて、ない……」


 顔を見合わせる二人。浬さんは少し眉を寄せて、それでもふふと笑った。結音さんの手から僕をつまみあげて、懐にぽんって納めて、歩き出す。

 改めて周りを見る。木とか空とか、山の感じが見覚えある。たぶん、カクヨム荘のある森の反対側。目の前には赤い鳥居。神社、なのかなあ。

 その奥の落ち着いた建物に、みな歩いてゆく。

 結音さんが戸口に手をかけた時。


 びろおん! きゃっ!


 上から毛むくじゃらのなにかが勢いよく降って来た。

 きゃ、は、僕の声。すごいびっくりした。


 「こら、ハヅキ。新しい子を驚かすんじゃない」


 ぶらぶらと揺れている毛むくじゃらを、結音さんはつんと突っついた。


 「えへへ。いいじゃん久しぶりの新入りだもの」


 毛むくじゃらは、よく見ると猫さんだった。屋根のふちに長い尻尾をひっかけて、びろんと逆さまに降りて来たのだ。でもよく見れば、尻尾、七本。猫又さんなんだなあ。初めて見た。

 白と灰色の上品な毛並みの猫又さん、ハヅキさんは、尻尾を放してくるんと回転し、猫さんらしく綺麗に着地した。結音さんと浬さんの足元にすりすりする。浬さんはハヅキさんの首元を撫でてから、戸を横にかららっと引いた。


 「おかえりなさあい」


 奥まで伸びてる廊下。その左右に、いろんなあやかしさんたちが並んでこちらを見ている。みんな一斉に声をあげる。浬さんや結音さんといっしょにスーパーに来ていたひとたちも中に入り、みんなの中に混じり込んだ。

 そのなかから、ひとり、小さな男の子のような、でもすごい昔の時代の着物を来ているひとが前に出た。きちんと揃えられた髪はつやつや黒く光ってる。でも、瞳が不思議な、蒼い色。


 「浬さん、結音さん。加須さまがさっきからお待ちですよ。なにか、慌てておいでのようでした」

 「え、そうなの。急いでいかなきゃ。ありがとう、壱霧いちむ


 壱霧さんはくびをこくんって横に倒して、微笑した。かわいい。たぶん座敷わらしさんだ。

 下駄を脱いで、少し急ぎ足で廊下を進む浬さんと結音さん。壱霧さん、それからさっきのハヅキさんが後ろからついてくる。


 おおきな襖の前で立ち止まる。結音さんが、失礼します、と声をかけて、からりと引きあける。


 畳の大きな部屋。

 奥の方に、誰かが向こうを向いて座っている。

 髪が長い。壱霧さんと同じような、ほんの少し青を帯びたような深い黒。その髪が、正座している足元のあたりで床についている。

 朱色の上品な着物を着て、低い机に向かっているらしい。右手が動いている。なにか、書き物をしているように見えた。

 その手を止めて、ゆっくりと振り返る。


 僕は、息を呑んだ。

 男の人か、女の人か、わからない。どっちでもないのかもしれない。

 伏せた目をこちらにむけてあげると、長いまつ毛が揺れたように思えた。


 「結音、浬、ご苦労さまだったね」


 少年のような、女性のような、穏やかで静かで、だけど暖かい声。

 結音さんと浬さんは、片膝をついて、頭を下げた。


 「加須さま、戻りが遅くなりました、申し訳ございません」

 「わたしが頼んでいることだ。いつも本当に感謝してるよ。君たちには立派なおやしろがあるんだから、いつでも戻っていいのに、ずっとわたしに協力してくれている」

 「いいえ……行き場のない、古い時代のあやかしたち、古代の霊を集めて、鎮める。加須さまのその想いは、我らあやかしの誇りです」


 加須さまは、着物の裾をくちもとにあてて、ふふと上品に笑って見せた。


 「大袈裟だよ。わたしもただの、古いあやかしだ。この国ができる前から生きているのは今ではわたしくらいだろう。奈良時代、だったかな、その頃にお世話になった、かみつけの国の大領だいりょう、大川さまのお姿をお借りしてはいるが……ほんとうの姿は、浬、君のふところにいま入ってるその子と変わらない」


 手のひらを向けられ、僕はきゅうと小さく縮んだ。浬さんは笑いながら僕の頭を摘んで持ち上げる。出たくなくて、ぴろんと長く伸びて抵抗する。それでもぽとりと床の上に置かれてしまう。みなの視線が僕に集まる。溶けちゃう。


 「今日、街で拾って来た子です。かなり古い時代の生まれのようで……いち、と名乗っているようです」

 「そう。よろしくね、いちくん」

 「……それで、加須さま。お急ぎの件と聞きましたが」


 浬さんが改めて声を出すと、加須さまは、うん、と頷いた。


 「この森の反対側のはずれに、空き家があるのを知ってるかな」

 「ええ、長い間、誰も住んでいなかったようですが……それが、なにか」

 「しばらく前に、人間が引っ越して来たようでね。特に害があるわけでもなさそうだから放っておいたのだが、どうやら彼らは、物書きらしいのだ」

 「物書き……小説を書くという、人間ですね」

 「うん、でもね、ただの物書きじゃなかったんだ……そのうちのひとりが、文字のちから、そして歌……和歌のちからで、古代と現代をつなぐ異能を持っている。わたしの情報網によればね」


 そう言い、天井を見上げる。

 梁のところに、美しい、青い鳥。

 あ……影彦ぴこさんのところの、山田とりさん……。そうか、あやかしさん、だったんだね。

 山田さんは、僕を見下ろして、もともと丸い愛らしい目を、さらにまんまるにしてる。びっくりしているらしい。加須さまと僕とを見比べて、迷ってるみたい。


 「なんと……では、時間と記憶の狭間でもがいている、たくさんの古代のあやかしたちを、一息に救い出せる、と……」


 結音さんがわずかに興奮しながら声を出すと、加須さまは頷きながら、でも眉をひそめてみせた。


 「うん、そのように、思うのだが……彼らは人間だ。我らあやかしが接触し、交渉をする方法がない。よしんば人間を装って尋ねたとしても、いずれは露見しよう。そうなったときには、このあやかしのさとの存在も知られてしまう」

 「……」

 「それで、まずは君たちに様子だけでも、見て来てもらえないかと……戻ったばかりのところで、本当に心苦しいのだが」

 「……あ、あのう」


 僕は身体の一部をにゅうんと上に伸ばした。挙手のつもり。会話にとうとつに割って入ったので、みな少し驚いてる。


 「どうしたの、壱くん。お腹、空いたかな」


 優しく問いかける加須さまに、僕は赤面しながら、でも黒いから赤くならないけど、精一杯の声を出した。


 「ぼ、僕、そこから来たんです……」

 「え、そこって」

 「カクヨム荘……皆さんがおっしゃる、その、空き家だったところ」


 がたっ、と、加須さまが腰を浮かせた。


 

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