第6話 カクヨム荘は、花園かも。


 「やだやだやだやだやだ」


 典雅のりかさんが泣きべそをかきながらしまこさんの手を抑える。しまこさんの手には、携帯電話と淀川よどかわさんの名刺。


 「かけていいよね?」

 「いい」

 「良かろう」

 

 しまこさんの問いかけに、鳥尾巻とりおかんさんも冬莉とうりさんも大きく頷いてみせる。ぴこさんは眉間を抑えて苦しげな顔をしているが、止めない。

 しまこさんは、肩の僕のことも見る。うんうんと、僕は身体を縦におおきく振って見せた。


 「だぁめぇ」


 両膝をつき、しまこさんの腕に両手をおいて、典雅さんは目に涙を浮かべながら顔を左右にふるふると振った。

 しまこさんは、うっすらと怖い笑顔をつくって、典雅さんを見下ろした。


 「……あなたの説明を要約します。あまりに原稿が進まないから缶詰にされたのに、この町が美味しいケーキとかで有名なのが検索でわかっちゃって、たまらなくなったと」

 「……は、い……」

 「お酒はいると仕事進まないからって止められてたのに、これまた居酒屋さん検索して我慢できなくなって、とうとう抜け出してきちゃったと」

 「……」

 「では、酷いことされてた、というのは?」

 「……いちにち三回しか、ごはん、もらえなくて」


 しまこさんが電話アプリを開いてタップし始めた。


 「にゃあああああ」

 「仕事、しなきゃね」

 「する、します、ここでするから、お願い、今夜だけ泊めてえ」

 「……なにか他にも、事情がありそうだな」


 冬莉さんが顔を上げてそう言うと、典雅さんはしまこさんから手を離し、ぺたんと座り込んだ。こくんと頷き、肩を落とす。


 「……寂しいんだもん……」

 「ん?」

 「……わたし、ひとが好きで。ひとを見ながら、息遣い感じながらじゃないと、書けなくて。だから、街に出たり、お店はいったりして書いてた。でも缶詰にされちゃって、ひろみさん……あ、担当の淀川さんも、お忙しくて、ぜんぜんかまってくれなくて」

 「だからって……」

 「わかってます……だめだよね、こんなんじゃ……だから、お菓子たべたり、お酒のんだりして気分あげてがんばってたんだけど、それもだめだよってなって……」

 「……」

 「書けなくて、苦しくて……くる、しくて……」


 そういい、手元のバッグから黒い布地を取り出して目元を押さえた。

 皆は、ふう、と息をつき、きまり悪そうに下を向いた。ぴこさんは頭をがしがしと掻いて天井をみあげる。腕組みをしていた鳥尾巻さんが、ずしりと典雅さんの方に歩み寄る。横に膝をつき、背に手を当てる。


 「納得したとは言わぬが、こころのかたちは人それぞれだ。あなたがそう感じ、苦しんだことを俺は否定しない」

 「……ありが、と、ご……」


 典雅さんは声を出そうとしたけれど、できなくて、布地を顔に押し当てて泣き出してしまった。


 「もう、夜半だ。今から戻ってもなにができるものでもなかろう。ここで仕事ができるというのなら、部屋を使ってもらってよい……だが、ひとつだけ、訊いておきたいことがある」

 「……は、はい……」


 皆も顔をあげ、鳥尾巻さんのほうを見た。

 典雅さんは布地をきゅっと手のひらに丸めて、揃えた膝の上に置き、背筋を伸ばした。鳥尾巻さんは、逆に顔をすこし俯かせた。


 「間違いであれば、謝罪する」

 「……はい」

 「……下着で顔を、拭いているように見受けたが」


 冬莉さんがすごい勢いでむせた。しまこさんがテーブルから上げかけたカップをごとりと落とす。

 典雅さんは指で涙を掬いながら、ふふっと声をだし、穏やかで柔和な微笑を浮かべてみせた。


 「よく、お分かりですね。缶詰にされていた淀川さんのお部屋から拝借しました。だって……ほんとにほんとに、寂しかったものですから……ひとの温もり、欲しいじゃないですか。ふふ。他にも、いくつか。ふふ。ふふ」


 滑らかな所作で手元のバッグから色とりどりの布地を魔法のように取り出し、両手に乗せて掲げてみせた。ほうら、といって、愛らしく小首を傾げてみせる。

 花園で手のひらいっぱいに花びらを載せているように、僕には思えた。

 花びらの色は、黒と黄色と、赤と青と白と、それから……。


 「へ、へ、へ、へ、へんた」


 冬莉さんが腰を浮かせて叫びかけたが、ぴこさんがたんと床を踏み切って飛んだから、口をつぐんだ。

 ぴこさんは瞬時にして典雅さんの横に降り立つ。手のひらから布地をすべて奪い去り、バッグにさくさくと詰め、ぱちんと蓋をする。典雅さんにはいと押し付け、小声を出した。目が、笑っていない。


 「ほらほら、部屋、貸してくれるってさ。よかったね。もうほら、行こう。ね。おやすみなさいって言って、ね」

 「え、でも……わたし、ここで」

 「いくよ」


 最後の、いくよ、は、三文字ぜんぶに濁点が付いていた。

 鳥尾巻さんは、自分の方をさっと振り向いたぴこさんに、顎の向きと目線で部屋の位置を示した。どういう以心伝心なんだろう。でもぴこさんはそれで納得したらしく、頷いて立ち上がり、典雅さんの手をとり、立たせた。


 引きずられるように連行される典雅さん。

 えへへ、と笑いながら、僕たちの方に小さく手を振ってみせる。

 リビングから出たところの角をまがり、やがて扉の開く音、なにやら言い合う声。そうして、どんがらがっしゃんってなって、静かになった。しばらくして、ぴこさんは戻ってきた。

 戻ってきてすぐ、正座した。唇を噛み締めてる。


 「……ええと……」

 「良い。気に病むな」


 立ち上がっていた鳥尾巻さんが、身体を揺すりながらそう言った。心底から楽しそうな表情。


 「ここは、カクヨム荘。物書きが集う場所だ。本職の方の来訪を歓迎したい」

 「……そういって、もらえると……」

 「晩飯は喰ったのか。まだであれば、共にどうだ」


 ぴこさんのお腹から、くう、っていう可愛い音。

 みなで顔を見合わせる。あはは、と、みな声を出した。

 僕はしまこさんの肩で、ふにんふにんと身体を小さく振ってみせた。笑ったんだけど、わかんないよね、きっと。

 天井の梁から、山田さん、蒼い美しいとりさんが降りてきた。テーブルにとんと乗り、くちばしで鍋を示す。鳥尾巻さんが手を振って、例の不思議なバッグからなにかの袋を出してきた。シリアル、って書いてある。皿に入れると、山田さんは嬉しそうについばみはじめた。

 鍋の中身、鶏肉の、トマト煮だもんね……。


 食べながら話していて、驚きの事実が明らかになった。

 ぴこさんは忍者としての修行のかたわら、小説を書いているそうだ。


 「いや、さ。なんかほら、筋肉、好きでさ。修行してると、その動きとかいつも気になって、意識してて。どの筋肉がどう作用してるかって考えて、こうかなこうかなって文字にしてるうちに、いつのまにか、小説になっててさ……」

 「……もしかして、あなたはあの人、典雅さん。作家さんって知ってたんじゃないの?」


 しまこさんの問いに、ぴこさんは応える代わりに頭を掻いてみせた。


 「名前聞いて、すぐわかったよ。読んだこともある。すごかった。ぶん殴られたように思った。この人には、ぜんぶ見えてるんだな、って。」

 「あ、『愛とは』……でしょ。映画化されたよね」

 「そうらしいね。俺はみたことがないけれど」

 「……それ、俺、主演……なんだ」


 冬莉さんがそういうと、ぴこさんはふおおと唸って、仰け反った。鳥尾巻さんが深く頷く。


 「ベンチに座って俯いて、携帯を触っている。それだけの場面に、その横顔に、ふうと漏らした息に、すべての観客が泣いて、対価を払ったんだ。素晴らしかった」

 「……原作者と名前が同じだ、とは、思ったが……まさかの、な」


 冬莉さんは苦笑いをして、眼鏡を外して弄んだ。

 と、そのとき。


 「あの、晩ごはん、ごはん大盛りでお願いしたくて……あ、食べに行ったほうがいいのかな。こっち持ってきてもらえる感じですかあ」


 廊下の向こうで典雅さんの声。

 みんな、顔を見合わせる。

 すこしだけ時間をおいて、ぜんいん、大笑いをした。



 

 

 


 

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