第5話 カクヨム荘と、森のひと。


 鳥尾巻とりおかんさんは身体を捻り、背後に右手を伸ばした。

 背中にいる誰かの腕を取ろうとしたのだ。

 でも、できなかった。

 その誰かは膝を折り、屈んでいた。

 すかさず鳥尾巻さんの腕が振り下ろされる。相手は両手を交差させて、それを受け止めた。ずどん、という音。床が震える。埃が舞う。


 「……いってえ。びりびりする」


 へへっ、と笑った声を含ませて、その人はつぶやいた。

 無造作に伸ばされた橙色のあかるい髪が、その人の左目を隠している。くりんとした、愛らしい感じの右目が愉快そうに歪められ、鳥尾巻さんをじっと見上げている。

 少年のような顔つき。色も白い。


 「……何者だ」


 鳥尾巻さんが冷たく見下ろしながら声を出すと、その人は眉をあげてみせた。


 「まずは手、避けてよ。これじゃしゃべれない」


 手が下ろされると、その人はふううと息を吐き、手首を振りながら立ち上がった。

 身長でいえば、冬莉さんより少し低いくらい。細身の上半身は、浅葱色の丈夫そうな衣服で覆われてる。紐で左右をとめてる。足元は……え、草履?


 「ああ、痛かった。あんた強いね」

 「……もう一度聞く。何者だ」

 「他人に名前を訊くときにはまず自分からってね」

 

 鳥尾巻さんがまた腕をあげかけたので、その人は手のひらを前に出し、あははと笑って見せた。


 「冗談だってば。僕は、影彦かげひこ。みんなには、ぴこ、って呼ばれてる。この森の奥で暮らしてるんだ。第十三代、騎摺派きすりはの宗家。こう見えて忍者の末裔だよ」

 「……忍者、だと」

 「そ。ちょっと頼み事されてね、お邪魔させてもらった」


 言いながら、窓のところを手のひらで示す。

 相変わらずガラスにぴとりとくっついてた栗色の髪の女の人がこちらに気がつき、ちいさく手を振って見せた。


 「あのひと、入れてやっていい?」


 鳥尾巻さんは、冬莉とうりさんとしまこさんのほうをちらと見た。ふたりとも、ううん、と首を傾げて肩をすくめる。

 なんだかわからないけど、危険なひとたちなら鳥尾巻さんがすぐおとなしくさせちゃうだろうし、って感じだと思う。


 鳥尾巻さんは窓のほうに歩いてゆき、鍵を開けた。窓を引こうとするが、女の人がぴったりくっついてるから動かせない。ふん、と強引に引く。できた隙間に、女の人はガラスの表面を転がるように身体を回転させ、滑り込んできた。

 なにか笑いながら部屋に入ってこようとしたけれど、敷居に足を取られてばったんとすごい音を出して転んでしまった。あびゃっ、と、声をあげる。両手がばんざいの格好になってる。


 「あいたたたたた」

 「……大丈夫、ですか」


 そばにいた冬莉さんが膝を折り、手を差し出す。女の人は、うう、とうめきながら顔をあげ、冬莉さんを振り仰ぐ。泣きそうになってた表情が驚きに変わり、やがてぱあっと笑顔になった。


 「えっ好き」

 「は」


 女の人は迅速に身体を捻って起き上がり、差し出された冬莉さんの腕を両手で掴む。ぐいと引き、顔を近づける。冬莉さんは少し、いやかなり仰け反った。


 「ふ、ふ、福山ふくやま 典雅のりか、二十五歳、恋愛小説家やってます、不束ふつつかものですが、どうか、どうか、すえなが」

 「のりかさんのりかさん」


 影彦さん……ぴこさんが苦笑しながら、のりか、と名乗った女の人に手を振って見せた。


 「早いよ」

 「え、早いかな」

 「疑う余地なく極めて早いよね。時間感覚だいじにしようね。まずは相手に自分のことを知ってもらおう?」

 「あ、そ、そだね……やだわたしったら」


 そういい、ぱっと冬莉さんの手を離す。冬莉さんはその勢いで転びそうになり、肩に乗ってた僕はころんと落ちて床に広がった。

 あ、と言って、ぴこさんは懐からなにか取り出した。先端が尖って後ろが丸い、ナイフみたいなやつ。それを僕に向けて……えっ、振りかぶった!

 その手を後ろから鳥尾巻さんががっしりと掴む。


 「俺たちの仲間だ」

 「え、物怪もののけ、飼ってるの、あんたたち」

 「飼ってるわけではないが……まあ、縁だ」

 「……ふうん。この森、ときどきこういうの出るけど、仲間っていう人は初めてみたよ」

 「害はない」


 そういう鳥尾巻さんの顔を、ぴこさんはじいっと見つめて、それからあはっと笑った。このひと、笑うと、すっごく可愛らしい。


 「あんたたち、良い人だね。気に入った。ここなら典雅さんを安心して預けられるよ」

 「はあ?」


 声を出したのは冬莉さん。


 「預けるって、どういうことだ」

 「ん、典雅さんはちょっと訳ありでね」

 「……訳って」

 「それは、本人から説明してもらあああっ」


 声をあげながら典雅さんの方を見たぴこさんが大きな声をあげる。みな、振り返る。

 典雅さんはいつのまにかテーブルの横にたち、おおきなワインの瓶を手に持っていた。持っているだけじゃない。ラッパ飲み、っていうのかな。瓶を口にあてて、にこにこしながら豪快に流し込んでる。

 たしかあの瓶、まだほとんど手付かずだったはず。それがいま……あ、空になった。

 典雅さんは、ぷはあ、っていいながら満面の笑みを浮かべた。ほっぺたがうっすら桃色になってる。


 「あああ、生き返るねえ! やっぱ風呂上がりは牛乳だよね!」


 ちょっとなにいってるかわからない。


 「典雅さん、ちょ、ちょっと、だめだってば」

 「えーいいじゃん、少しだけだよお」


 ほんのり染まった大きな目をふわりとたわめて、典雅さんはいたずらっぽく笑った。右手の空の瓶をどんとテーブルに置く。でも、左手にも持ってた。それをあえてぴこさんに突き出して見せ、がっつり豪快に口をつけた。

 あああ、といって止めに入ったぴこさんを、さきほど入り口で転んでしまったのと同じ人と思えない身のこなしでかわす。伸ばされた手を腕の背でたんと払いのけ、瓶を抱えたまますっと屈んでぴこさんの別の手を避け、その姿勢から踏み切って跳躍した。宙に円を描き、ぴこさんの後ろに音もなく降り立つ。ぴこさんは一歩も動けなかった。

 ほお、と、鳥尾巻さんが声を漏らした。


 「美事みごとである」

 「とか言ってないで止めてよ。ああ変な子、拾っちゃったなあ」

 「拾った、とは」


 典雅さんはえへへと笑いながらふわふわ踊っている。危なっかしいし落ち着かないからということで、みな座ることにした。椅子はたくさんある。僕はこんどは、しまこさんの肩にぴょんと乗った。

 

 「さっきも言ったように、俺、忍者の末裔でさ。森で訓練しながら暮らしてて、今日の午後も森の西のはずれにいたんだよ。そしたら、なんかこの子が息を切らしながら走ってきて。事情がありそうだったから話を聞いたんだ」

 「追われてたんだろう。あの、淀川よどかわ、とかいうやつに」


 冬莉さんが言葉を向けると、ぴこさんはうんと頷いた。眉を寄せている。


 「玄関で話してるの、俺も屋根の上で聞いてたんだけど。缶詰にして原稿を書かせてる、って言ってたろ。ほんとは少し事情が違うらしい」

 「……と、いうと」

 「……酷いことを、されているらしい。あの、淀川に」

 「……」

 「耐えきれず、逃げ出したらしいんだ。詳しいことは聞いていないけど、追ってきた淀川の風体を見て、なるほどってなったよ。それで、噂で聞いてたこの家に連れてきた」

 「噂?」

 「うん、まあ、俺、森の動物たちと話ができるからさ。あのひととか」

 

 と言い、上を指差す。天井の梁のところに、青い鳥。薄暗いなかでも尾羽がきらきら輝いてる。優美な流線形の頭をくいとこちらに向けて、挨拶するように頷いてみせた。


 「山田さんっていうんだ。山田とりさん。彼の情報網はすごいよ」

 「……情報網に驚くまえに会話できるとりさんにびっくりするべきだと思うが……ま、いちもいるしな……」


 冬莉さんは山田とりさんから僕に視線を落とす。へへ、と、僕は頭をかいた。触手で触手を撫でたように見えただろうけど。


 「せっかくの縁だ。君たちのことも手伝うようにお願いしておくよ。他にも森の仲間はたくさんいるから、あとで紹介する……で、その、肝心の典雅さんのことだけど……」


 と言い、典雅さんの方を見る。彼女はお酒でほんのり赤くなった顔を、だけど不安そうに、寂しそうに伏せている。すこし肩が震えてる。泣いてるのかな。

 ぴこさんがその背に手を置く。


 「話したくないなら、話さなくていい。でも、なにをされたのか、知っておいてもらったほうがいいんじゃないかな。この人たちはきっと、味方になってくれる」

 「……は、い……」


 しばらく迷うように視線を揺らしていた典雅さんは、きっ、と顔を上げた。



 

 

 

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