第4話 カクヨム荘に、異変あり。


 「だ、か、らあ!」


 玄関からの声がより大きくなる。

 しまこさんののんびりした応答も聴こえるけれど、小さくてなにを言っているかまではわからない。


 「おかしいでしょ。この間までここ空家だったの、あたし知ってんだから。なんでわざわざ森の中を空き家に向かって逃げんのよ。あんたたち、仲間なんでしょ。さ、早く出して。迎えの車も呼んでるんだから」


 苛立たしげな声。

 冬莉とうりさんは僕を手のひらに乗せたまま部屋に戻り、鳥尾巻とりおかんさんと目を見合わせ、首を傾げてみせた。ふたりとも玄関に向かう。

 

 うわあ。

 僕は思わず声を漏らした。

 

 大きく開いた玄関に寄りかかるように立っているのは、女の人だった。

 ただ、なんというか、すごい。


 鳥尾巻さんにも似た、黒くて分厚い皮の上着。同じ素材のごく短いパンツ、ぴかぴかひかる黒いブーツ。ただ、異様なほどに強調された胸元を覆っているのは、荒い網目のなにか。おおきく露出している太ももも、黒い網に覆われている。

 右と左に結んで長く垂らしている髪は、薄暗い玄関でも眩しいくらいによく目立つ、ものすごく明るいピンク色。髪の結び目には紫色のリボンのようなものを結びつけている。

 とても大きな目。それをさらに強調するように、リボンと同じ強烈な紫色を乗せている。ぽってりした唇も同じ色。頬は、なんだろ、まあるく紅を置いていて、ちょっと僕にはなにがしたいのかわかんない。

 よく見ると腰にくるくる巻いた何かをぶら下げてる。え、鞭?


 くっちゃくっちゃとガムを噛みながら、そのひとは扉に寄りかかって腕を組んでいる。ピンクの眉をあげ、現れた鳥尾巻さんと冬莉さんを横目に見比べた。


 「ふん。ゴツいの出して凄んでも効かないよ。あの子、出しな」

 「あの子とは、誰のことだ」


 鳥尾巻さんが前に進み出て尋ねる。にへらという表情のまま、とても困っていたらしいしまこさんが、その後ろに隠れる。


 「とぼけんじゃないよ。ふ、く、や、ま、せんせ。決まってんでしょ。あ……あんたら、もしかして、どっかの編集者?」

 「……言っていることが、まったく分からぬが」

 「あ、やっぱりそうなんでしょ。うわ、汚いなあ、やり方が。やっと福山先生にうちの雑誌に書いてもらえると思ったら逃げ出しちゃって、しょうがないからこんな辺鄙な町で缶詰にしたらまた逃げて、森に逃げ込んだとおもったらこれだもん。ね、あんたら、手引きしたんでしょ。どこの雑誌よ。それともテレビ?」


 と、女の人は鳥尾巻さんの後ろに立っていた冬莉さんを見つけた。びっくりしたようにくちをぽかんと開けてみせる。


 「あっ、俳優の丹羽にわ 冬莉……。てことは、舞台、いや映画ね。ちょっとお、福山先生はうちが先に押さえたんだから、仁義は通してよね。どこの制作会社なの」

 「……冬莉。知り合いか」

 「……いや、俺は基本的に人間としかつきあわん」

 「こらあ!」


 叫んで、それでも女の人はもういちど腕組みをし、しばらく何かを考えている。やがてひとりでふんと頷くと、鳥尾巻さんをぴっと指差した。


 「いいわ。今日のところは引き上げる。いまうちも映画化作品、抱えてるからね。あんまり揉めたくない。でもうちだって契約だからね。明日には返してもらうよ、先生の身柄ガラ


 と、ちょうどそのとき、車が走ってくる音。すぐに大きくなり、戸口の前に着いた。ばたんと扉が開けられ、誰か降りてくる。


 「……対象は発見したのか、淀川よどかわ

 「……いえ、見失いました。おそらく、彼らに匿われていると」


 降りてきた人は、僕らのほうを一瞥して、ふんと顎をあげてみせた。

 この人もまたすごい。 

 真っ黒の、裾のながあいドレス。僕は魔女を連想した。少し茶色がかった長い髪を後ろに流してる。淀川、と呼ばれた女の人と似たような色を目と唇に置いてる。冷たい印象だけれど、すっごくすっごく、綺麗な人。

 でも……ううん。ひげ、生えてるんだよなあ……けっこう長いやつ。男性、かなあ。


 「女王……あっまちがえた、月森つきもり編集長。申し訳ありません。ですが、明日にはもう一度、奪還に」

 「もうよい、淀川」


 くるっと踵を返し、月森編集長さんは後部座席に乗り込んだ。くいと運転席を顎で示す。淀川さんは慌てて車のほうに走りかけ、気がついて戻ってくる。


 「もし、今夜にでも福山先生を返す気になったらここに電話して。今日も追い込みで徹夜だろうから、何時でも来るから」


 そう言いながら、鳥尾巻さんに四角い紙を渡す。名刺、ってやつかな。

 淀川さんは、じゃ、という感じで手をあげて車に走り、運転席に入って発進させた。

 それを見送りながら、鳥尾巻さんは名刺を読み上げる。


 「エス専門誌、百合と鞭。編集主幹、淀川 ひろみ

 「……なるほどな」


 冬莉さんは眉間を摘んで揉みながら声を出した


 「しかし、その福山、というのは誰なんだろう」

 「あ、僕しってるよ」


 しまこさんが挙手しながら声を上げる。


 「なんだ、しまこの知り合いか」

 「ううん、一部のマニアに熱狂的な人気がある作家さん。いろんなの書くらしいけど、いちばん得意なジャンルは……ええと、なんだったかな。お、お、おへ……忘れちゃった」

 「そうか。ともかく、本業の作家なんだな。このあたりにいるんだろうか」

 「もう夜だしねえ。森の中、走ってくるってなんだかおかしいし。あの淀川さんって人の見間違いとかじゃないのかなあ」

 「かもなあ」


 みんなで顔を見合わせ、狐につままれたみたいな顔をして食堂に戻る。まだ料理はずいぶん残ってる。さっきまでなかった、ハムとかチーズみたいなのも置いてある。鳥尾巻さん、またバッグから出してきたんだ……。


 「冬莉。貴様はもう喰わんのか。しまこさんは満腹とのことだが」

 「ああ、少しもらおうかな」

 「しまこさん、甘いものがあるが、どうする」

 「え、なあに」

 「蜂蜜ひみつ堂のプディングだ。好物でな、買ってある」

 「わあい」


 しまこさんはプディングの瓶に飛びついた。鳥尾巻さんがわたしたスプーンで掬い上げ、うるうるした瞳で見つめる。ほんとに美味しいものが、好きなんだなあ。


 と、そのとき。

 なにげなく窓のほうを振り返った冬莉さんが、がたん、と椅子を動かした。

 はああ、と息を吸い込み、大声をあげる。


 「へ、へ、へ、へんたいだあああああああああああああああ!」


 ぜんいん、窓を見る。

 鳥尾巻さんすら、わずかに動いた。

 しまこさんがスプーンを手から落とした。


 窓ガラスに、だれかが貼り付いてる。

 やもりみたいな格好で、ぴとりと、ガラスに密着してる。

 口をおおきくあけて、肩を上下させて。

 ウェーブのかかった長い茶色の髪が、静電気かなにかでふわふわ浮いている。

 愛らしい感じの目が、おもいっきり半円に歪められ、細められている。

 その目は、たぶんしまこさんの手の、プディングに向けられている。


 誰も動けずにいると、今度は、あたまの上から声。

 え? あたまの上?


 「おおい、福山先生……典雅のりかちゃん。もう入っていいよ。ここには危険はなさそうだ」


 少し高い男性の声。

 でもその声を終わりまで聞かず、鳥尾巻さんは、手近にあったフォークを取り上げ、ふん! と天井に向けて投げた。どす、と、どこかに刺さる音。


 「おっとっと。危ない危ない、なんだ、手練れがいるじゃないか。投剣術か。どこの流派だい」


 その声は、鳥尾巻さんの背から聴こえた。


 

 

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