第3話 カクヨム荘に、星が降る。


 「おお……」


 鳥尾巻とりおかんさんが分厚い陶器の鍋のふたを開けると同時に、テーブルで待っている全員が声をあげた。僕も混ざってる。

 ふうわりと湯気があがって、部屋中がよい匂いに満たされた。

 覗き込んでいる冬莉とうりさんの眼鏡が曇ってる。

 しまこさんの顔が、にへらとなってる。

 僕も鳥尾巻さんの肩からぴろーんと鍋のほうに伸びている。

 

 「ここに来る途中で野菜の直売を見つけてな。いズッキーニとかぼちゃが手に入ったのだ」

 「これ、なんていうお料理ですか」


 しまこさんがにへらのままで尋ねる。目がハートになってる。

 鳥尾巻さんは、ふ、と笑って腕組みをしてみせた。


 「名前がある飯は作らぬ」

 「ほおおお」

 「まあ、トマト煮込みだ。鶏、玉ねぎ、ズッキーニ、かぼちゃ。にんにくとバジルで香りをつけているが、苦手ではないかな」

 「だいすきですぅ」


 鳥尾巻さんは頷いて、台所の横に置いてある巨大なバッグからお皿を何枚か取り出した。あのバッグ、さっきからなんでも出てくる。お肉も野菜も大きな鍋も調味料の入れ物も。魔法かな。

 と思っていると、今度は腕くらいの大きさの紙包と、何本かの大きな瓶が出てきた。くいっと持ち上げて、鳥尾巻さんはにやりとしてみせる。


 「バゲットも軽く炙って出そう。そして冬莉、貴様はこれだろう」

 「お。わかってるじゃないか」


 どんとテーブルに置かれた瓶を手にとって、冬莉さんは軽く振り、光に透かすような仕草をしてから頷いてみせた。


 「北海道、余市。竹部ワイナリー。違うか」

 「ふ……さすがだな。先週、北海道一周をしてな。そのときに」


 鳥尾巻さんはグラスを差し出し、ワインのコルクに指をかけた。ふっと息をはいて、すっぽんと抜く。あれ、手で抜くやつなんだ。なんか道具いるのかと思ってた。

 冬莉さんはグラスにわずかにその赤色の液体を注いで、すこしだけ唇をつけてみせた。その流れるような仕草がほんとうに綺麗で、僕はおもわず見惚れてしまった。


 「……相変わらず良い仕事をする。鳥尾巻、おまえもオーナーとは知己だったな。月子靖つねやすさんはお元気か」

 「ああ。手広くされている。今度は廃線の駅舎でカフェをはじめられるそうだ」

 「そうか。人工知能で旅先案内をするアプリの開発にも乗り出したと聞く。鬼才だな」

 「まったくだ」

 「ねええ、はやく食べようよお。冷めちゃうよお」


 ふたりの間に頭を突き出すようにして、しまこさんが口を曲げてみせた。


 「ぬ、そうだな。よし、では」

 「いただきます!」


 しまこさんがぱんと手を合わせた。皆も習う。僕も鳥尾巻さんの肩からぴょんと降り、小さく突起をふたつだして、ぽんと合わせてみた。

 めいめい、皿に盛り付け、口に運ぶ。しまこさんは泣き笑いみたいな顔で美味しい美味しいと呟きながら食べている。冬莉さんはワインを傾けながら少しずつ。いいなあ、とそれを眺めていると、鳥尾巻さんはちいさなお皿に少しだけ盛り付けて、僕の前にも置いてくれた。


 「しかし鳥尾巻。例の財団もずいぶん、気前がよいことだな。古いとはいえ、家屋を一軒、提供してくれるとは」

 「そうだな。コーナー・リバー財団、この国の文芸を育てるという意向があるとは聞いていたが、正直なところ驚いた。書き手たちが集まり、切磋琢磨して、次の文芸を創ってゆく。皆で書き、読む、だからカクヨム荘。提案書をまとめた西島にししまさんの力だろうな」

 「ん、僕はしまこでいいよ。あのね、書類審査のあとのプレゼンは冬莉がほとんど一人でやってくれたんだよ。横で聞いてて感動したもん。さすが、舞台俳優」

 「まあ、人に魅せることで喰ってるからな。それより提案書にあったあの言葉、あれで審査員も決めてくれたと思うぞ。書き手たちの夢の揺籠ゆりかご、って」

 「あ、あれは……へへ。メールで、鳥尾巻さんが言ってたやつ」


 なんだ、という声にぜんいん、あははと大きな声で笑う。

 そのあとは僕にはよくわからない、小説の作り方の話題になった。僕も、実はすこし本が読める。本のところに密着して、しばらくぼんやりしてると、中身がことばとしてちょっとずつ入ってくるんだ。

 でも、僕は物怪もののけだし、知らないことも多いから、本の中身に触れても、あんまりよくわからない。

 鳥尾巻さんも、冬莉さんもしまこさんも、きっと小説を書く人。すごい人。僕はなんだか、眩しくて、それにみんなの話す声が楽しそうで。

 自分の身体を見る。黒い。薄く、透けてる。まあ、物怪だからね。

 でも。

 お料理をゆっくり食べて、終わってからしばらくみんなが話すのを聞いて、テーブルの上からすこしずつ移動して、ぽとんって床に降りて。

 窓際に行き、隙間から外に出る。


 お掃除にずいぶん時間がかかったから、すっかり陽も落ちちゃった。まだ夏にはならないけど、冬も遠くなった。雪も消えてる。窓の外の縁台にちょこんと落ちついて、空を見上げる。おおきな、おおきな、空。

 星を見てると、なんだか寂しくなって、ふるふると震えた。

 人間が好き。でも、だめなんだ。

 僕、物怪だから。ばけものだから。

 涙は出ない。目、ないもん。

 涙、出ない。だから、泣かない。


 「……綺麗だな」


 いつのまにか外に出てきていた冬莉さんが、星空を見上げながら僕の横に腰を下ろした。しっかりワインの瓶とグラスを持ってきている。


 「飲むか」


 言われて、僕はふるふると身体を振ってみせた。そうか、といって、冬莉さんはグラスにワインを注ぎながら、囁くような声を出した。


 「……俺な。舞台やりながら、脚本とか小説とか書いてるんだ。みんな、褒めてくれるよ。すごいですね、俳優なのに文章もかけるなんて、って。でも、違うんだ。なんというか、届けたいんだ。言葉なんて、感想なんて超えたところに、読んでくれたひとを連れて行きたいんだ。それだけなんだ」

 「……」

 「……って、ごめんな。意味、わからないだろ。でもさ、俺も、君も、たぶん変わらない。みんなから見えてる自分と、自分から見えてる自分、違うよな」

 「……ん、よく、わかりません……」

 

 冬莉さんはふふっと笑って、僕をちょんとつまんで、膝の上に乗せてくれた。切れ長の目が優しく薄く、細められている。


 「いち。今度、俺の小説、朗読するからさ、感想きかせてくれよ」

 「……むずかしいの、わからないから……」

 「違うよ。気持ちよかったか、そうじゃないか。それだけでいいんだ」


 僕はしばらく冬莉さんの顔を見上げて、ううんと身体を広げた。足の間をぴょんとまたいで、膝掛けみたいになる。冬莉さんは少し驚いた表情をしていたけれど、やがてもっと目を細めて、僕の上に手を置いてくれた。


 と、その時。

 がさがさ、っという音。

 家の裏の、森の方からだ。

 そのあとすぐに、ごんごん、と玄関を叩く音。


 「はあい」


 室内でしまこさんが応えた。しばらくして、玄関の扉が開く音。

 続いて、大きな声。しまこさんじゃない。


 「ちょっとぉ、いるんでしょ、あの子。隠してるんじゃないわよ。みっつ数えるから、さっさと連れてきて。急いでんのよ、こっちは」


 ハスキーな感じの、女の人の声。

 冬莉さんと僕は顔をみあわせた。

 僕、顔、ないけど。


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