第2話 カクヨム荘に、ふたり来た。
べきばきごきと、ものすごい音を立てて壁が倒された。
僕は部屋のすみっこで小さくなって震えている。
本気で小さくなると、僕は直径二センチほどの球になる。その状態で角にくっついてるから、たぶん身体を剥がすと三角になってると思う。
いや、そんなのどうでもいいんだ。
問題は、部屋。
ぐらりと揺らいだ壁。それを今度は両手で押す。壁はあっけなく倒れた。あっけないけど、音はすごいし埃ももうもう舞ってるし、そのなかで鳥尾巻さんは、差し込む光を背に受けて薄闇に屹立するなにかの英雄の像みたいなかんじにどーんと立ってて、もう、なにこれ。
「
「ひゃい」
ふいに呼ばれて僕は身長を倍の四センチに伸ばした。驚愕の表現だ。
僕を見下ろして、鳥尾巻さんは口元をゆるめた。
「貴様は俺がこの家を破壊していると認識しているのだろう」
「い、いえ……はい……」
「案ずるな。この壁は構造と無関係だ。おそらく目隠しであとから設置されたものだろう。古くもなっていたし、撤去したほうが使い勝手が良い」
「……は、はい」
「道具はあるか。大工道具と、掃除のな。なければ町で調達してくるが」
「あ、屋根裏に、なんかいろいろ、あったかも……」
「案内しろ」
僕は壁から身体を引き剥がして、伸び縮みしながら階段に向かった。それを鳥尾巻さんはつまみ上げて、肩にポンと乗せてくれる。ふわりと、なんだかいい匂い。
「後で友人たちが来る。それまでにあらかた、片付けておかねばならんのだ」
階段を上がりながら鳥尾巻さんは独り言のように呟いた。脚を出すたびに、ずごん、ずごんと重い音。
「……おともだち」
「ああ。カクヨム荘の最初の客だ」
「その……カクヨム荘って、なんです、か……?」
「そう、だな……仕事場であり、隠れ家であり、そして……」
階段を上り切って、ちらと僕に目を落とす。僕は身体で右向きの矢印を作った。ぷ、と鳥尾巻さんは吹き出す。廊下を右に歩きながら、謳うように声を出した。
「そして、俺たちの、書き手たちの夢の、
「……ふう、ん……」
僕にはよくわからなかったから、あいまいに小さく声を出しておいた。
屋根裏の入り口は廊下の一番奥の天井だ。鳥尾巻さんは畳み梯子を下ろして、おおきな身体を窮屈そうに縮めてなかに入り、いろいろ道具を取り出して戻ってきた。
と、ちょうどそのとき。
遠くからまた、なにかが近づいてくる音がした。
「だれか、来る」
僕が思わず呟くと、鳥尾巻さんは眉をあげてみせた。
「なんだと。午後の予定ではなかったのか。いい加減な奴らめ」
「おともだち、ですか」
「恐らくな。ここに向かっているのだろう」
「はい」
「片付ける
言っている間に、音がどんどん大きくなってくる。鳥尾巻さんにも聞こえるようになったらしい。たしかにな、と呟いて、急ぎ足で階段を降りた。
さっき崩した壁の破片を集めて、ざっと箒をかけていると、家の前に車が停まる音がした。ばたんばたんと、誰かが降りる。
と、手を払いながら鳥尾巻さんは、僕に小さく声をかけた。
「壱」
「え、はい」
「いってこい」
「……?」
「俺にしたように。上から、降ってこい。儀式なのだろう」
そう言い、にやりと笑って見せた。
僕は正直、気乗りがしない。だって鳥尾巻さんのおともだちなんでしょ。類が友を呼んじゃってるんでしょ。絶対、びっくりしてくれないもん。
でもせっかくなので、言われたとおり、ぽとりと床に降り、扉の上に登った。
鳥尾巻さんは柱の陰に隠れている。
扉の把手ががちゃがちゃ鳴った。
ああ、空いてる、というような声。
ぎいい、と、ごく細く、開けられる。
しばらく目を凝らして様子を見ていたらしい。それからゆっくりと大きく開かれ、誰かがこつりと入ってくる。
よし、いまだ。
びろーん!
「……」
あ、ほら。
ぜんぜんびっくりしてない。
僕でも上質ってわかる背広とネクタイのその男性は、長い前髪の間から眼鏡のふちをきらりと光らせ、切れ長の目を薄く開いている。背は高いけれど、細身の身体つき。小さい顔、鋭角な印象の輪郭。片手をポケットに、もう片手を腰において、少しも動かず僕のことをじぃっと見つめている。
僕はなんだか、恥ずかしくなってきた。
と、そのとき。
男性の後ろから誰かがぴょこんと顔を出した。
「あれえ、おばけだ」
とてものんびりとした声でその人は言いながら、背広の男性の前に出た。
「君は、幽霊? 妖怪? この家に取り憑いてるの? 名前は?」
言いながら、僕のことをつんつんと
男性、なのかな。女の人?
背広の人よりあたまひとつぶん、低い。首のところでくるんと巻くような茶色の髪。紺色の、たしかデニムっていう素材の短い上着、白茶色のシャツ、白いズボン。
優しげな目を半月のかたちに歪めて、その人は背中から赤いリュックを下ろした。中からメモを取り出して、僕を見ながらなにか書きつけてる。
「……僅かに透けてる……色は黒……触れるから実体もある……」
呟き、ときどきあごに手を当てて、また書く。
なんだかいたたまれなくなってきた僕は、ちょっとずつ、上のほうに戻ろうと縮んでいった。
と、そのとき。
背広の人がふいに動いた。ぶはあ、と息を吐き、目を見開き、口を大きく開けて肩を上下させる。わなわなと震える指で僕を指差す。
「……ば、ばけもの……」
「あ、気がついた。そんな気絶するほどびっくりすることないのに」
隣の人がふふと笑う。背広の人はきっとそちらに向き直り、何かを言いかけたけど、口をつぐんだ。ふぅともう一度息を吐き、眼鏡を外して懐の布で拭いてみせる。
「……驚いたわけじゃない。状況を整理してただけだ」
「うんうん、そうだね。ふふ。なんだろうね、この子」
そういい、背の低いほうの人は僕にゆっくり、撫でるように触れる。
「お、おい、しまこ……毒を持っているかもしれない。迂闊に触らない方が」
「え、大丈夫だよ。悪い感じしないし。とうりは心配しすぎだよ」
「……そんな訳のわからんものに平気で触れるおまえが心配だよ……」
とうり、と呼ばれた背広の人が肩をすくめる。
と、柱の影から鳥尾巻さんがのっそりと姿をあらわし、はっははと大きく笑って見せた。
「相変わらずだな、
「……なんだ、これは。おまえが飼ってるのか、鳥尾巻」
「残念だが、違う。この家に憑いているのだろう。害はなさそうだ」
「来客を驚かせるのは立派な害だ」
鳥尾巻さんはもういちど、声をあげて笑った。それから冬莉さんの横でにこにこしている、しまこ、という人に小さく頷いてみせる。
「こちらが、例の」
「ああ」
冬莉さんはくいと眼鏡を持ち上げ、しまこさんの方へ振り返る。
「俺の友人、書き友だ」
「
しまこさんは両手を揃え、ぺこりと頭を下げる。
鳥尾巻さんも同じように礼をとる。
「
といって、僕の方を示す。びっくりしてきゅっと球になる。あ、と言って、しまこさんが手を伸ばしてくる。
「
「名付けたんかい」
冬莉さんが呆れたように言うと、鳥尾巻さんはにやりと笑って、ぱん、と手を打ち合わせた。
「予定より到着が早かったから掃除が済んでおらん。まずは三人と一匹、束の間なれども同居人だ。協力して片付けてしまうぞ」
「……いっぴきは、関係ないと思うがな……」
冬莉さんは呟きながら振り返り、僕の身体でにこにことお手玉をするしまこさんを発見して引き攣った表情を浮かべた。
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