カクヨム荘へ、ようこそ。
壱単位
第1話 カクヨム荘の、はじまり。
ふわあ。
ああ、よい天気。
昨日の雨はひどかったもんなあ。
屋根のふちに出て、僕はおもいっきり伸びをする。ふかい蒼の空に両手をかざして、早朝の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
……って、言いたいんだけど。へへ。
ほんとは、ないんだ。口。あと、肺も。なんなら手も。
だって僕、
ずうっと昔には人間だったことがあった、ような、気がする。かな。あれ、どうだったかな。忘れた。まあいいや。
そうやって忘れちゃうくらい、長いあいだ、僕はこの家で物怪をやってる。好きでやってるわけじゃないんだけど、いつの間にか、そうなってた。
家じたいも、古い。だって僕が物怪として、こうやってものを考えられるようになる頃にはもう、建ってたわけだから。あんまりよくわかんないけど、古い古い建物を修理して、つぎはぎして、一部は建て直して、そうやってとても長い間、だいじにされてきたって、むかし住んでた人間が言ってた。
その人もいなくなって、短い間だけなんにんか住んだけれど、ここしばらくはずうっと空き家。
町からずいぶん遠いし、暗い森を通り抜けないと辿り着けないしで、あまり便利じゃないんだって、これも、住んでた人の言葉。周りの森は、なんか難しいきまりで切り拓けないとも言ってたかなあ。
ま、僕にとっては好都合。
人間が住んでいれば、気晴らしにいたずらもできるし、ごはんをちょっとつまみ食いすることもできるけど、なにしろうるさいからね、人間は。静かに物思いにふけることが好きな僕には、ちょっと、ね。
というわけで、今日も小鳥たちの唄に耳を傾けながら、あたたかなお日さまをいっぱいに浴びて、朝からお昼寝。屋根の上にぺろーんと、身体をひらたく伸ばす。
僕の身体、人間にはシミみたいに見えるらしいけど、ちゃんと実体があるのだ。集中すれば人間みたいなかたちになることもできる。黒いけどね。
黒いだけに、お日さまを浴びるとすぐにあたたかくなる。気持ちよくなる。ふわあって、なる。
ねむく、なる……。
……。
どれくらい経ったろう。
どぅ、どぅ、っていう、地鳴りみたいな低い音。
とても遠くから、でもはっきりと聴こえてきた。
僕はお昼寝を邪魔されて、顔をしかめて起き上がった。顔、ないけど。起き上がり、ううんと伸びをして、遠くを見渡す。この家はすこし小高い場所にあるから、ずいぶん遠くまで見通せるんだ。
と、森の向こう。町の方角から、なにかがこっちに近づいてくる。車、かな。や、あれは、バイク。車輪がふたつの乗り物。
森の中の道はこの家の前で終わり。行き止まり。だから、あのバイクは道を間違えたのでなければ、この家に向かってきてることになる。
じっと様子を見ていると、バイクはのんびりゆっくり近づいてくる。迷っているという感じじゃないから、やっぱりこの家を目指してるんだろう。
バイクはどんどん大きくなる。形も見えるようになった。真っ黒の車体。骨ばってて、ぴかぴかしてなくて、なんだろ、ちょっと前の戦争のときに見かけた怖い車と似てるかなあ。大きい。立てる音も大きい。近づくにつれて、どどどどっていう地鳴りのような音で、家の壁まで微かに震えはじめた。
僕は、ちょっと緊張した。
やるか。
ひさしぶりに。
あれ。
屋根からするする降りて、排気口から中に入る。寝室を抜けて、階段をとろとろ流れ落ちて、玄関に。柱を登って、扉のうえの壁に貼り付いて、待つ。
やがてどどどっていう音がとても大きくなり、ふいに止んだ。代わりに、ごつん、ごつんっていう、重い靴音。鉄の塊で地面を叩いているみたいだ。
その音がすこし甲高くなる。玄関前の、木の階段に足をかけたらしい。僕はさらに緊張した。唾を飲む。唾も口も喉も、もちろん、ない。
鍵穴になにかが差し込まれる音。そうして、ぎいい、と、ひどく軋んだ音を立ててゆっくりと扉が開かれた。
いまだ!
僕はおもいっきり身体を大きくして、牙がある口のかたちに身体の一部を開く。意識を集中して、二か所をぴかりと光らせる。
開いた扉の前に、勢いよく、びろんと垂れ下がる。
そう、らんらんと目が輝いた怪物。それが暗い室内でいきなり目の前に降りてきたのだ。前回は、前の住人がはじめて来たとき。ふふ。あの時は気絶してたな、あの人。
さて、今度の人はどんな顔をしてい……。
思う間もなく、掴まれていた。
手で掬うように僕の身体を手のひらに乗せ、その人は顔の前に持ち上げた。
「……構成は」
へ、と、僕は口の形の切れ目をおおきく広げた。
僕を掲げたまま、その人は太い首を少しだけ傾げてみせた。
「構成は。口が利けぬのか」
「……え、えと……」
僕はなにか答えないといけない気がして、大急ぎで声帯をこしらえた。
「こ、こうせいって」
「身体構成だ。元素記号で表現されうる形而下の存在であるのか。あるいは波動。それとも光のように両方を備えるのか」
「う、え……よ、よく、わかりません……」
「俺の思念に干渉して投影させている可能性もある、か。そうであれば面白いな。概念により構成される生命だ。いや、そも生命の定義が先行すべきか」
「……あ、あの……」
ふいに黙ってしまったので、僕は仕方なくその人を観察することにした。
開いたままの戸口を背にしているから、逆光だ。それでも、いや、むしろそれが、その人の分厚い体躯を際立たせていた。
黒い皮の、袖のない服。あちこちに銀色の鋲のようなもの。下に着ているものも黒いけど、薄い。胸元を大きく開けてる。呼吸のたびに膨大な筋肉がめりめり音をたてるように盛り上がってる。
袖口から覗く上腕は、前にこの家に住んでいた女の人の胴とおなじか、もっと太いくらい。浮いている血管がどくんと脈打つ。
太い眉と短く刈り込んだ髪は、おなじように、少し赤みがかってみえた。
と、いきなりその人は僕をぽんと放り投げた。
「ひゃっ」
いちど声帯をつくると、しばらくは消えないのだ。考えていることが勝手に音になってしまう。床にぺしょりと落ち、だらしなく広がってしまった僕は、あわてて丸く薄く姿を整えた。
そんな僕を見下ろして、その人は少し笑ったように思えた。
「名は」
「え」
「貴様はこの家に憑くものなのだろう。ここで過ごすにあたって呼び名がないのは不都合だ。ないのなら、いま考えろ。無理なら勝手に呼ぶぞ。黒汁。黒液。黒粘膜」
「え、う」
僕は必死で考えた。もはやこの人が誰だろうとか、なんで驚かないんだろうなんて考える余裕もない。とにかく、黒汁も黒粘膜もぜったいいやだ。物怪としての矜持というものがある。ご先祖さまが泣く。いるのかなご先祖さま。
「せ、せかいさいきょういちばんこわいえいえんのやみのしはいしゃ……」
「却下だ」
「さいきょうの、いちばんこわい、やみのしはいしゃ……」
「長い」
「さいきょうの、いちばんの……」
「もういい」
その人はしばらく考え、うん、とひとりで頷いた。
「文字列の中央をとろう。いちばん、こわい。略して、いち。うん。お前の名前は、
「……は、はい……」
「よし、壱」
そういい、片膝をついて、僕の方に手を差し出した。なんだろう。と、身体の端をつままれ、ふるふると上下に振られる。あ、もしかして、握手……かな。
「俺の名は、
「……りょう、ちょう……」
「ああ」
鳥尾巻さんは、にかっと大きく笑ってみせた。太い眉の下の瞳は、びっくりするくらい優しく、深い、穏やかな色。
「寮長だ。この、カクヨム荘のな」
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