第3話『君にはずっと、僕だけを見ていて欲しい』

 中学に上がり、文芸部に入った。

 当然のように凛奈も同じ学校だったが、部活にまでついてくることは無かった。

 彼女が入ったのは吹奏楽部。


『ふふん。私が隣に居なくて寂しいかっ』


 それでも関わりは続く。親から支給されたスマホで、夜中にこうして電話することもしばしば。


「ああ。寂しいよ」


 僕はずいぶんと、自分の心を知れるようになっていた。

 数多の感情には名前があり、それらを知っていくことで心の自由度が増していく。


『……そういうとこ、変わんないよね』

「そうかな」

『でも、前よりも色んな事を言ってくれるようにはなった』

「だろう。鍛錬しているからな」

『鍛錬?』

「そう。部屋に引きこもって、机と向かい続けている」

『……ガリガリになりそうな鍛錬だ』


 ハンズフリーの会話はなおも続く。

 

『それで、今日はどんな鍛錬?』

「今回は寂しさを題材にした鍛錬だよ」


 鍛錬。つまるところ、それは短編小説の執筆である。

 文芸部として創作活動を課せられている僕は、毎日毎日、机と向かい続けている。

 心の自由度の高まりは、その鍛錬の賜物だ。


『私と会えない時の寂しさを題材にしてるの?』

「まあ、そんなところ」

『今から会いに行ってあげてもいいんだよ?』

「それじゃあ鍛錬にならないだろ」

『……』


 電話口の向こう、口をへの字に曲げる凛奈が見える。

 構わず続ける。


「今回の小説、出来が良かったら演劇部に使ってもらえるらしい」

『あー、どうせまた薫が悪役やるんでしょ』

「そうだと思う。あいつも相変わらずだな」

『ほんとそれ』


 幼稚園からの幼馴染である薫は演劇部に入り、なおも悪役を演じている。

 その演技力は迫真のもの。

 

「あいつの悪役っぷりはプロレベルだ。こないだは芸能記者が来た」

『怪演の天野薫だとか呼ばれてるらしいね』

「……詳しいんだな」


 地の底から心を掴まれたような気持ちになり、僕は思わず嫌味っぽく言ってしまう。

 凛奈から他の男の話題が出るたびこうだ。


『別に。みんな知ってることでしょ』

「……そっか」


 心の中で、黒い炎が燃える。ぞわぞわ、ぞわぞわと。

 そんな心情を、そのままB5ノートに書き綴る。

 シャープペンシルが心地良い音をたてながら紙の上を踊る。

 僕が黙ったままでいると、彼女もまた沈黙で応えた。




『……私ね。今、優樹がどんな気持ちでいるか想像してた』


 しばらくして感情のたたき台がページに形を成した頃。

 凛奈が口を開き始めた。

 シャープペンの音がしなくなったことから、ひと段落ついたことを察したようだ。


「どんな気持ちだと思うんだ?」

『聞くの? 意地悪だね』

「参考までに聞かせてよ」

『……もしかしたら、私のただの願望かもしれない。だから言いたくない』

「そうか」


 対して僕は彼女の気持ちを想像する。

 そうしたら不思議と、僕もそれ以上は聞かない方が良い気がした。


『気にならないんだ?』

「気にはなる」

『じゃあ、もっとしつこくてもいいんじゃない?』

「君の願望が予想通りで、僕も同じ願望を抱いていたとしたら、聞かれたくないかもなって」

『……ううん?』

「大丈夫。答え合わせはできる。今度の舞台を見れば」

『おっ。力作になりそうですか、先生』

「どうかな。僕はまだまだ坊ちゃんだから」


 とは言いつつ、確信があった。

 これは演劇部に使ってもらえるだろう。


『その言い回し、気に入ってるね』

「うん。坊ちゃんだから早く寝ることにするよ」

『ふふ。分かった。じゃあ、また明日』

「また」


 通話を切ると、なぜか少しだけ楽になれた。

 目の前には居ないのに、か細い糸で繋がっている気がして、電話は余計にいけない。


 スマホを充電機とつなぎ、机の上に飾る写真立てを見る。

 入学式の日に撮影してもらった、凛奈とのツーショット写真だ。


「よし」


 覚悟を決め、本格的な執筆のためにノートPCを起動する。勝負はここからだ。

 この作品で、僕はまたひとつ彼女への想いを伝える。



 迎えたその日。

 僕と凛奈は二人で学校近くの公民館にて演劇部の舞台を鑑賞した。

 演者のあいさつまで見届け、その場を後にした。


「どうだった?」


 出来が気になりすぐさま凛奈に聞いてしまう。


「すごく良いお話だった」


 思惑通り僕の小説は原作として採用された。

 遠距離恋愛の二人が試練を乗り越えて結ばれる物語だ。


「どこが良かった?」

「ふふっ……主人公が負の感情に飲み込まれそうになって泣き叫んでたところ」


 この物語の肝は遠距離恋愛の辛さの描写にある。


 会えない間でもヒロインのことを想ってしまう主人公。

 彼はそれ故に悶え苦しむのだ。


『君が僕の目の前にいない間……他の男と一緒に居るんじゃないかとか、寝取られたらどうしようとか……そんなことばかりが頭の中を埋めつくすんだ』


 作中でのセリフである。


「特に印象に残った一言は『君にはずっと、僕だけを見ていて欲しい』かな」


 凛奈は少し恥ずかしそうに語った。

 ちなみにこのセリフ、『縛ることなどできないのに、そう期待せずにはいられないんだよ』と続く。


「答え合わせはどうだった?」

「……どーだったかな」

 

 凛奈はりんごみたいに顔を真っ赤にしている。

 やたら熱いのだろう。うちわで顔をあおいでいる。


「ずるいね。僕は頭の中をさらけ出したみたいなものなのに」

「私のこの顔が答えなんだけど」

「真っ赤だね」

「知ってる? あなたの顔も今、真っ赤だってこと」

「……」


 平静を装っているが、この時の僕は相当に恥ずかしかった。

 作中の主人公の気持ちは、僕が凛奈に抱くものと同じ。


 彼女と会っていない間の僕は、他の男にとられやしないかとか、僕だけを見ていて欲しいだなんて気持ちで頭の中がいっぱいになっている。


 文章にするのも恥ずかしい、エゴまみれの僕。

 でも、凛奈は僕にそんな風に想って欲しいと願っていた。


「私と会っていない間も、優樹は私のことでいっぱいなんだね」

「いっぱいだ。凛奈を僕だけのものにしたい」

「わ、私はものじゃないし」

「分かってる。だけど、そう思ってしまって仕方がない」

「もー、言い方ストレート過ぎるから……」


 並んで歩く帰り道。

 誰もいないのを確認すると、凛奈は僕の手を握り、指を絡める。


「優樹、私のこと好き過ぎでしょ」

「……ところでこれ、どっちの回答が正解なんだろう」

「この期に及んで話題逸らします?」


 怪訝そうなジト目を向けられながらも、二人仲良く帰路についた。

 互いに見えない回答用紙を破り捨てるようにして、他愛ない会話へと話題がうつる。


 しばらく何の気なしに歩いていると。


「……?」

「どした?」

「いや、なんでも」


 途中、なじみのある気配を感じた気がしたが……恐らく気のせいだろう。

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