第2話「月が綺麗ですね」

 僕らはそのまま小学校へ進学し、凛奈はプロポーズをやめた。


「ユウキ。また本読んでるの?」


 ただし一緒にいる時間が減ったわけではない。

 他クラスであるにも関わらず、凛奈は休み時間のつど僕のクラスへ足を運ぶ。

 そんな日常を低学年から高学年まで続けていた。


「ああ。ちょいと、夏目漱石をね」

「へー……」


 運命的な出会いだった。

 小学校の授業で受けた国語の授業。その中で沢山の文豪たちの作品に出合った僕は、彼らの表現技法に強く関心を覚えたのだ。


(何でここではこんな表現をするんだ……?)


 彼ら彼女らは迂遠な言い回しで恋人への「好意」を伝えた。それのどこがどこでどうなって「好き」なんだ? 正直言って、教科書や参考書を読んでもよく分からない。


「じゃあ、ユウキは坊ちゃん、だね」

「……」


 自分の中で相も変わらず『好き』の正体が掴めていなかった僕は、なぜそんな回りくどい言い回しをするのかとても気になった。


「ユウキのこと、これから坊ちゃんって呼ぼ」

「……」


 なぜなら僕は、凛奈と月が見たいと思っていたから。


「んもう、無視しないで! 坊ちゃん坊ちゃん坊ちゃ――」

「リンナ」

「――ん……なに?」


 僕は手にしていた「こころ」をぱたりと閉じる。


「9月17日の夜って、空いてる?」


 その日は十五夜。地域のお祭りがある日だった。



 来たる9月17日の夜。どんどん、がやがやとしたお祭りの喧騒に包まれながら、僕はどこかそわそわとした気持ちで彼女を待っていた。


 母に祭りへ行くことを伝えると『珍しいわね、優樹がお出かけしたいだなんて』と言って喜んだ。今思えば、僕が自分から何かをしたいと伝えてきたことが嬉しかったのだと思う。同行者は凛奈であることを告げると、これまた大層なにこにこ笑顔になった。


(なんでこんなにドキドキするんだろう)


 しばらくうわの空になっていると――


「ごめん。待った?」


 待ち人はほどなくして現れた。

 彼女は浴衣姿。見慣れないかっこうに思わず胸が跳ねる。


「可愛い」

「えっ」

「そして、綺麗だ」

「……」


 凛奈は恥じらいを覚えたのか、この頃は好きだのかっこいいだのと僕には言わなくなっていた。対して僕は、確信を得た自分の気持ちは端的に表現する。


「そういうの、簡単に言っちゃうよね、キミ」

「坊ちゃんだからね」

「言い得て妙……」


 合流したところで「どこを回る?」と彼女が聞いてきた。僕は不思議を覚えて首をかしげる。


「どこか回るのかい?」

「え。屋台とか行くんじゃないの、こういう時」


 互いに意表を突かれたような反応。ドキドキに耐えきれなかった僕は、さっさと提案を押し通すことにする。


「公園行こう。今なら人気もそれほどない」

「うん?」

「月を見よう」


 不思議がる凛奈の手を引いて、公園へ向けてゆっくりと歩き出した。やたらと彼女の手が熱を帯びているように感じたが、「風邪だったりする?」と聞いたら無視された。


「ほら、穴場だろ」


 うす暗い公園には祭りの熱にあてられた人がまばらにいるだけで、空いていた。


「座ろう」

「うん……」


 二人してブランコに腰かけ、空を見上げる。

 快晴の夜空にぽっかりとお月様が浮かんでいる。

 十五夜の夜。言うまでもなく、満月だ。


「……」

「……」


 しばし沈黙。


「……ねえ、なんか話してよ」

「綺麗だ」

「そ、それはさっきも言ったじゃん」

「月が、綺麗だ」

「ああ、そっちね——はっ!?」


 月を見続けていると、隣のブランコに座る凛奈は何かピンときたように小さな悲鳴を漏らした。


「どうした?」


 見やるとうす暗い中でもはっきりと分かるほど、普段は白い頬を朱に染めている。

 ただ、どうしたと問うてもうつむいて、返事はない。

 だから代わりに質問をする。


「リンナは、どう思う?」

「わ、私も、綺麗だと思う……」


 返ってきたのは震える声。それから、僕を見るその目には、うっすらと涙が溜まっていた。何かしらの感動を覚えたらしい。


「そうだよな。僕もそう思う。リンナと同じ気持ちさ」

「ユウキ……」

「だからさ、ほら。もっとよく見ておこう」

「うん」


 そうして再び、僕らは同じ空を見上げた。

 しばし月の美しさに呆けていると。

 ふと、左手に熱を感じる。


「ユウキ」


 熱の正体は凛奈の右手。

 ブランコごと僕に身体を寄せて、手を握っていたのだ。


「私のこと、好き?」


 それはいつの日からか繰り返されてきた質問。

 あの日と同じように、少しだけ不安げな彼女の声色。


「……可愛い」

「……んもう」


 僕の返答に不満気な凛奈は、僕の手を握る力を少しだけ強めた。

 もうあの頃とは違って、都合よく喜んでくれはしない。


 ごめん、凛奈。

 それでもまだ、僕はお決まりのセリフで逃げるしかないんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る