Tableau11 雪月 (ニヴォーズ)

11-1 捕囚


  時は移ろい、来ては変わる

  日々が、月が、そして年が

  そして私は、ああ、言う術を知らない

  常に真実なのだ、私の欲望は

  常に真実で、変わることが無い

  一人を望み、また望んだのだから


(中世の吟遊詩人ベルナデット・デ・ヴェンテドルンの歌、より)




 梛筏 (ナギイカダ) の木の真っ赤な果実が、濃緑の葉の上にちょこんと乗っかっているかのような可愛らしい姿で実っているのを横目に、道行く人々たちの心は浮き立っているようだった。まもなく一年が終わり、年が変わる。その前には冬至のお祭りがある。女神ジュリアの誕生日であるという伝承もあるため、一年を通した中でも特に盛大に華やかに祝われる祭典である。冬至は、ここから太陽の力が盛り返して行く縁起が良い日なのだ。北西風 (ミストラス) や北風 (トラモンターヌ) が吹きすさぶ冬の厳しさを、太陽が優しく照らして春へ向かって導いてくれる、なる意味合いがあるようだった。


 冷たい風が吹く中を、マルトはいつも通り馭者として働いて本日の勤務を終えた。


 今度の冬至節は、メイドのダイアリーと共に迎える初めての冬至節となる。質素な水車小屋の中も、数日前から少しずつ華やかに飾りつけて準備している。今晩は前夜祭なので、帰宅前に食材を購入していつもよりも豪華な食事にしたいところだ。勿論食べるのはマルト一人ではあるが。こういうことは気分が大事だ。


 冬至節を象徴する樅の木の小さな鉢植えと一緒にダイアリーが待っているはずだ。樅の木の枝には赤いリボンや雪を模したバラモン国産の綿や梛筏の真っ赤な実や、金メッキされた星の飾りや十字架などを飾りつけてある。


 飾り立てられた樅の木の鉢植えとは別に、聖夜を象徴するチュイアの木の鉢植えも三つあった。それぞれ鮮やかな黄緑色の枝葉を楕円形に広げている。


「そういえば、告白って、本来なら冬至節の前夜祭のような雰囲気のある時の方が格好ついたかな」


 マルトは夏の盛りに起きた山火事の日の翌日に、勢いでダイアリーに愛を告白してしまった。ただ、その返事はもらっていないため、前夜祭の時に改めて愛を告げるのも悪くないかもしれない。


 鼓動は高く昂ぶり、冬の風の中でも頬が僅かに火照る。近道をしようと大通りから細い路地に入る。


 背後に人の気配を感じた。と思った次の瞬間には、後頭部に重い痛みを感じて、目の前に地面が迫ってきた。


□■■


 次の瞬間には、マルトはどこか見知らぬ部屋の中にいた。


 黄色い壁には何枚もの絵画が掛けられていた。身動きしようとして、マルトは自分の現在の状況を知った。木の椅子に座った状態で、後ろ手に縛られていて、自由に動けない。何者かに捕らえられたのだ。


 周囲を見渡すと、立てられた二脚のイーゼルに、それぞれ描きかけの絵がある。テーブルの上には、牛骨や花の入っていない花瓶、ナイフ、絵筆やパレットなどが置かれている。鼻をつく油のにおいが決め手となってこの場所の正体を確信できる。ここは画家のアトリエだ。


「やっと目を覚ましたかい。マルトご主人さま、よ」


 声を聞いて初めて、人の存在を認識した。いかめしい顔の男が、イーゼルを前にして座っていて、右手には絵筆を持っている。今も絵を描いている途中らしい。


「以前に会ったことがあるはずだ、確か。私は画家にして十字架護持者のヴァンサンだ。手荒な方法で我がアトリエにお招きしたことは謝罪するよ。あんたのメイドのダイアリーさえ来てくれれば、誘き寄せるエサはもう用無しになるので、それまではそのまま辛抱していてくれたまえ」


 この部屋の中には冬至節を祝う飾り付けは無いようだ。樅の木も飾っていないらしい。マルトは少し落ち着きを取り戻した。取りあえず、これ以上自分に危害を加えるつもりは無いらしい。取りあえずは、ではあるが。


「ダイアリーを誘き寄せるとか言うけど、無駄じゃないですかね」


「メイドが主人の危機を放っておくことは無いだろう。必ず、あんたを助けに来ようとするはずだ」


「僕が言っているのは、ダイアリーは体力が弱っていて、自力で歩くことすらままならないのに、どうやってここまで来ることができると思うのか、なんですけど」


「さあな。来る方法なんて私の知ったことではない。メイドなら、這ってでもここに来るだろう。まあ、迎えをやったから、来る方法は心配しなくていい」


 ヴァンサンが黙ると、窓の外からは人々の賑わいの雑多な声が聞こえてきた。窓の外は薄暗くなりかけているようだ。


 屋内からは見えないが、窓の外のすぐ前は広場になっている。前夜祭ということで人々が集まっていた。プロヴェンキア地方のお祭りの日にはつきものの、ファランドウロ踊りが始まっていた。


 楽士が、左手に持った小さなガルーベという三孔の縦笛を吹きながら、右手に持ったバチで腰に下げたタンブランという細長い太鼓を叩く。気分が晴れ渡るような八分の六拍子の音楽に合わせて、人々は蛇のような曲がりくねった長い列を作って輪になって踊る。


 列の先頭に立つ先導者の動きを後続者が真似して踊りながら、列は広場を闊歩する。


 広場の賑わいに負けない大きな澄んだ声が聞こえた。


「失礼します。わたくしはダイアリーと申します。この家のヴァンサンさんに呼ばれてここに来ました」


 マルトは驚いた。一人では歩くのもやっとのダイアリーが、どうやって郊外の水車小屋からダルレスの町中まで来たのか。だが、そんなことはどうでもいい。


「ダイアリー。僕のことなら心配いらない。これは、ヴァンサンとかいう奴の罠だ。早く逃げて、人混みの方へ行くんだ」


 外から聞こえる音から判断できることだが、この場所は広場に近い。広場の人混みの中に行けば、仮にダイアリーが力尽きて倒れたとしても、誰かが気づいて介抱してくれるはずだ。


「まあそう言うな、マルトご主人さまよ。絶対裏切らない忠義のメイドとして蒸気機関駆動の義人人形ってシロモノが生まれたのだから」


 言い残して、ヴァンサンは玄関扉に向かった。足下が覚束ないダイアリーを左から肩を貸しながらアトリエに戻って来た。ダイアリーの右は、もう一人別の男が支えている。そういえば以前、この二人組で水車小屋に来ていた。


「ポールさん、ここまでありがとうございます。ご主人さま、ご無事ですか」


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